短編

ラヴィ崎

怒りの葬式

「うっわ、噛み痕」

 そんな友人の声を聞きながら、お釣りとレシートを財布にいれる。あたりには甘い香りが充満していて、チュロスも良かったな、と思いながら売店を眺めた。

「あー、実家の犬かなあ」

「はは、絶対嘘じゃん。相変わらず下半身ゆるいな、人見」

 犬は喋らないので、嘘も本当も話すことはない。俺は喋ることができるけど、話す代わりに渡されたばかりのポップコーンに手を伸ばした。映画が始まる前に食べきっちゃってもいいくらい、温かいポップコーンは美味しい。

 ふと、腕にアクセサリーがないことに気付いて、なんだか心許ない気持ちになる。ツノがたくさんついているトゲトゲのデザインは最初こそ微妙に思えたものの、今では俺の安心感につながっていた。だって、暴漢に襲われたら攻撃できそうだ。好きな人を守ることもできる。

「恋人できたんだろ。相手怒らないの?」

「恋人じゃないよ。割り切った関係になろうって言ってた」

 割り切った関係、というのが何なのか俺にはあまり分からないけど、たぶん、交際することなくデートしたりセックスしたりするような関係のことを――俺がずっと使い続けている特定の人間関係を――そう呼ぶのだろう。

 付き合おうって言われたら断るし、嫌がっている人にべたべたはしないようにしている。それでも頭がおかしいと言われることはたくさんあって、詐欺師のように扱われることだってある。どうやら愛情というものは金品よりも価値の高いものらしく、それを騙し盗った時にはそれ以上の愛情でしか償うことができないらしいのだ。

 変なの、と思う。詐欺師だと言われても、愛を向けることができるんだろうか?

 だから、念入りに確認するようにしている。俺は変わらないけど本当に良いの。俺は変われないけどそれでも良いの。そうして「そのままが好き」と言ってくれた人のそばにいる。

 大体のひとは、そこから俺という人間を知ることに必死になる。

 例えば俺に壮絶な過去があってそれをカミングアウトしていたなら、みんなは俺のことをたくさん考えて、俺に「理解」を示してあげることができたんだろう。そう思うから、俺は自分の中の苦しみを人には話さない。だって人に理解されるってちょっと腹が立つ。結局は納得できるような事実が欲しいのであって、そこに俺の意思はあまり関係ないのだ。理解してほしいとは思わないし、別に俺だって他人のことを理解したいとは思わない。

 顔が好きだからセックスしたい。相手も俺を良いと思ったからベッドに入る。お互いのためにコンドームを着けて、相手が首を噛んでと言うから、喜ばせたくて体重をかける。そうすると俺も気持ちが良くてみんなハッピー! それがいい。


 夏のような暑さの昼下がりが、たった二時間で冬の気温になっていた。女心と秋の空なんて言葉があるけど、春の空気もよっぽど変化しやすく予期できないものだろう。それと対になる変わりやすい言葉を探していると、見知った顔を見つけた。立ち尽くしていれば、ひとみ、と名前を呼ばれて、世界が動き出す。それは割り切った関係を提案してきた大好きな人だ。

「なんでこんなところにいるの?」

「映画終わったら会えるかなって思って……友達は?」

 わざわざ不確定な俺の予定に合わせて行動するなんてすごい情熱だなあ、と思う。それで本人が疲れないならいいけど、別の日にデートするほうが長い時間一緒にいれるのに不思議だ。

「ていうか、ブレスレット、してないし」

「あ、忘れちゃって」

「忘れるって、何?」

「……忘れっぽいから毎日はつけらんないと思うよって話したじゃん」

「それはわかってるけど、悪いと思ってなさそうなのが嫌なんだよ。反省してよ。こういうとこが……もう、ほんとに好きなのか分かんないんだって!」

 あなたが嫌なのと、俺に反省してほしいのと、好かれてるのか分からなくなっちゃってるのは全て別の問題じゃない? と思うけど、そんなことは言わない。言ってもどうにもならないし、怒っている人間のことはそれなりに怖かった。だって、俺に怒っているなら俺に何をするか分からない。鞄のなかに包丁が入ってるかもしれないし、屈強な男たちが来て俺にいろんな暴力を振るうかもしれない。

 待ち伏せするくらい俺のことが好きなのに、悪気がないと分かっていてもこんなふうに怒ってしまう。割り切った関係と春の風? ことわざにしては少し長いし、悪いのは俺だ。よっぽどいけないことをしたんだろう。

「好きだよ、好き。でも、忘れちゃうのは仕方ないんだよ。ごめん」

 そう言って眉を下げると、相手はどこか満足げにため息を吐いた。アンニュイな表情も色気があっていい。潤んだ目がつやつや光っていて、舐めたら甘そうだ。りんご飴を思い浮かべる。

「人見のこと、もっと分かりたいだけなんだよ。ねえ、なんでそうなの? 人見って、何考えてるの?」

 前髪の影が揺れて顔がこちらへ向くまでの一連の動作が、パラパラ漫画のようにコマ送りで再生された。あれって大変な割に一瞬なんだよな。映画も同じなんだっけ?

 あるいは、こういった空想のことを話してみたほうがいいんだろうか? でも、話しているうちにハッピーエンドにしたくなって、包丁は花束に変わり、屈強なフラッシュモブは踊りだす。みんな、そういうことが知りたいの?

 もしもそんな話が聞きたいんじゃないって怒られたら、俺は寂しくなるだろう。その先に二人の望む幸せがあるとして、傷つかないと得られない愛にどれほどの価値があるんだろう。俺は絶対に傷つきたくないし、誰かを傷つけるのも同じくらい嫌だ。それでも人を好きになることは、悪いことなんだろうか。

「……小さい頃さ」

 震える口を動かすと、丸い目がこちらを見る。愛情に満ち溢れた視線がゆっくりと俺を包む。

 それは確かに期待だった。

「えーと、俺、学校以外のお出かけってあんましたことなくて。親、あんまそういう感じじゃないし……ついでに友達と遊びに行くとかもなくて、家でじっと本とか読んでる感じの……あ、信じてないでしょ?」

 ぶんぶんと頭を振る仕草が可愛い。促すような姿勢に、こちらも背筋を伸ばす。

「……花火大会があって、家のベランダから見てたんだよね。そしたら母親が、運がいいねって。こんなに花火が正面から見れるなんてすごい、ってさ。ありがちかもしれないけど俺、信じてて……嘘だって知った時、びっくりしたんだよ。いや、実はけっこう最近まで知らなかったんだけど!」

 そうやって笑いかけても、目の前の人は真剣な顔をしていた。背中がじわじわと汗をかく。早く最後の答えを教えて、という幻の声が聞こえて、乾いた唇を噛む。途中式がないと怒られるけど、もちろん答えが一番大事なのだ。それを信じられる確かな証拠が。

「……そういう小さい嘘、多かったんだ。数え切れないほど。大袈裟かもしれないけど……」

 深呼吸をする。逃げ出したい衝動を抑える。

「人を信用できなくて」

 そう言って息を吐けば、おずおずと尋ねられた。

「お母さんって……」

「……親、うん、あんまり良い親じゃなかったんだよね。毒親っていうんだろうな。色々あって今はもう縁切ってるから大丈夫なんだけど……こんな話嫌だよね?」

 ちら、と目線をやる。それがどんな風に見えたのか分からないけれど、相手はそのまま俺の手を取って言った。

「大丈夫。どんなことでも嬉しい。人見のこと、好きだから」

「ありがとう」

 俺はあたたかい手を握り返す。涙が出てきて、さみしいんだな、と思った。頬を伝うそれを自分じゃない指が掬い上げることに、大らかな愛情を感じる。

 それまで感じていた怒りのようなものはもうそこになかった。人間は死ぬと体を燃やすけれど、なくなった感情はどこにあるのだろう。

 怒りを燃やすことを考える。ぱちぱちと線香花火みたいな火花が散って、火が消えたら、そこには何もない。

 何も残らない。


 そんなこんなでセックスをした後、俺はベッドですやすやと眠っている人間の連絡先を消した。その瞬間、好きだな、可愛いな、という気持ちが胸にせり上がって来てもう少し一緒にいたいような気分になる。起こしてキスでもしようか、と考えていると、スマホにメッセージが入った。母親からだ。

『あんたの忘れ物だよね。うちの子のピアスにしちゃおうか?』

 愛しの愛犬であるトイプードルの耳にブレスレットがはめられている、非常に愛らしい写真が添付されていた。柔らかい毛並みに沿ったトゲトゲのシルエットは、人を攻撃するというよりも、外敵から守っているように思える。

 犬は喋らないけど、だからこそ、俺は犬を愛する。そして当然のように犬に愛されていると思っている。同じ可愛さなら、こっちのほうがいいんだろう。

 立ち上がると、寝返りを打った体に構わず部屋を抜け出す。

 きっとすごく傷つけるだろうな。俺も傷ついたよって、どうしても言えないから、俺はこれからも人間を傷つけ続けてしまうんだろう。

 愛なんてものはいつだって身勝手で、花火みたいにまんまるな形をしていないから、見る場所によっては最悪な眺めになるのかもしれない。それでも、いつも正面から見れてラッキーって思っている方が、多分人生は楽しい。

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短編 ラヴィ崎 @LoseYosizaki

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