2話

ぼさぼさの髪とひげを生やした僕は、小高い丘の上にいた。

僕の目の前には、大きな石と、その周りに植えられた色とりどりの花。

ハルの墓だ。

僕は川で汲んできた水をハルの墓前に供え、手を合わせる。春の温かい風が、丘を優しくなでるように吹いている。


ふと、後ろに気配を感じた。

振り返った僕は、驚きのあまり声を失った。

そこにいたのは、20歳くらいの女性。

黒い瞳を僕の方に向けながら、ピクリとも表情を動かさずに立っている。

「...え、あ、あなたは」

長いこと人と話していなかった僕は、どもりながら、何とか彼女に声をかける。

「...」

彼女は口を閉じたままだった。

僕は彼女に歩み寄る。

「僕以外にも生存者がいたなんて...。僕はイツキと言います。あなたの名前は?」

「...ナミ」

消え入りそうな微かな声だったが、久しぶりに人間の声が聞けて嬉しかった。


僕はナミを自宅に案内した。お茶を入れてやると、ナミはそれを静かに飲んだ。

ナミに自分の今までのことをすべて話した。ハルが死んだときの話は、当時を思い出して何度も涙で言葉を詰まらせた。笑ったり泣いたりと、忙しく話す僕を見ながら、ナミの顔は依然、無のままだった。それでも僕は話し相手がいるだけでこの上ない喜びを感じていた。


僕は一通り話し終えると、次はナミの話を聞かせてほしいと頼んだ。しかし、予想通りというべきか、彼女は何も話さなかった。なので僕はナミにいくつか質問をした。

「ほかに生存者はいるの?」

「...いない」

「君は何歳?」

「...わからない」

「どこに住んでるの?」

「...」

「何を食べて生きてきたの?」

「...」

結局、ナミについてはほとんどわからなかったが、急ぐことはない。これから徐々に知っていけばいいのだ。

一緒に暮らすことを提案すると、彼女は考える間もなく頷いた。


おとなしいナミはハルと真反対ともいえる性格だったが、黒くてきれいな瞳がハルとそっくりだった。僕はナミのことを妹のように可愛がった。

僕が何かしてほしいことはあるかと尋ねると、ナミは色々な料理が食べたいと言った。僕はナミのためにできる限りの料理を作った。材料は限られており、ちゃんとした味付けもできないが、ナミは僕が作った料理をパクパクと食べた。その様子は、昔ハルと飼っていたキジトラの猫を思い出させた。


今度は色々な場所に行きたいと言うので、日本全国を巡ることにした。さすがに10年もたてば動かない車も多く、自転車での移動がほとんどだった。

彼女は何に対しても興味津々だった。天まで伸びる高層ビル群を飽きるまで見上げ、まだかろうじて趣が保たれている京都の街並みを歩き回り、行く先々での美術館では展示品をまじまじと見つめた。人類の残した遺産を余すことなくじっくりと確認しているようだった。

旅を経るに従い、無口だったナミは徐々に口数が増えていった。

「ナミ、よく喋るようになったね」

「そうですか?」

「でも、表情はまだまだ固いね。僕、ナミの笑ったところ見たことないや」

「そうですか」

「一回、笑ってみてよ」

「...こう、ですか」

「あははっ、ぎこちないなぁ」

そんな会話をしながら、僕たちはかつての日本を見て回った。

二人の旅は楽しかった。

以前一人で旅をした時よりも、ずっと楽しかった。


故郷の街に帰ってから間もなくして大きな地震が起きた。ぎりぎり形が保たれていた建物は軒並み崩れ、瓦礫となった。

かつての故郷が、また少し消えた。

そして、以前ハルと作った家も壊れてしまった。この世界は、ハルとの思い出までも僕から奪うのか。この世界の不条理に悔しさがこみあげる。

傷心している僕を励ましてくれたのはナミだった。

「ハルさんとの家、また作りませんか?私も手伝うので」

不器用に僕の手を握る彼女は、暖かくて、優しくて、僕は救われた気がした。


夏の日差しが照り付け、僕のひげをさらに暑苦しくみせる。僕は丸太に座りながら、慣れない手つきで鋸を引くナミを微笑ましく眺めていた。鋸の音だけが辺りに響き、時折、鳥のさえずりが遠くから聞こえる。

...僕は最近、人間のいないこの世界が本当の姿で、僕の記憶に残っている過去の文明はすべて見せかけだったのではないかと思うことがある。そのたびに、友達や家族、子供の頃の楽しかった記憶を思い起こして、人間としての気を保っている。

...最後まで、人間として生きるんだ。


完成した家もまた、不格好なものだった。曲がった柱、かがんだだけで軋む床。そのどれもが懐かしく思えた。

完成した家に二人で寝転がる。

「ありがとうな、ナミ」

「...なんですか、いきなり」

「家作るの手伝ってくれてありがとう」

「いえ、私も作ってみたかったですし」

「あと、ナミがいてくれて本当によかったよ」

「...」

「ナミと出会えなかったら俺、寂しくて死んでたかもな」

「...」

寝転がりながら、ナミの方に顔を向ける。

「...なあ、ナミ。俺はナミが好きだ」

ナミは驚いた様子で、少し目を見開く。

「...ありがとうございます。私も、あなたのことが好きですよ」

その機械的な返事が、いとおしくてたまらなかった。


その日は極寒だった。外では雪がしんしんと降り、辺り一面を白くさせる。冬はこの世界をより一層静かなものにしていた。

暖炉の前で真剣に本を読んでいるナミをみつめる。ナミと出会って、もう10年ほど経っただろうか。僕はまだ彼女のことを何も知らないでいた。40歳近くになる僕の顔は、おじいさんと言われても不思議でないくらいに老けていた。でも、ナミは初めて会った時と何も変わっていなかった。真っ黒な瞳も、綺麗な肌もずっと変わらない。唯一変わったことは、よく笑うようになったことだろうか。

薪をくべる僕に「ありがとう」といってナミが微笑む。お茶でもいれようとキッチンへ向かう途中、僕は倒れた。


体を動かそうとしても、どうも力が入らない。寝たきりの僕の横にはナミがつきっきりで看病をしてくれている。

「ごめんな、ナミ」

「謝らなくていいですよ。ゆっくり休んでください」

そう言って、ナミは僕の頭を優しくなでる。

「...なあ、ナミ。君は何者なんだい?」

「...」

「死ぬ前に、教えてくれないか」

「...知らない方がいいことです。それに、それを知ったら私のことを嫌いになると思います」

「俺は、ナミが何者であっても嫌いになんかならないよ」

「...残酷ですよ」

「残酷なことなんてもう慣れたよ。それに、もう死ぬんだ。覚悟はできてる」

「...」

ナミは、ぽつりぽつりと話し始めた。


自分が何者なのか。

なぜあの時、僕の前に現れたのか。

そして、この世界について。


「...ごめんなさい」

話し終えると、ナミは泣きだした。

「...いやあ、驚いたな。でも、謝らなくてもいいんじゃないかな。むしろなんていうか、感謝したいくらいだ」

「...」

「あと俺、最後まで生きててよかったよ。じゃないと、ナミに会えなかったんだし」

「...」

「最後に、聞いていいかな。...この世界はどうだった?」

彼女は涙をぬぐって、微笑む。

「とっても綺麗でした」

僕も安心して笑う。

そして、彼女と最後のキスをした。


...意識が遠のく中、彼女のすすり泣く声が聞こえる。

手が温かい。

彼女が握ってくれているのだろう。


...もう、ここまでのようだ。

ナミ、この世界のエンドロールを見ることができてよかったよ。


僕の意識が切れた。



「...人類の観測を終了します」

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