没落聖女を殺してくれ

向野こはる

没落聖女を殺してくれ








 依頼人の男は、自らをコーリングと名乗った。


「私は愛する人を聖女に殺されました」


 コーリングには愛を注ぐ妻がいた。

 地方の領主であるコーリングは、実直だが平凡な容姿の男である。だが彼の妻は、道行く誰もが振り返るほど、見目麗しい女だった。

 政略結婚だとしても地方に嫁いできてくれた妻を、男は大層大事にした。

 大都市生まれの妻は傲慢で、男を下に見て何かと不満ばかり。周囲は男を心配し、屋敷で働く侍従の中には苦言を呈する人間もいた。

 それでもコーリングは妻を愛し、愛されようと努力した。


「それで?」


 テーブルに置かれた珈琲カップを見つめ、沈黙してしまった男を促す。

 男はハッと気がつき、失礼を詫びてから目を細めた。


「そんな中、大都市に住まう聖女から、地方に向けて通達があったのです」


 聖女とは大それた名前だが、所謂、教会内部にいる役職名だ。

 女神信仰であるこの国は、女神の反感を買わぬよう、神父や神官は基本的に男しか就けない。

 だが聖女職だけは別で、必ず女が赴任する。女神の娘、女神の代行者として、人々の求心力になるよう教会から求められるのだ。

 聖女からの通達は、なるべく美しい女を侍女に迎えたく探している、というものだった。


「へぇ。それで、奥方は行ってしまわれた?」

「…………ええ」


 コーリングは苦笑交じりに笑って、カップを手に取り口をつける。

 疲れた表情の中に気品を感じられる所作だ。確かに容姿は平凡だが、清潔感があり悪くない。地方とはいえ良い環境で、領民と共に切磋琢磨してきた領主なのだろう。


「妻と離縁したわけではありませんが、意気揚々と彼女は出て行きました」


 美しい妻にとって、確かに地方の生活は窮屈であっただろう。

 男は寂しく思いつつも、それも愛情だと割り切って、妻の背をおくり出した。


 ──そんなある日を過ぎた、数ヶ月後。


 コーリングの屋敷に、変わり果てた姿で女が戻ってきたのだ。


「髪は短く毟られ、体は痩せこけ、怯えたような姿で戻ってきたのです」


 女はコーリングに見向きもせず、狂気に蝕まれた双眸で、日がな一日呪詛を呟いていた。何があったのか理由も話さず、こちらから話しかけても無視をされ、男もほとほと困り果てたと言う。

 男は愕然とし動揺したが、彼女が戻ってきた喜びの方が大きかった。

 暮らしやすいよう環境を変え、好物を取りよせ、何気ない日々をただ、愛おしむ。

 少し口をつけた料理を覚えておき、目で追った花を送り、涙する日は手を握って傍にいる。

 コーリングにできるのはそれだけであったが、女は徐々に、その心を開いていった。


「……こんな私でも愛してくれるのかと、彼女は言いました」

「もちろんだと、答えた?」

「ええ、ええ。当然でしょう。……彼女は私の全てだった……」


 心を開き、次第に笑顔も見せるようになった女は、事情を話してくれたと言う。

 神殿で真面目に勤めを果たしていたのに、様々な難癖をつけられ虐げられ、最後にはほぼ身一つで放り出されたのだという。

 神に祈り、神を呪い、聖女職を憎む。女の憎悪に沸る双眸を、今も鮮明に思い出せた。

 コーリングは浮かんだ涙を指先で脱ぐい、消沈した様子で息を吐き出す。


「……これから私が幸せにしよう。そう決意した矢先、……彼女は殺されました」


 都市部で行われる領主会議を終え、急ぎ足で愛する女の元に戻ってきたコーリングの前には、女の死体が転がっていた。

 集団で襲われた外傷によるショック死。侍従たちも一つの部屋に監禁され、助けられなかった事を泣き叫んだ。


「……ああ、それは……知っているよ。だから聖女は、没落した」


 痛ましさに思わず視線を下げれば、コーリングは唇を震わせる。

 新聞の一面を飾った大事件だ。世を騒がせた震撼は記憶に新しい。監禁された侍従たちが、彼女を殺したのは教会の人間だと、全員が口を揃えて言ったのだ。

 教会は否定したが、聖女がそうだと認めたのである。

 機密文書を持ち出した相手への粛清だと言うが、教会から何も持ち出された形跡はない。教会が独自に調査を進めれば、痴情のもつれだと結論づけられた。


「知らなかったのですが、彼女には教会内で出会い、想いを重ねる男がいたのだそうです。ですが男を欲しがった聖女が、彼女から相手を引き離した」

「……それでも飽き足らなかった、と言うことか」

「心はずっと、彼女の傍にあった……と言う事です」


 口内が乾くのか珈琲を飲み切った男に、新しい珈琲を淹れてやる。

 コーリングは礼を述べて鼻を啜り、指先で目元を拭い眉尻を下げた。

 心なしか顔色が徐々に悪くなっている。依頼人に心理的負荷を与え続けるのは、仕方がないとはいえ良心が痛む。

 ローテーブルに準備をしていた契約書を置けば、コーリングは視線だけを上向かせた。


「相手は没落したとはいえ、聖女職を冠していた。あなたが望む方法では、それ相応に時間も、資金もかかる。……汚れ仕事を負わせるリスク、と言うのもだ」

「存じております。それでも没落しただけでは、私の気は休まらないのです」


 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は、揺らぐ決意も、動揺もない。

 透かし模様の入ったトレーに、インク壺と万年筆を置いて差し出せば、やはりコーリングは迷いなく受け取った。

 領主のさがか契約内容によく目を通し、不備がないことを口頭でも問答し、改めて筆をとる。流麗な文字で綴られる名前は、間違いなく渦中の男の名前だった。

 契約金と成功報酬。足がつかないよう細心の注意を払って行うため、長期戦になる。バカにならない金額だ。

 振り込み口座を案内しようとした矢先、コーリングは持参したブリーフケースを開けて、中から封筒を取り出す。そして真新しい小切手が入っている事を見せ、こちらに手渡した。


「……準備がいいな」

「必ず成功させて欲しいと、私の思いが伝わればと。……どうか、あの聖女を、殺してください」


 合わせた視線は揺らがない。

 コーリングは膝につきそうなほど深く頭を下げ、ただ、そう懇願した。





 


 新聞を読んだか、と電話をしたのは、一年ほど経ってからだ。

 電話口のコーリングは涙ごえで感謝の意を示し、受話器を押さえる音がしたかと思えば、侍従にすぐ銀行へ走るよう伝えていた。

 聖女職を追われた女が行き着いた先は、新聞の片隅を彩るに留まった。

 しかしこの時を待ち侘びた男にとって、女神の生誕祭より喜ばしい記念日になった事だろう。

 通話口の声音は涙に溢れていて、しかし鼻を啜る音がしたかと思えば、コーリングが落ち着きを取り戻し気配を和らげる。


『ありがとうございます、これでようやく、妻の葬儀ができます』

「そうか、それはよかった」


 通話を切って受話器を戻し、新聞を広げて小さな記事に目を細める。

 苦味の強い珈琲が揺蕩うデミタスカップを持ち上げ、唇を湿らすように飲みながら病死した女の顔を眺めた。

 結局のところ、本当に痴情のもつれだったのだろう。聖女は最期、ベッドの上で譫言のように、全てを奪い殺したはずの女を責めていたらしい。

 その人は私も物だと泣き喚く姿は、滑稽でありながらメディアの関心を引くほどの力はなかったのだ。

 教会から提供させたらしき写真は、栄華を極めた女神の如く美しい女が、こちらカメラを覗き込んで笑っている。

 その顔は男の妻に、よく似ていた。










 

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没落聖女を殺してくれ 向野こはる @koharun910

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