深緑の花婿

新妻、帰郷する（下）

　コノハと建比古（たけひこ）が外に出ると、太陽が沈み始めて、周りは徐々に薄暗くなっていた。村のあちらこちらには、多くの篝火（かがりび）が焚（た）かれて、微風でふわふわと揺れていたようだ。

「おーいっ、コノハ！」

「あっ、ヒバリ……と、ツバメちゃんっ！」

　その時、篝火がある側で小さな女の子を連れた、短い髪の若い女性がコノハに声をかけた。コノハはその声にすぐに気付くと、女性の方を見た。

「……友人か？　待っているから、話しに行ったらどうだ？」

「あっ……はい。ありがとうございますっ！」

　建比古に促（うなが）されて、コノハは女性の傍（そば）に急いで駆け寄った。その友人は、コノハと年齢が近いようだ。

「ココに暮らしていたけど、最近はなかなか会えなかったね。久しぶりっ！　そーいや、ツバメちゃん……いくつになったのかなぁ？」

「よんしゃい、やよ〜」

　全く人見知りをしない友人の娘は、コノハに向かって元気よく答えた。娘のツバメだけでなく、母親のヒバリとコノハも笑顔で話し続けた。

「あとな……今、二人目を妊娠（にんしん）中だぜ～」

「そーなんだっ、おめでとうっ！」

「てかっ、おめーのオカンから聞いたけど、めっちゃスゲーじゃんかっ！　すんげーお偉いさんに見初められるなんて、さずかに尊敬するな〜。十歳くらい年上みてーなのも、ビックリしたわぁ〜」

「ち、違う……。八つだからっ！！」

　友人の悪気の無い勘違いに、コノハは速急に訂正をした。どうやら建比古の年齢までは、きちんと村人には伝わっていないらしい。

　とはいえ、ヒバリの失礼な発言は、運良く庭に居る使用人たちの談笑にかき消されて、建比古の耳には入って来なかったようだ。

　建比古たちがコノハの故郷から離れる時、松明（たいまつ）を持って歩かないと行けない程、外はすっかり暗くなっていた。

　今晩は、彼らは薬畑山（やくはたさん）の麓（ふもと）にある駅家（えきか）に泊まる予定のようだ。中腹の村までの道を再び歩き、一行は足早に麓の集落まで戻ってきた。

　駅家で夕飯を食べた後、皆々は順番に、駅家のすぐ側（そば）にある寺院へ行った。法要のためでなく、参拝のためでもなく、寺院の敷地内にある大きな浴場を使わせて貰（もら）うためである。

　浴場から出ると、コノハは建比古を寺院の裏手で待っていた。篝火に近付いて体を温めながら、森の方から聞こえてくる水音に耳を澄ませていた。さらさら……と水音がする場所は、薬畑山から流れる清流、緒尾川（おびがわ）の源流である。緒尾川の下流は江羽里（えわり）まで続いている。

　大王家の従者として働くために、コノハは皇宮へ向かった時、この川の渡し舟を使っていた。そのため、川下りが使える実野谷（みのや）から塞院（さいいん）までの道よりも、乗馬か徒歩の塞院から実野谷の道の方が、目的に辿（たど）り着くまで約三倍の時間がかかかるそうだ。

　しばらくすると、寝巻きを来た建比古が外に出てきた。寺院の裏、森の近くに居たコノハを見つけると、建比古はすぐに彼女の傍（そば）に行った。

「待たせて悪かった！！　地元民らしいオッサンたちに話しかけまくられてな……。皇宮やら親父のことやら、何故（なぜ）か過去の異性関係まで細かく聞かれたし。ものすごく気さくな人が多いな、此処（ここ）は。ちょっと疲れちまった……」

「それはそれは……、本当にお疲れ様でした」

　……と、建比古が駅家の方に向かおうとした時、コノハは「建比古さま、あの――」と声をかけた。

「ん、どーした？」

　コノハは「少しだけ……いい、ですか……？？」と囁（ささや）いた後、両手を腹部辺りで重ねて、真剣な様子で建比古の目を見つめた。

「……わ、たしっ！　建比古さまが、好き、です……。仕事もまだまた半人前な……ふつつかな妻ですが、これからも何とぞ、よろしくお願いいたします」

　思いがけない妻の言葉を聞いて、建比古は目を丸くすると、「あ……あぁ、よろしく頼む」と小声で答えた。人目も気にせず、素直に気持ちを伝えてくれた妻の愛らし過ぎる姿を見て、抱き締めたくなる衝動に駆られた建比古だったが、何とか堪えていたようだ。

　建比古は照れて両頬（りょうほほ）が紅（あか）くなっていたが、暗がりに居る故、流石にコノハは建比古の表情の変化には気付かなかった。高ぶる想いを鎮めるために大きく深呼吸すると、建比古は片手でコノハの肩にそっと触れた。

「湯冷めしたら駄目だから、行くぞ……？」