第7話 光明

 次の日も逃走続いたが、そんな中、ついに劉秀たちが待ち望んでいた朗報が飛び込んできた。

信都しんとがいまだ降っておらぬか!」

 風になびくように北州の各郡が王郎に従う中、信都はいまだ抵抗を続けているというのだ。行く宛もなく疲労しきっていた劉秀たちに希望が湧いてきた。

「よし、信都へ向かうぞ」

 身体は疲れていたが、心にともった希望とともに、主従は歩き始めた。



 劉秀たちの存在は信都でも歓迎された。彼らとて、自分たち以外ほとんどの郡が王郎に降って孤立していたのだ。また劉秀たちはこれまで鎮撫してきた街や邑での公正な政や素行の良さが好評だった。信都太守の任光じんこうも彼らを迎えるに否やはなく、自ら門を出て歓迎するほどであった。



 信都という根拠地を得た劉秀は、近隣の県から兵を徴発し四千人を得ると、これを率いて諸県を陥落させてゆく。

 勝利は味方を呼び、劉秀の勢力はまたたく間に強大化していった。



 そんな中、鄧禹は劉秀と別行動を取った。主君とは別に兵を徴発に向かったのだ。鄧禹は若かったが奇妙に大度があり、また頭脳において陣営随一だったため、劉秀は彼に大任を与えたのである。

 そして鄧禹は主君の期待に応えて数千人の兵を集め、自らこの兵を率いて楽陽を陥落させることにも成功していた。



 劉秀になびく数は数万に達した。軍隊としても充分な規模を持ち、国号をもって漢軍を名乗っても遜色ない。

「よし、ちょうへ侵攻するぞ」

 それをもって劉秀は、王郎の勢力圏である趙への進軍を命令した。

 この劉秀軍=漢軍には、新たな兵をひきいた鄧禹も合流している。鄧禹と、もう一人、朱浮しゅふという将は、偏将(全軍の中の一部の将)に任じられ、全軍の先頭である前軍として劉秀の命令を聞いた。

「ゆくぞ、仲華」

 朱浮は同僚の偏将をあざなで呼び、勇んで出撃する。鄧禹はそれに黙ってうなずいたが、わずかに表情を曇らせる。



 朱浮は若い頃から気位が高く、士心を集めていた。このあたり、劉秀の長兄である劉縯りゅうえんと似たところがあるが、人の上に立ち気位の高い者は他者を見下しがちになり、畢竟ひっきょう、容易にあなどりに転化する。劉縯の死も、彼が更始帝たちを侮って軽視したことに一因があった。

 鄧禹のことを名ではなくあざなで呼ぶのは、一応は礼儀を守る気持ちのある証だろうが(名は主君や親、師など明らかに上位の者以外が呼ぶのは無礼)、劉秀は彼のことを「将軍」と敬称をつけて呼ぶよう周知していた。またそうでなくとも朱浮と鄧禹の地位は偏将で同格である。たとえ鄧禹が自分より若年であっても、あざなを呼び捨て、命令がましく指図する資格は朱浮にはないのだ。

 鄧禹自身は自分が若年であることをわきまえているし、少年時代からそのような境遇にいることに慣れていたため腹は立たないのだが、彼の「人を鑑る目」は朱浮の人となりに危惧をおぼえたのである。



 漢軍は王郎の勢力圏に入り、なお南下する。その先頭に鄧禹と朱浮がいるのも変わらない。

 順調であった。この場合順調とは、王郎からの妨害、攻撃がないということである。

 だがこれから先、そんなことはありえない。

「朱将軍はそれがわかっているのか」

 鄧禹と朱浮は同じ前軍だが、二人で一つの軍を統率しているわけではない。それぞれが指揮する軍が二つ、並進しているのだ。だが朱浮の軍はどうにも先走りすぎているように見えてならない。

 後ろにいる劉秀の本隊と連絡が困難になるほど距離が開くわけではないのだが、鄧禹としてはもう少し慎重に進軍したい。ここは敵地なのだ。

「そのこと、朱将軍に伝えてきてくれ」

 鄧禹は自分の考えを携えた伝令を朱浮へ送った。



 だが朱浮は鄧禹の忠告にカッとする。

孺子じゅし(小僧)め、さかしらな」

 朱浮は他人に意見されること自体おもしろくないのだが、それが鄧禹のような若造相手ではなおさらである。だが朱浮はとりあえず自重した。

「邯鄲(を本拠地とする王郎)がここまで我らを邀撃ようげきしてこないのは、我が軍の進軍の速さがの者どもの予想を上回り、準備が間に合っていないからであろう。そうでなくとも兵は拙速せっそくを尊ぶという。後軍との距離も考え、孤軍にならぬよう配慮もしておる。将軍も余計なことを考えず、我らに遅れずついてくるよう伝えておけ」

 朱浮は伝令を追い返し、彼を通じて鄧禹を諭した。朱浮本人は諭したつもりだが、聞いた方が不快になる言い方だとの自覚はない。

 鄧禹も当然おもしろくなかったが、これ以上自分の意見を押しつければ、朱浮は激昂して手が着けられなくなるかもしれない。それに「兵は拙速を尊ぶ」などと孫子の兵法の一部を引用してくるあたり、朱浮も何も考えていないわけではないらしい。

 だが後方の劉秀主力との距離をおもんぱかっているというなら、言うほど速さを尊んでいるわけではなく、方針が中途半端ということでもある。

 


 鄧禹はそのことを懸念したが、彼としても自身の用兵に絶対の自信があるわけではない。正確には自信を持てるほどの実績がなかった。

「ここは朱将軍に従うか」

 鄧禹は知性においてほとんどの年長者より優れていたが、不必要に彼らをおとしめたり、無意味に出しゃばるような真似は慎んできた。これらの処世を鄧禹は自覚しておこなってきたが、習性として身に染み着いてしまったところもあったかもしれない。

 鄧禹は結果として自身の優柔不断を後悔することになる。



 王郎の配下に李育りいくという男がいた。

 土地の豪族で王郎の言に乗り、大博打に賭けたのだ。王郎が天下を取れば位人臣くらいじんしんを極められるだろう。

 この男は土地の豪族というだけでなく、将才があった。漢軍の動向を調べ、柏人はくじんという城邑じょうゆうにひそかに兵を隠した。

 その彼らの目に最初に入ってきた漢軍は、当然、前軍である。だがどうにも足並みが乱れている。二部隊ある前軍のうち、一方の足は速く、もう一方はなし崩しに引きずられる形で進んでいるように李育には見えた。

「これは…」

 李育に好機がやってきたようである。



 引きずられる一部隊をひきいる鄧禹の視界にも柏人が入ってきた。

「伏兵がいるのではないか」

 柏人までの距離、規模などを考えると、その危険がないとは言えなかった。一応、偵察しておく方がよいのではないか。

 だが朱浮はそのような配慮は一切せず――そもそも柏人の存在に気づいているのかどうか――そのまま進軍を続けていた。

 鄧禹としては一度折れた以上、強く進言するのもはばかられる。また柏人は静かで、一見すれば兵が多数隠れているとは思えない。

 不安を残しつつ、朱浮に続いて鄧禹も柏人を横目に通り過ぎていった。



「よし」

 目の前を通過してゆく漢軍に、李育はほくそえんだ。敵が視界に入りながらも兵を騒がせなかった、李育の統率力の勝利であった。

 本来なら前軍などではなく劉秀の本隊を突きたかったが、いかんせん、さすがにそこまでの戦力は彼の手元になかった。だが前軍だけでも壊滅させられれば、味方の士気は揚がり、劉秀に押されはじめた世論も再び王郎へ傾くに違いない。

「城門を開け。連中の後背を撃ってやるぞ」

 前軍が完全に通り過ぎた後、李育は命を発し、自軍を柏人から出撃させた。



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