第53話 【挿話】彼と彼女の駆け引き

 王城の執務室のソファに、アルバートとルイーズが向かい合って座っていた。

 アルバートは、虚ろな目を宙にさ迷わせている。両手で顔をおおったルイーズは、まえのめりに身をかがめていた。

 今日のルイーズは、騎士の礼装を思わせる華やかな黒い上着を身につけている。腰が絞られた上着は後ろ裾が長く、尾の長い黒鳥のようだ。下に着ているのは、スカート部分にたっぷりと布地をとった白いドレスだった。

 二人の周囲が遮音、魔法妨害、視覚妨害の魔法に守られてから、どちらもまだ一言もしゃべっていない。

 刻々と時間が過ぎていく。

 ようやくルイーズが、重いため息をつき、のろのろと顔を上げた。


「呪い、解いたね」


 地を這うようなおどろおどろしい音が、その空間で発された第一声だった。

 誰が、と問うことは二人のあいだで無用だった。


「あのさあ、呪いを解けるっていうだけでも、国を挙げての一大事なんだよ。そのうえ他人の魔法を補助して、使えるようにする? なんの調整もなく、その場で?」


 指導者の立場にある魔法使いが、教わる側の魔法使いの魔力に関与して魔法の使い方を教えるという方法自体は、さほど特殊なものではない。ただしその場合、指導者には緻密な魔力操作能力が求められるうえ、たがいの魔力の質や量が反発しないように事前の調整を行わなければならない。


「本来は綿密な下準備をしてからやる訓練法だよ。それでも相性によっては失敗することもあるのに、まるでそよ風を吹かせるみたいにやってのけた」


 「そよ風を吹かせるように」はイスヴェニア王国での言い回しだ。そよ風を起こすことは、初心者でもできる簡単な魔法の代名詞だ。だからこの言い回しは、ほとんど「息をするように」とおなじ意味で使われている。

 それまで使えなかった魔法をあやつれるようになるには、大きく分けると二種類の方法がある。一つは、体験しておぼえるというやり方だ。たとえば炎の温度を一〇〇度単位で変えるために、温度を測りながらくり返し魔法を使い、発動のさせ方や魔力量などの調整を体におぼえさせるのだ。もう一つはもっと手軽で、属性や魔力が適合していて能力的には使える場合、その魔術式を魔法紋に書き加えるという方法だ。

 ノアが最初にエミリアに行使したのは、前者に近かった。ただし彼の場合は、誘導だけでなくエミリアの魔力を使ってノアが魔法を発動させ、その感覚を相手に叩きこんだ。それは、たとえるなら剣の達人が訓練生の体をのっとって剣技を振るい、適切な姿勢や力の入れ方、体の動かし方を直接わからせたのにひとしい。

 そんな強引な教え方は、指導者にも指導される側にも危険がともなうため、普通は行われることはない。


「あんなのをみせられたら、魔道具にあとづけで効果を付与するだとか、新しい魔道具を開発しただとか、既存の魔道具に信じられないような改良をするだとかだって、あたりまえに思えてくるよ。いや、あたりまえじゃない、違うからね、しっかりしろわたし」


 ルイーズが、流されてはいけないと自分にいいきかせる。

 魔道具は、魔法を付与されたあとは「閉じられる」。たとえば耐火仕様のはずの外套から、その効果を取り去ることが簡単にできたら危険きわまりない。だから、一度魔法付与が終わった魔道具はそれ以上の変更を受けつけないようにされるのだ。効果を変える場合は、専門家による手続きを経なければならない。つまり、もともと認識阻害の機能が備わっている上着に、第三者が後から記憶阻害や遮音の魔法を組み込むことは一般にはできないとされている。

 また新しい種類の魔道具は、使用前に国に申請をする必要がある。とくに警備に関するものは、その影響の重大さから効果を厳重に吟味される。眼鏡をかければ見た目が変わる魔道具が制作されたなら、そのあつかいに関しては国が慎重に議論するはずなのだ。

 さらに、魔道具の改良は常に行われている。しかし、大人が両腕で抱えるほどの大きさと重さの「ときろく」を、記録部分だけとはいえ直径二シーエム程度の球にしてしまうのは、改良の範囲を超えてほぼ新作に近いといえる。

 つまり通常は、どこかの少年のように気楽に魔法付与をしたり、新たな魔道具を生み出したりといったことができるわけではないのだ。


「どれだけ規格外なんだよ、ノア・カーティス! いや、大魔法使いだけどね! だからって、あそこまでできなくてもいいだろう。世間には、もっとこう、ここまで破天荒じゃない大魔法使いだっているっていうのに」


 大魔法使いは、魔法の使い方が標準的ではない者に対する称号だ。現在、国から認定を受けている大魔法使いの中には、膨大すぎる魔力を押さえるために体中に封印紋を刻んでいる者や、魔法を使ったさいの効果が他者と違いすぎるため自身を研究対象としている者などがいる。

 そんな大魔法使いたちとくらべても、ノアがしたことは規格外だったのだ。


「そして美貌だね。いまのところ、表立った被害者がロバートくらいだっていうのは僥倖だよ」

「そういえば、ロバート・チャップマンは彼の女神を諦めたのか?」


 少女に扮装したノアに懸想した大男のことを思い出して、二人が渋いものを食べたかのようにくちびるを歪めて笑う。


「あのときエミリアちゃんを訪ねたのが、ルイーズ・グレンヴィルだということまでは突きとめたようだね。なんだか面会の願いがきているようだけど、すべて断るように指示してるよ。どこかで待ち伏せしているかもしれないけれど、わたしをみてもあの少女だとは思わないだろうね」

「なるほど。ルイーズではなく、姉君か誰かだと勘違いするか」

「いま、屋敷に従妹も滞在しているしね。まっ、彼の愛しの女神さまじゃないのはひとめでわかるから、とくにわたしや縁者になにかしてくることはないだろうさ」


 そんなことよりと、ルイーズが手のひらでテーブルを打った。


「ノアは生きてしゃべる厄介事の火種だよ。それなのに、どうしてあんなにも危機意識がないのさ! 自己認識が甘いんだよ! 塔も塔だ、秘蔵っ子だというなら秘蔵したままにしていてほしかったね。突然野放しにするんじゃない、おかげでこっちは大混乱だよ!!」

「私の気持ちをあますところなく代弁してくれてありがとう、ルイーズ」


 アルバートが、疲れた様子で目頭をもむ。ルイーズはソファに背をあずけると、高く足を組んだ。


「さて、アルバート。ノアは呪いを解くことができると判明した。この件は、もはやわたしたちの手には負えない。そうだろう?」

「……国に報告はしよう」


 含みのある言い方に、ルイーズの右の眉が上がる。


「だが、私はノアの代理人だからね。私が窓口になり、可能な限り彼に影響をおよぼさないかたちにする」

「どうして、そこまでするんだい。『友情ごっこ』は学園内に留めるよう、わたしは忠告したはずだよ」


 緑の宝石をあしらった指輪をつけた人差し指が、スカートの上からトントンと腿を叩く。


「生徒としてあつかえる問題の領分をはるかに超えているね」

「多少、逸脱をすることはあると言った」

「悪いけど、ことば遊びをする気分じゃあないんだ。そもそも『多少』の範囲に収まることでもないね」


 アルバートが茶碗に口をつけた。喉を湿らせるあいだ、ルイーズは黙って彼をながめていた。


「いくらアルバートがノアを気に入っていようが、限度というものがある。あなたがしないなら、わたしがこの一件を報告するよ」

「ルイーズ、私がノアを矢面に立たせたくないのは、彼が友人だからという理由ではない」

「ふぅん?」

「イスヴェニア王国を治めておられるのは国王陛下だ。そして私は一家臣として、また第二王子として、なにがこの国にとってよいこととなるのかを常に考え続けている」


 まっすぐに相手を見て、誠実にアルバートが語り続ける。


「だから言うのだ。善良な王国民が、謀略に足を取られることなく、悪意に害されることなく、己が望むことを成せる。私は、イスヴェニア王国がそのような国であるべきだと信じている。そのために自分にできることがあるならば、それをするのにためらいはしない」


 ルイーズが姿勢を正した。顔つきがあらたまり、頬に厳しさが宿る。


「無礼を承知で申し上げます。この度のことは、第二王子殿下がお一人で対処されるには事態が大きすぎます」

「だが、無理ができない範囲ではない。少なくとも、無理を承知で動くことはできる」

「具体的には、どうされるおつもりですか」

「呪いの件で直接動いているのは、臨時編成された『グラン・グランの遺産第六種第七一四番第二号関連事件対策隊』、通称『呪い対策隊』だ。その隊長と、呪い関連で協力している魔法省の人間、そしてもちろん国王陛下に、私と私の友人が協力すれば呪いを解くことができると話す。ただし解呪関連の詳しいことは、呪いにまつわるため禁忌が多く、教えることができない。したがって、私が事態をとりしきり、定期的に報告することで、当分のあいだは不干渉でいることを求める」


 ルイーズが、表情を変えず「それが可能だと思われるのですか」とだけ冷たく訊ねる。


「交渉次第だな。提示する条件によっては、充分勝算があるだろう」

「交渉を成立させるためには、アルバート王子殿下はご自身の権力の範ちゅうを超えたご尽力をされなければならない。そのすべてが、ノア・カーティスへの友情とは無関係だと本当におっしゃるのですか。ノアではなくほかの誰であっても、イスヴェニア王国民であれば、そこまでなさると?」


 アルバートがほほ笑む。彼がまとう誠実な空気は、話し始めたときから変わることはない。


「もちろんだとも。私はイスヴェニア王国民を愛しているからね」


 彼の表情も声も、真摯で信頼のできる王子のそれだ。

 ルイーズが、おもしろくなさそうに頭を小さく左右に振った。


「演技がお上手でいらっしゃる」

「嘘などついていないが?」

「ひとりごとです、お捨ておきください。王族の方がたには必要な資質ですし」


 アルバートが本音を語っていないとこぼしたルイーズだが、その点についてそれ以上追求することはなかった。


「お考えが変わることはなさそうですね。承知いたしました。では、アルバート王子殿下の御心のままに。わたしはいったん口をつぐんで、状況を見守らせていただきます。また、交渉で提示する条件とやらがなにかを訊くつもりはございません」

「ありがとう、ルイーズ」

「さて、わたしはそろそろこの件から退きたく存じます。殿下ほどの器量がない身といたしましては、あまりにも責が大きく、とうてい我が身に背負えるものでは」


 ありません、と、ルイーズは続けることができなかった。身を乗り出したアルバートが、両手でルイーズの右手を握りしめたからだ。


「ノアのあと始末を、私ひとりにまかせると?」


 王子と侯爵令嬢の関係ではない距離と仕草に、ルイーズからも臣下の態度がはがれおちる。


「まかせるもなにも、自分で選んだことだろう」

「頼りにしているよ、ルイーズ」

「わたしが欲しいのは、信頼よりも解任なんだよ!」


 アルバートの口元の笑みが深くなるけれど、その目は笑っていなかった。彼の表情にも握る手の強さにも、「いまさら抜けさせるものか」という決意がみなぎっていた。


「このあいだアルバートは、わたしが本気で負担が大きいと思うなら、やめさせてくれると言ったじゃないか」

「いつの話をしてるんだい。条件など、日々変わるものだ」

「横暴だよ!」


 ルイーズが手を引き抜こうとするけれど、アルバートがそれを許さない。王子を邪険に振り払うことができず、ルイーズの頬が引きつる。


「そうだな、交渉より先に、宰相に相談をしたほうがいいだろう。ノアへの不干渉への交換条件は、サザーン公爵家の次男が起こした不祥事の真相か、それともファイスト諸島からきた植物の種の輸入についてか、どちらがいいだろう?」

「条件を訊きたくないといったはずだけど!」

「ルイーズがいるのだから、昨年の冬の園遊会の件という手もあるか。あれはなかなかの醜聞だった」

「わたしも交渉の場にいるのが決定なのかい!?」

「当然じゃないか」

「親愛なる王子殿下、どうかほかの人間をあたってくれないかな」


 なんとか今後のかかわりを辞退したいルイーズと、なにがなんでも引きこむぞという気合いの入ったアルバートが、どちらも負けるものかと駆け引きを続ける。

 勝敗の行方は、新年の休暇明けまでもちこされることになった。

 さてイスヴェニア学園にはさまざまな部活動があり、新しく申請することもできる。その場合に必要な条件の一つが、最低四名の部員がいなければならないというものだ。

 この冬、新たに一つの部が申請された。その名は「大魔法研究部」だった。そこに連ねられた部員の名前が――アルバート、ノア、エミリア、オードリーに加えてルイーズとあったのが、二人の争いの結果を物語っていたのだった。




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お読みくださり、ありがとうございました!

おかげさまでここまで書くことができました。

ひといきついて、続きを始めたいと思っています。


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大魔法使いノアと99の呪い~16歳までに解かないと自分が呪われる契約を結んでしまった~ くろす・ねひる @nehiru

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