また会える

星埜銀杏

*****

 …――この世は数字によって言い表せる、という論が在るんだ。


 僕は、宇宙ステーションの窓から外を眺めながら、静かに言う。


 青き海は星たちを讃え、僕らの瞳に、まるで洪水のよう光を運ぶ。サングラスのようなものを常用する僕らにとっては、イルミネーションくらいにしか思えない弱い光。キラキラと光る、無数の光りは、ふわりふわりと舞う白い雪虫とも見紛う。


 曲がりなりにも数学者をやっていた僕。


 ただし。


 一緒にいる彼女は一般人だ。地球にいた時はOLをやっていた。


 ここは、宇宙ステーションの居住空間。


 そうだ。


 この世の全ては数字に支配されている。


 誰が言ったのか、はたまた、どういったエビデンスが在るのか、分からない。いや、知りたくもない。学者だからこそ。加えて、今、まさに数字によって世界は滅ぼされようとしているのだから。レンズの奥で光る僕の瞳は決然として、こう続ける。


 数字に支配されているからこそ、僕には、どうしても解きたい数式があるんだよ。


 滅亡しかけているからこそ、解きたい。


 どうしても、解を知っておきたいんだ。


 そうだね。順をおって説明していくよ。


 ねぇ。もし。もしだよ。


 数字で全てを言い表せるとするならば、それはそれでロマンチックだと思わない?


 彼女は少し困った顔をしてから応える。


 ちょっと待ってよ。数字で言い現せるって、1+1=2、みたいな感じでって事?


 質問を質問で返すのは、なんとも君らしいね。でも、そこが、可愛いんだけどさ。


 でも彼女には数字の魅力が分からないらしい。いや、分からないから、この世界に在って数字に犯されていないからこそ僕は彼女を選んだ。だって、この世は数字に支配されていて、あまつさえ、それに世界は滅ぼされようとしているんだから。


 てかッ!


 あぁ、誤魔化さないで。


 どっちにしろ、そんな風に数式と答えで世の中の全てが言い表せるなんて、なんか嫌。ロマンチックでもない。運命を切り開く方が好きだから余計に、そう思う。だって、そうでしょ? 数式を解けば未来も分かるって言いたいんでしょ。あり得ない。


 うん。そうだね。だから世界が滅びかけているんだよ。人類は滅亡に瀕している。


 まあ、それは否定しない。でも、やっぱ、なんだかロマンチックからはほど遠い。


 今から少し前、人類は、行きすぎた資本主義経済の恩恵とリスクを負った。恩恵は甘い蜜であり、盲信を生む。リスクを省みる機会を永遠に失わせたんだ。しかしながら恩恵よりリスクを見るべきだった。今になって、ようやく、そう思わせられる。


 あっ、また星が光った。


 地球が。


 ふむむ。


 どこかの原子力発電所でメルトスルーでも起こったのだろうか。


 無音のまま閃光は花火のよう宇宙の闇を照らし出す。


 ここで生きていれば日常茶飯事だから驚きもしない。むしろ、核兵器が暴走していない現況は救われているとさえ。過去にアメリカに5800。ロシアが6300。それ以外の国が1200発も保有していた核が一斉に暴走したらと考えると……。


 ふふふ。


 君は、ロマンチックからは、ほど遠い、と言ったね。


 うん。そうよ。だって、式を解けばアタシが次に何をするか分かるって事でしょ?


 察しがいいね。そうだよ。計算する事で君が、次に、何をするのかさえも分かる。


 てかさ。


 なんか操られてるっぽいし。……アタシはアタシよ。自分で考えて動いているの。


 僕は静かに目を閉じて、一人、考える。


 行きすぎた資本主義のリスクとは利便性というオブラートに包まれた狂気だった。ネット社会の到来と共に訪れた大きな落とし穴。コンピューターは数字で動く。計算式の羅列と答えで動作する。そして、競争原理、より便利に、より快適に……。


 ハッキング、加えて、過当競争によって生まれるモラルハザードからの灰色突き。


 つまり、


 不当なデーター収集。不特定多数への広告宣伝戦略。


 そうして、もはや挙げればキリがないほどに闇が膨れ上がった。


 うんっ。


 自分の考えで動いているか、……それは、そう思っているだけ。


 なにを言おうが、なにを考えようが、計算すれば答えが分かる。


 なんでかって? そんなのは簡単だよ。この世がシミュレーションじゃない確率は二分の一というものを知っているかい。過去に言われた事なんだよ。今でも、その確率は変わってない。けど、僕は突き止めた。この世がシミュレーションだって。


 だからって、なんなの?


 シミュレーションだからって、なんなの。ふぅんって感じだけど。意味があるの?


 もし、シミュレーションならば、それは、どうやって創られているのか、分かる?


 さっきコンピューターの話をチラッとだけどしたね。


 うんっ。


 まあ、そういう事。この世は神が操作するコンピューターのようなもので創られ、回ってる。つまり、計算式のようなものの羅列と答えで出来ているんだ。僕らの数学とは違うものかもしれないかもしれないけど概念としては似たようなものでね。


 うむむ。


 分かるような、分からないような。……誤魔化した?


 ふふふ。


 あ、笑って誤魔化した。まあ、君らしいっちゃ、君らしいけど。


 だから、アタシも君を選んだんだしね。お互いさま。


 僕は、そんな彼女を見て、微笑ましくなって笑んでから考える。


 兎に角、


 そして、


 行きすぎた資本主義の果て、より儲ける為にはどうすればいいかと考えた連中は遂に歯止めとして機能していた法律さえも。国の中枢を担う者達も例外じゃなかった。いや、むしろ民主主義国家では、得票数、つまり、人気で任期が決まるからこそ。


 どうやって数字を挙げるか、どうやって数字を操作するか、それに躍起になった。


 だから政治家達は数字の為、戦争も辞さないと仮初めの勇を示し、のたまう始末。


 しかも口から出てしまった言葉は引っ込みがつかなくなるもの。


 加えて。


 マスコミも、視聴率こそ至上となって、公正中立など建前に過ぎない状況となる。


 一般市民ですらも、より儲ける為、ネットでの口コミを操作するのは当たり前。対抗する商品は低評価。自分が売る物は高評価と。もはや、数字を挙げる為ならば、デマや、でっち上げ、ヤラセなど問題にする事すらおこがましいという状況になる。


 いくら数字を得るか、皆は、それこそが本質だ、と言い始める。


 いや、もう考えるのはよそう。空しいし、悲しくもなってくる。


 兎に角、


 これが、


 数字によって世界が滅ぼされたという意味の根幹だ。


 そして、


 僕らは宇宙に脱出した。秘密裏に建設された宇宙ステーションへ。無論、生半可な覚悟と行動では、ここに来る事さえままならなかった。それでも、ここにいるという事は、やはり、僕が数学者で彼女が数字に犯されていなかったからこそだろう。


 ねぇ、だったらさ。聞きたいんだけど。


 なにさ?


 もう地球はダメだとして、……アタシらは最後に残された二人になるとしてだね。


 うん。だとして、なに?


 そんな時に、どうして必死に数式と、にらめっこしてるのさ。解けない、それと。


 ふふふ。


 だから言っただろ? 今だから、人類が滅亡しかけているからこそ解きたいんだ。


 数学者として浪漫を追いたいんだ。君にロマンチックって言って欲しいからこそ。


 うぬぬ。


 何の意味があるか分からん。アタシには無駄な努力にしか見えないんですけども。


 式が解けても滅亡は揺るぎないんだよ?


 ふふふ。


 分かってる。それは充分に分かってる。でも、それは僕が数学者だからじゃないよ。いや、むしろ、数学者としての浪漫を追いたいと、さっきも言ったね。あ、また花火が上がった。うん。本当に、もう地球は保たないだろうね。とても悲しいけど。


 また、数式へと向かう。もはや僕らに残された時間は少ないと。


 僕の計算では、この宇宙ステーションが、ここへと留まっていられる時間は短い。


 その内、地球へと落下する。これは揺るぎない現実だ。答えだ。


 まあ、学者さんの考える事は小難しすぎて、よう分からんけど分かる事もあるよ。


 式を解こうと視線も動かさずに、聞く。


 耳だけ彼女の方へと意識を向けて……。


 アタシは、アタシに残された時間を愉しみたいから、ちょっとの間でいいからさ。


 彼女は艶っぽい瞳でウインクしてくる。


 まさか、


 これこそ、数字では現せず、計算では解けない、あの方程式の、お出ましか。まあ、いいか。解きたい数式は、また今度で。それくらいの時間はあるから。もちろん、愛の因数分解は嫌いじゃないし。だから彼女からの誘惑に応える。


 ベッドへと飛び込む。無論、綺麗な弧を描いて……。


 そして、それから、いくらかの時が過ぎた、ある日。


 遂に、僕が解くべき数式が解けた。ようやくだ。長かった。ここまでくるのにね。


 やった。ようやく、ここに辿りいたぞ。


 うんっ?


 なになに? やっと解けたんだ。解きたかった数式。


 おめでとう。でも、正直、意味があるとは思えないけど、だって、もう地球には降りられないし、このステーションも保たないよ。多分、あと数時間、いや、数分で落下を始めると思う。人類がいなくなった地球にね。でも、とにかく、お疲れさま。


 ふふふ。


 あ、また、もったいぶってるな。なにかを。なにさ?


 意味があるのか、ないのかは、この答えを聞いてからにしてって意味の笑いだよ。


 実はね。


 うんっ。


 なによ?


 僕が解きたかった数式は、このまま人類が滅亡するとして僕らが死ぬとして……、


 あっ!?


 僕らが死ぬとして、なんて言ってしまったが、彼女は別に気にする様子もない。むしろ、今となっては、もはや残酷な言葉さえも僕らの間では当たり前と化している証拠だろう。ふっと、そんな事を考えながら、小さく息を吐き、二の句を繋ぐ。


 この先、


 また地球に人類、いや、知的生命体でいい、それらが生まれて、


 文明を育み、宇宙にまで進出できるようにもなって、その果て。


 果てで?


 僕という魂と君という魂が、各々、その知的生命体に宿ってさ。


 宿って?


 僕が言いたい事が分かったのか期待に目を輝かせて僕の答えを急かしてくる彼女。


 そうだ。


 また僕と君が出会えるのかって、それが知りたかったんだ。その解を得る為、この数式を解きたかったんだ。うん。どうしても解きたかったものの正体は、僕と君が、また会えるのかどうかが分かる式だったんだよ。そして会えるって分かった。


 どうだい? これを聞いても、君はロマンチックからは、ほど遠いって笑うかい?


 てか、……まあ、でも笑ってもいいよ。


 笑わない。でもロマンチックからは、ほど遠いと言っておく。なんか悔しいから。


 そう。ちょっとだけ残念。そうだ。もし、もしだよ。いいかい?


 うん。何? 聞きたい。


 僕らは、これから死ぬ。


 そして、


 またね、で、再び、出会える。だから数式の解どおり、僕と君の人生が交わったら、その時はロマンチックって言って。だって、良く言われる事だけど確率論としての数字で、僕らが、また出会う確率は、あり得ないほどなんだから。


 負けた。


 うん。その時はロマンチックだねって言うよ。それは約束する。


 だから。


 だから?


 またねで別れよ、今は。


 うんっ。分かったよ。またねで別れよ。


 またね。


 またね。


 と言った瞬間、僕らが乗る宇宙ステーションは、ゆっくりと地球に降下し始めた。


 それも、予め計算して分かっていた事。だから、またね、と言い合えたのだから。


 それだけの時間を残せるよう必死に数式を解き終えたのだから。


 …――この世は数字によって言い表せる、という論が在るんだ。


 お終い。

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