皇子の告白

 その日の夜。夕食を食べる少し前の時間に、コノハは突然、白人しろとから新しい業務の指示があった。どうやら臨時の仕事らしい。

 従者の部屋、自室でコノハがのんびりと過ごしている時、白人は彼女に業務内容を伝えた。


「もちろん弓矢をかついでなんだけど、東区画の厨房ちゅうぼうから建比古たけひこ様の執務室まで、お膳を運んでくれないかな? 建比古様からの勅命ちょくめいなんだけどねっ。……あっ、ここから厨房、厨房から執務室までは俺がきちんと案内するから、安心してね」


「あ……、はいっ! 分かりました、ありがとうございます」


 部屋を出ると、コノハは白人のあとに早足でついていった。

 薄暗い廊下ろうかを歩いていると、あちらこちらに篝火かがりびかれいるようだ。篝火のおかげで頭付近と足元は照らされている。ほんのりと暖かさも感じることができ、二人とも快適に目的地まで行くことができたようだ。



 東側の区画、端の方にある厨房に着くと、多い人々が慌ただしく動いていた。

 料理人たちが居る厨房からは食材を切る音がしたり、鍋から大量の湯気が霧のように見える。厨房の出入り口では、膳を持った女官たちが忙しそうに行き来しているようだ。


 すでに建比古の夕食はできあがっているようで、皿の洗い場近くの台に置かれていた。そのことを料理人から教えてもらうと、コノハは建比古用の膳を持って、白人と一緒に再び廊下に出た。




 屋根が真っ直ぐに続く長い渡り廊下を抜けると、白人とコノハは衛士府えじふの建物の中に入った。広い建物ではあったが、建比古の執務室までは遠くはないようだ。

 屋内に入って、二番目の角を右に曲がると、すぐに室内札が見えた。廊下の突き当たりに、建比古の執務室があるらしい。


「建比古さまっ、お夕食をお持ち致しました。……失礼致します」


 白人が執務室の引き戸を開けると、「いいよ」と小声で言い、コノハを促してくれた。コノハも「失礼いたします」と言った後、慎重に執務室に入ったのだった。


「……来てくれたな。膳は俺が受け取る」


 コノハと白人に気付くと、部屋の奥で椅子に座っていた建比古は立ち上がり、すぐにコノハのそばに行った。コノハは建比古に夕食の膳を渡すと、しっかりと会釈えしゃくをした。


「二人ともありがとうな。あと、食べる前に、コノハに少し話があってな。……白人。悪いが、先に部屋に戻ってくれるか?」


「承知致しました」


 爽やかに返事をし、丁寧に会釈をした後、白人は静かに執務室を出た。

 一方で、部屋で呆然ぼうぜんと立ち尽くしていたコノハは、ゆっくりと建比古の顔を見つめた。


「あ、あの……?? お話、とは……?」


「あっ……あ〜、短く済ませるつもりだ。椅子いすがもう一つ無くて、悪い……。立ちっぱなしは良くねーから、要点だけ話す」


 部屋の中を一周回した後、建比古は大きく深呼吸すると、真剣な顔つきでコノハを見つめ返した。そして――


「コノハ……、俺の妻になる気はないか?」


(ええーっ!! 建比古さまに『気に入られている』ってのは今ようやく分かったけど、一体どーゆーことっ!?)


 心の中で一人で突っ込んでいたコノハは、流石に目を丸くしたが、建比古の予想外過ぎた発言に返す言葉は全く見つからなかった。


 コノハが動揺している様子を気にせず、建比古は話を続けた。


「俺は気が短くて粗野そやで、武術だけしか誇れない男だが、財力は相当ある。結婚すれば、衣食住に困ることは一生無い。それに、結婚した後でも、お前は引き続き皇宮で働くこともできるっ」


 そう言い終わると、建比古は半歩前に進んで、コノハの目を熱く見つめ続けた。話し続けるのも終わりそうも無い。


「新しい仕事に慣れないうちに、でかい決断をするのは相当キツイだろうと、正直に思っている。だがっ……、俺は本気なんだ!」


 再び話し終えると、建比古はまた半歩前に進んだ。そうして張りがあるが切なくも聞こえる声で、彼はコノハに最後まで自分の気持ちを伝えたのだ。


「コノハ、お前のことが好きなんだっ!! どうか頼む……。俺のことが嫌じゃないなら、妻になってくれないか?」



 コノハは自分を落ち着かせるために、一旦下を向いて、何度も深呼吸をした。


 なぜ、貧相で地味な田舎娘が良いのか、見当がつかない。なぜ、こんなヤツに好意を持ってくれるのかも、想像もできない。

 ましてや、自分が建比古のことをどう思っているのかも曖昧あいまいだ。『恋』とか『愛』なんて、よく分からない。


 しかし、建比古のそばに居ると、長雨の合間に薬畑山やくはたさん深緑しんりょくに包まれるような、とても心地良い感覚があった。肩の力が抜けて、自然体になれる自分が居ることだけは、ここ数日でコノハは気付いていたのだ。



(……


 直感、いや野生の勘なのかもしれない。それに今、コノハはとても不思議な安心感に包まれているように感じていた。

 彼女は強く決心を固めると、再び深呼吸をした後に、優しく建比古の目を見つめたのだった。


「こんな……わたしを、大変気に入って頂けたのなら……、どうぞ、よろしくお願いいたします」


「本当かっ!? ありがとう……」


 コノハが気が付いた時には、建比古に抱き寄せられていた。

 全身が硬直してしまったせいか、事態が把握できなかったコノハだが、白檀びゃくだんこうが鼻を抜けたことだけは、何とか分かったようだった。

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