夫の生い立ち

「ああ……、そうだ。話は変わるが、お前に早めに伝えた方がいいことがあってな。次の中春辺りに、党賀とうが国司こくしが皇宮まで来て、俺たちに会いに来るそうだ」


「大豪族の国司さまが、ですか……??」


「補足をすると、国司は彩女あやめの父君なんだ。まあ……昔はゴタゴタしまくっていたけど、長年世話になっていてな」


 建比古は一口、ゆっくりと杜仲茶とちゅうちゃを飲むと、コノハに長話を始めたようだ。




 怜明れいめい天皇の妻、皇后の桃手ももてが第二子の篤比古あつひこを産む以前。次期天皇を巡る抗争が、塞院さいいんと党賀の間で起きていた。


 党賀の人々は、次期天皇の座を第一子の建比古にたくすことを熱望していた。高貴な血筋を重んじる、保守的な一族だからだ。

 それだけではない。優秀な武人が多いためか、武術の訓練所で、建比古がすぐに頭角を現したことを絶賛していたからだ。同世代の近衛兵たちよりも、圧倒的に武術の上達が早かったそうだ。やりの扱いでは、建比古の右に出るものは居なかったという。

 一部には、建比古の熱狂的な支持者まで出てきたそうだ。



 一方で、塞院の人々は建比古が次期天皇になるのに、非常に慎重な姿勢を示していた。

 塞院は豪族と庶民、身分差は関係無く婚姻こんいんを受け入れる、柔軟な考えを持つ一族。建比古にこだわり過ぎるのはどうかと、天皇に釘を指していた。それは、乱暴な振る舞う建比古の素行を問題視していたからだ。



 ……とはいえ、建比古の極度な荒っぽさは、彼自身の性格だけで生まれてきたのではなかった。根が優しい建比古は、己の心情を気に留めず、好き勝手に周りが騒ぎ立てることに、不快感でいっぱいだった。

 懸命に気をまぎらすため、自分の繊細な心を護るため、建比古はより一層、武術の鍛練に打ち込むようになった。




 ある日、一対一で年上の近衛兵と剣の訓練をした時、受け身がうまくできず、建比古は左目に怪我をしてしまう。左眼を失明させた上に、くすんだような青に変色したことが、さらに建比古を追い詰めてしまった。


『……建比古さま、まるで

『ああっ、本当に恐ろしいっ! ちっ、近寄りたくないわい……』


 塞院の者々から「気味が悪い」と言われて、あからさまに避けられていたため、建比古は自分の人生に切望しかけていた。コレが、建比古が眼帯をするようになったきっかけである。

 当時は自分の左眼を毛嫌いして、数えきれない程の鏡を割ってしまったという……。


 普段は勇ましく堂々としている建比古の、秘められた繊細さを知っているのは、身内を含めた一部の人間だけしか居なかった。

 塞院出身ではあるが、庶民とはいえ官吏かんりの父を持つ白人しろとが寄り添ってくれたおかげで、建比古は何とか落ちぶれずに済んだ。支えてくれる友人が建比古のそばに居なかったら、彼は本当の『鬼』になっていたかもしれない。



 そして時は流れ、建比古が十三歳の時、篤比古が生まれた。

 だが、塞院と党賀の抗争はほぼ落ち着いたとはいえ、建比古の心は再び乱れてしまった。めでたい出来事のはずだったが、彼の新たな苦悩の原因となったのだ。


 赤子だった篤比古の愛らしい寝顔を見て、思わず建比古は積もりに積もっていた負の感情を全て吐き出してしまった。


(これで、俺は楽になれる……)


 その瞬間、同時に彼の心には篤比古への『罪悪感』が襲ってきた。唯一の弟に、皇太子という重圧を全て押し付けようとした自分を、心底恥じたのだった。


 だからこそ、自分は身を粉にしても篤比古を支えていこう!! 『鬼』になりかけたみにくい自分を見捨てず、洗いざらい己の悪い感情を丸ごと受け止めてくれた白人のように、自分も篤比古に尽くしていこう、と建比古は強く誓ったのである。、かもしれないが……。




「何か……、泥くせー昔話を聞かせてしまったか? ちょっと長過ぎたな、ホント悪かった……」


 再び杜仲茶を飲んで、コノハの顔を見た時、建比古はコノハがぽろりと涙をこぼしていたのに気が付いた。

 建比古はハッとして、すぐに我に返った。立ち上がってコノハのそばに寄ると、小さな手拭てぬぐいを彼女のほほに当てた。


「これを使っていてくれ。……こんな不甲斐ない男のために泣いてくれるなんて、あんたは優しいな」


「……いえ……。感情的になってしまい申し訳ありません……」


 建比古から手拭いを受け取ると、コノハは急いで両頬の涙をいた。

 すると、建比古はその場でしゃがんで、コノハの手にそっと自分の片手を乗せた。


「ああ、でもな……。お前と出逢であってから、篤比古への『罪悪感』は少しずつ囚われられなくなった気がしてな。。だからな……、お前が俺の側に居てくれることには、感謝しかないんだ。

 ……コノハ。俺の妻になってくれて、本当にありがとうな」


 建比古から感謝の言葉を聞いて、自分の手を優しく握られると、コノハはかすれた声で返事をした。そして、一旦途切れた涙が再びあふれてきたようだった。


 コノハが泣き終わるまで、建比古はしゃがんだまま、決して彼女の側から離れることは無かった。

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