祈りと願い

 建比古たけひこがコノハと共に黄央きおうの町へ行く日は、素晴らしい程の快晴だった。ほんのちょっと小さな雲があるだけの、気持ちの良い青空が見えた。



 黄央の町は、皇国の中でも群を抜いて裕福な人々が住んでいる。主に商売人や僧侶そうりょである。商売人は豪華な屋敷に暮らし、僧侶は寺院で生活をしている。

 

 また、皇宮に近い小高い畦道あぜみちから都を見てみると、とても美しい碁盤ごばんの目のように町が整備されているのが分かる。多くの黒い屋根の屋敷が並んでいて、それらの間に約十ヶ所の寺院が建てられているようだ。



 皇宮から黄央の町までは、すぐに徒歩で行くことができる。塞院さいいん駅家えきかよりは近い。

 建比古とコノハが黄央に着いたのは、太陽が南中してしばらく経った昼間だった。大半の職場が休みでは無い日だったため、日中に出歩く人々はほとんど見かけなかった。


 都の南門を抜けると、建比古とコノハは木造の大きな屋敷が続く通りを歩いていく。商人たちが住んでいる屋敷の庭だけでなく、小さな川沿いには、数えきれない程の桜の木々が、満開の可憐かれんな花々を咲かせているようだ。




 二人が通りの真ん中の辺りまで来ると、敷地がかなり広い寺院があった。大きな門の前には、石で作られたくいのようなものに『共福寺きょうふくじ』と刻まれている。


「目的地は此処ここだ。……入ろう」


 建比古と一緒に共福寺の中に入ると、コノハは巨大な仏堂がいくつもあるのに驚いた。寺院の庭も非常に広い。


 二人以外に、参拝者は全く居ないようだ。建比古とコノハは手水舎てみずしゃで、柄杓ひしゃくを使って手と口を清めると、寺院の奥にある一番大きな仏堂に向かった。



 本堂らしい建物の中に入ると、建比古はコノハに銅貨を渡した。目の前には、荘厳そうごん不動明王ふどうみょうおう像が立っている。

 建比古は賽銭箱さいせんばこに銅貨を入れて、目を閉じて両手を合わせた。コノハも見様見真似で、建比古と同じように参拝をした。


 二人が参拝をした後も、共福寺の敷地内は非常に静かだった。運が良かったのか、春らしい強風も吹いていない。

 ……と、建比古は再び不動明王像の方を見ると、独り言のようにぽつぽつと話し始めた。


「九度目、最後だった党賀とうがの防衛戦……、それがちょうど今日なんだ。だから、戦いで永眠した者たちに冥福めいふくを祈るために、参拝したかったんだ。……まあ、党賀近隣の奴らは敵だったが、領土を発展させるために、には、敬意を払いたいしな」


 不動明王は『戦勝』や『国家安泰』のご利益があると言われているが、仏像自体は鎮魂のために祈る目的で造られている。

 建比古は防衛戦の前に、できる限り共福寺に参拝しに来ていた。どうしても寺に行けない時は、執務室にある仏壇の中の、小さな木彫りの不動明王像に向かって、両手を合わせていたのだ。


「……そうだったんですね……」


 戦死した者たちをとむらう建比古の深い心情は、同じ武人であるコノハも共感ができた。険しい表情の中に、強い意志を感じる目をした不動明王像を再び見つめると、コノハは盗賊たちとの戦闘で亡くなった、薬畑山やくはたさんの人々のことを思い出したのだった。

 空の上にある穏やかな世界で、どうか安らかに過ごして欲しい……、と願わずにはいられなかった。




「あ〜……。湿っぽい話は、もー終わりにしねーとなっ! 敷地内にある大桜でも観に行くか?」


 共福寺の大桜は、非常に有名だ。党賀とうがなど塞院周辺の地に住む人々にも知られている。

 建比古のあとについていき、コノハは仏堂と反対側へ向かった。寺の一番奥に大桜はあるようだ。



 数本並んだ梅の木の横に、存在感がとてつもない満開の大桜が立っていた。

 大桜……と呼ばれている理由は、皇国の中で最古の桜かもしれない、と言われているからだ。大桜はとても太い根と幹、そして横に広がる長い枝がいくつもある。大迫力だけてなく、素晴らしい生命力さえも感じることができる。



 桜のそばにある小さな石段を登ると、コノハは桜の花に顔を近づけた。彼女は思わず、品のある爽やかな香りをいだのだった。


「本当に、きれいですね……」


 コノハは、他に声に出す言葉が全く見つからなかった。とても神秘的で、美しい大桜に見惚みとれていたからだ。



「……コノハ」


 建比古に名前を呼ばれたコノハは、無意識に後ろを振り返った。コノハが気付くと、建比古が彼女のくちびるふさいでいたのだ。

 そっと建比古が自分の唇をコノハから離すと、コノハは顔が真っ赤になっていた。


「建比古さまっ!! ココ……、お寺ですよ!? 神聖な場所ですよっ??」


「ああ、そうだな」


 耳まで赤くする程恥ずかしくなり、コノハは誰かに見られていないか気になって、思わず周りをキョロキョロした。運良く、変わらず人の気配は無いようだ。


 自分の全身がなかなか冷めないまま、動揺しっぱなしのコノハとは対象的に、建比古は平然としていた。


「まっ、でも不動明王様は、そうだから、今ので夫婦円満の努力をする宣言になったかもな。きっと大目に見て頂けるだろう」




 共福寺の大門を出るまで、先程の不意打ちされた口付けを思い出さないよう、コノハは心の中で必死に念じていた。

 一方で、建比古は弓の訓練場で果たせなかった行為を成し遂げ、甘く高揚とした気分が続いていたようだ。そして――


「コノハ。……これからも、ずっと俺のそばに居てくれるか?」


 大門を通り抜ける直前、建比古はコノハにふと問いかけた。

 コノハは建比古からの突然の言葉に驚いたが、目を丸くした後は満面の笑顔で建比古を見つめ返した。


「はい、もちろんですっ! 今後も、末永くよろしくお願いします」



 共福寺の大門を離れ、前に進みながら、建比古は自分の片手でコノハの右手をつかもうとした。そのことにすぐに気が付いたコノハは、建比古の手を自分の右手で握り返した。

 互いに片手の指をからませながら、二人は恋人のように寄り添って、再び歩き始めたのだった。

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