第6話 逃亡

 鄧禹を加えた劉秀たちは北上を続け、邯鄲かんたんへ入り、同じように鎮撫の作業を進める。

 邯鄲は戦国期、ちょうという国の首都だっただけあって、他の都市より人も多かったが、そこで劉秀は劉林りゅうりんという男と会った。劉林は北上してくると噂のある赤眉軍の撃退法などを提案してきたのだが、この男にいささか信用のおけないものを感じた劉秀は、半ば聞き流すようにして邯鄲を立った。



 だがこの劉林が劉秀一行を窮地に陥れることになる。

 劉林は王郎おうろうという男と交際があった。

 王郎はもともと占い師だったが、自らを滅亡した前漢十一代皇帝・成帝の子、子輿しよと称し、劉林や邯鄲の豪族・李育りいく張参ちょうさんなどを陣営に加え、「劉子輿」として自立してしまったのだ。

 時あたかも「赤眉軍北上」の噂に揺れる民衆は「劉子輿」が本物であると信じてしまい、これに乗じた劉林らは邯鄲を奪取。

 更始元年(23年)十二月、王郎は自ら帝位に就き、皇帝を自称することとなる。



 更始二年(24年)正月、王郎の勢威は燎原の炎のように河北を覆い、またたく間に劉秀たちを「敵中」へ孤立する状況に陥らせてしまった。

 劉秀はとりあえずの根拠地とするためけいを攻め取るが、王郎は狡猾な手段を用いて彼を追いつめる。

 劉秀に十万戸の懸賞をかけたのだ。薊の有力者たちにとってこれは魅力となり、一転、劉秀にとっては危険な場所になってしまった。

「仲華よ、王郎が成帝の落胤らくいんとは事実であろうか」

「そのことは後回しにいたしましょう。いま最も危険なのは、ここ薊が王郎の檄に応じてしまっていることです」

 劉秀は表情を硬化させながら尋ねたが、鄧禹の答えはさらに切迫したものであった。このままぐずぐずしていては捕縛され、悪くすれば殺されてしまうかもしれないのだ。

「今はとにかくできるだけ早く薊より脱出いたしませぬと」

「脱出といっても、いったいどこへ。この様子では、河北のほとんどは王郎の檄に応じてしまっているかもしれぬぞ」

 鄧禹の進言に劉秀はさらなる危機に気づいた。正直なところ、王郎が真実皇帝の血を引く者かは怪しい。王郎自身がもっともらしく自称し、それに乗じた劉林たちが勢いを作ってしまっただけで、明確な証拠は何一つないのだ。

 だが今、中華の民の大部分は心にって立つ場所を見失っている。一度流れや勢いができてしまえばそれに乗って安心を得たいと考えるのは、人情として無理からぬことである。それゆえ邯鄲から離れた薊も王郎になびいているのだが、同じことが他の街やむらで起こっていないとは限らない。むしろ起こっていると考える方が自然だろう。 



「それも後のことです。今はとにかく虎口から脱せねば、ここですべてが終わりです。どうぞお急ぎを」

 劉秀の懸念は鄧禹も重々承知していたが、まずは目前の危機を回避しなければ後のことなど算段のしようがない。切迫した鄧禹の言に、劉秀もうなずいた。

「確かにおぬしの言うとおりだ。まずは薊から脱しよう。後のことはそれからだ」

 劉秀の決意にうなずく鄧禹だが、実は彼は「後のこと」もすでに考えてはいたのだ。だが今はそれを説明している時間すら惜しいし、劉秀に余計な思案をさせることも望ましくない。まずは劉秀を安全な場所へ、とまではいかずとも、現在の危機から逃がすこと。それが最も重要であった。



 劉秀たちはなんとか薊から脱出することができた。いまだ薊が混乱してたこと。劉秀たちが比較的小集団だったこと。そして後に「雲台二十八将」の一人に数えられる銚期ちょうきの機転などがその理由だった。

 だがひとまずの安心は、すぐに別の不安へ転嫁する。

「とにかく兵が足りぬ。それに根拠地も必要だ」

 劉秀は渋面を作って今必要なものを二つ挙げた。劉秀たちはもともと鎮撫を目的としていたため、兵の数は少ないのだ。

 また多くない兵とはいえ補給は絶対必要であり、戦うにしろ守るにしろ、また政治的な算段をおこなうにせよ、城壁に囲まれた街でなければ不可能だった。



 しかし今やほとんどの城や街は王郎の檄になびいており、劉秀は懸賞首にもなっている。そのため逃避行は城や街から離れた場所での野営を基本とせざるを得ず、しかし季節は冬、しかも寒気の厳しい北の地である。劉秀を含めた全員が、寒さと飢えに苦しむ日々を送ることとなった。

 起兵時の劉秀にとって、家族が幾人も死んだ小長安での敗走と、このときの逃避行とが、最も大きな苦難であったろう。

 


 当然鄧禹もその苦難を共にする一人である。

 そのさなか、南宮という邑へたどり着く頃、一行は大雨に遭った。冬のこと、凍えるほどの寒さに身を削られながら、劉秀すら雨に濡れながら進む羽目に陥った。

「あれよ、あの空舎へ逃げ込め」

 冷雨に震えながら道端に空家を見つけると、劉秀は皆を励ましながら自らも車を引き、文字通りそこへ逃げ込んだ。

「たまらぬ」

 風雨はなんとかしのげるようになったが、濡れた衣服は寒さを助長し、耐えがたい。

「とりあえず火をつけましょう」

「私がたきぎを探してまいります」

 鄧禹も寒さに震えながらそう言うと、一人の臣下が素早く動いて薪を探しに向かった。その間に鄧禹はかまどの用意をしてゆく。



 ほどなくして臣下が戻ってきた。

「見つけました」

「よく見つけたな。濡れた木しかないかと思ったが」

 劉秀は喜びながらもいささか驚いた。この大雨の中、もしかしたら火をつけるには向かない濡れ木しか見つからず、凍えたまま風雨が去るのを待つしかないかと案じていたのだ。

「運が良うございました」

 臣下は笑ってそう言うが、見てみると、彼が持ってきた木は薪だけでなく、なにやら使い古した材木のようなものもある。

「非常の時ゆえこの家の者には勘弁してもらいましょうか、公孫こうそんどの」

 彼からそれらを受け取りながら鄧禹は少し笑う。薪が足りないと見た臣下は、空き家の一部で濡れていない場所を壊し、材木を調達してきたと見抜いたのだ。蛮行といえば蛮行だが、見たところこの家は放置されて長く、おそらく戦乱に巻き込まれた住人は逃げ出し、流民となってしまったのだろう。いつ帰ってくるかわからず、それどころか帰ってこない可能性の方が高く、それを見越しての措置であった。

「もしこの家の者が戻ってくれば私が謝ろう」

 苦笑する臣下の名は馮異ふういという。あざなは公孫。彼としても非常の時と割り切ってのことで、それがわかる鄧禹も当然咎めているわけではない。笑って応じながら、薪に火をつけた。

「さあ明公との、どうぞ」

「おう、助かる。待ちかねたぞ。ああ、おぬしらもそのままでよい」

 竈の火が大きくなると鄧禹は劉秀に場所を譲ろうとするが、彼の主君は手で制し、自ら衣服を脱ぐと、炎で乾かし始めた。他の従者たちもおのおの火をおこし、身体をあたためる。



 と、にわかに良い匂いが空舎に満ちてきた。

明公との、お口汚しですが」

 と、馮異が劉秀に勧めたのは、麦飯と菟肩とけん(葵に似た植物)のあつもの(スープ)だった。

 質素な料理だが劉秀はそんなことを気にかける男ではないし、なにより今の冷え切った体にはこれ以上ない馳走でもあったのだ。

「おお、ありがたい。おぬしらも、食え、食え」

 うれしげに器を受け取った劉秀は、鄧禹と馮異にも勧め、三人は肩を並べるようにして羹をすすった。



 この主従は後に他の功臣たちとともに、後漢建国の中心となる三人だったが、今はわずかな火と粗末な食事に命を救われた逃亡者でしかなかった。



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