エンドロール
うもー
1話
世界が崩壊してから、だいたい10年が経った。
かつては人々の活気であふれていたこの町は、今では僕の地面を踏む音しか聞こえない。道路のひび割れからは雑草が茂り、左右に立ち並ぶ家々は苔の侵食が始まっている。
世界が崩壊したときのことは、はっきりと思い出せない。確か、不治の感染症が流行して、それが原因で大きな戦争が起こったんだ。病気と戦争で次々と人が死んでいく光景に、世界の終末を感じた。ある日から電気が使えなくなり、街明かりが消えた。食料の供給もストップしたが、食料の貯蓄が無くなるよりも早く、周りの人間が病で死んでいった。
感染症が流行し始めて1年ほどで文明は崩壊し、生き残ったのは僕と妹のハルだけだった。遺伝子の関係だろうか、なぜか僕たちきょうだいは感染症にかからなかった。当時の僕は18歳で、ハルは16歳。広い世界に、僕たち二人だけが取り残された。
幸いにも、缶詰やレトルト食品などの食べられそうな食料はまだ十分にあった。しかし、誰もいない閑散とした世界を眺めると、とてつもない不安と絶望に襲われた。
ハルは毎日泣いていた。
僕はハルを抱きしめながら、「大丈夫だよ」と意味のない言葉をかけることしかできなかった。
そんなある日、家の庭にキジトラの猫が迷い込んできた。ハルが猫缶を見つけてきて与えてやると、猫はがつがつと食べ始めた。食べ終わると僕たちの足にすり寄り、甘えた声でニャーと鳴いた。動物が大の苦手な僕は全身に鳥肌を立てたが、ハルは猫を抱きかかえ、嬉しそうに笑った。そんなハルの様子を見て、僕から猫を飼う提案をした。僕の動物嫌いを知っているハルは、「本当にいいの?」と心配してくれたが、僕の覚悟を伝えると「ありがとう、お兄ちゃん」と言って喜んだ。
僕たちは、猫に「トラ」と名付けた。トラは食いしん坊で甘えん坊なやつだった。僕は依然として動物は苦手だったが、何度もすり寄ってくるトラだけは可愛く思えるようになった。トラの存在は、僕たちの傷ついた心を癒してくれた。しかし、それでもこの世界には計り知れないほど大きな虚無があり、僕たちの漠然とした不安は消えなかった。
ある日、僕は家を作ることを計画した。この世界で生きていくには何か目標が必要だと思ったのだ。当然僕たちは建築についての知識は何もなく、せいぜい木の板を鋸で切ることができるくらいだった。でも、時間だけはたっぷりとあった。
半年ほどで完成したのは、柱や屋根が曲がっている不格好な家だった。中は6畳ほどの広さがあり、トラの歩行にすら床がぎしぎしと音を立てた。完成した家で初めて寝た日のハルの笑顔は今でも忘れない。この家は結局、雨漏りと隙間風がひどくて住めたものではなかったが、僕たちに強い達成感と高揚を与えてくれた。
すべてを失った世界で、一歩前に進んだのだ。僕たちはこの世界で生きていくための希望を掴んだ気がした。
ある日、トラが散歩に出かけたきり帰らなかった。僕たちは必死になって街中を探したが、見つけることはできなかった。
迷子になっているのだろうか。
まさか野犬にでも襲われたのだろうか。
ハルは声をあげて子供のように泣いた。
僕もつられて泣いた。
それからまもなくしてハルが倒れた。毎日のように嘔吐し、寝たきりの妹を僕はつきっきりで看病した。ハルがなんの病気で苦しんでいるのかわからないが、体は確実に衰弱していった。
ハルと二人で生き残ってから一年が経った頃、ハルは死んだ。僕の人生で一番悲しくて、絶望して、泣いた瞬間だった。
それからの僕は孤独だった。ハルを失った僕は、この世界で生きていく意味も失ってしまったように感じた。
ある日、死ぬ決心をしてビルの屋上に上った。
でも、結局死ねなかった。
死が怖かったわけではない。
柵をまたいで、眼下に故郷の街を見下ろしたとき、僕は死んではいけない気がしたのだ。
もし僕が人類最後の一人であれば、僕が死んだ瞬間、人類の歴史が終わる。今まで紡いできた長い長い歴史が終わる。もちろん、僕一人が生き残ったところで、いずれすぐに終わりは来る。でも、人類史の最後が孤独による自殺だなんて、あんまりじゃないか。
最後まで生き抜かなければならない。
そんな気持ちにかられた。
それは、人間としてのプライドとか、使命感とか、おおよそそんなところだと思う。
生きることを選択した僕だったが、やはり孤独はつらかった。夜寝るたびに、隣にハルがいないことを感じて死にたくなった。
ある日、僕は旅に出た。孤独を紛らわすためと、僕以外の生き残りを探すためだ。
適当な車を拝借して、初めての運転をした。最初は動かし方もわからなかったが、1か月もすればある程度の知識と技術は身に着いた。一時停止の標識を無視しながら、僕は誰もいない街を走り抜けた。車を変えながら、2年ほどかけて日本中のいたるところを巡った。しかし、生存者を見つけることはできなかった。
故郷の街に戻ってきた僕は、畑を作ることにした。昔、祖父の畑仕事を手伝った記憶を思い出しながら、桑で土を耕し、園芸店に残っていた野菜のタネを片っ端に植えた。数年放置されていた種から芽が出るのか心配だったが、翌年、想像以上に収穫ができた。久しぶりに食べた新鮮な野菜は、涙が出るほどおいしかった。
そんなこんなをしながら、だいたい10年が経った。
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