[幕間16ーside ミラ]夜色キツネと地下牢①
廊下に出ると喧騒の音が響いていた。
エリアスたちの陽動はうまくいったらしい。目の前を兵士たちが慌ただしく行き交っていく。正面から入り込んだ敵を迎え撃つのに必死って感じだ。一兵卒がうろついていたってまず見向きもしない。
スノウに通信
城内の地図も地下への入り口も、ぜんぶ頭の中に叩き込んである。
周囲へ目を配りながら慎重に歩き、オレは地下へと潜り込んだ。ここまでは計算通り。問題は牢の中へ入ってからだ。
+ + +
サフィーの調べ通り、地下牢には魔力抑止の結界が張られていた。一度入り込んでしまえば魔法は使えない。ってことは、
闇に紛れ、今度は猫に
エリアスたちの侵攻の最中にあっても、看守は自分の職務を全うしていた。まだ真夜中だし、目は冴えているみてえだ。鋭い目つきで入り口を見張っている。
オレは音もなく跳躍して背後を取り、人型に
(悪ぃけど、眠っててくれよな)
さて。あんまり時間をかけてもいられねえし、さっさと内務大臣を探すとするか。
たぶん、
もしかしたら奥の方まで進まないと見つけられないかもしれない。
逃走経路もなく奥まで探索するのはかなりの危険だ。サフィー率いるゼルス支部の《闇竜》が地下を調べられなかったのは、それが理由だろう。魔法が使えない地下牢の奥なんて探索するには危険すぎるもんな。オレはエリアスみてえに腕っぷし強くねえし、逃げ道を確保しつつ慎重に進まねえと。
地下牢には歴代の政治犯を多く捕えているとは聞いていたけど、牢に入っているやつは何人かいた。どれも手枷や足枷でつながれていて厳重に捕えられている。時たまうめき声をあげるやつもいた。
こりゃ、早く
そんなことを考え始めた時、オレは異変に気付いた。
立ちこめる嫌な鉄の匂いが鼻につく。薄暗がりの中でもわかる赤黒い染み。何度も嗅いだことがあるし見たこともある。これは血だ。
気がつくとオレは早足で急いでいた。
最奥の牢、鉄格子の鍵を開ける。慌てて入ったその部屋で見つけたものは、オレが考えていた中で最悪のものだった。
「……うっ」
まるで
服は切り裂かれ、剥き出しの肌も傷だらけだ。白に近い薄い色の長い髪はべっとりと首や肩に張り付いている。耳は
「おい、大丈夫か!?」
なるべく耳もとで声をかけてから、胸の辺りにそっと耳を押し付ける。三角の耳はぴくりと動いたし、心臓の音も聞こえた。よし、生きているぞ!
できるだけ早く助け出して医者に診せたい。まずは手枷をはずして下ろしてやらねえと。
壁際にあるレバーを下げてゆっくりと床におろす。狐の耳が出ているのなら当然尻尾だって出ているはずだ。傷になるべく触らねえように横向きに寝かせて初めて、オレは異変に気付いてしまった。
尻尾の数が、足りない。
「は?」
オレたち妖狐は生まれ落ちたその時から尻尾の数は九本だ。大人になってから数が増えることも減ることもない。なのに氷翠の尻尾は一本しかなかった。
オレのように
妖狐の
ということは、氷翠の尻尾は本当に減っているんだ。
オレの中で堪忍袋の尾が切れた。頭の中が沸騰し、顔に熱が上った。
奥に進むごとに血なまぐさく感じた。その原因になんでもっと早く気づかなかった!?
氷翠の尻尾が少ないのは減らされたからだ。想像もしたくねえけど、たぶん鋭利な刃物で切り落としたんだろう。こんなの、もはや拷問じゃねえか!
許せねえ。こんな仕打ち、同じ妖狐として絶対に許しちゃいけねえ!
氷翠を邪魔に思うヤツは一人しかいない。レットだ。
仮にも兄貴、いや家族なんじゃねえのか。なぜこんな
「落ち着け、オレ。まずは治療だ」
大きく息を吸って吐く。すると怒りで火照った身体から少し熱が引いていくような気がした。
ウエストポーチを開け、小袋を取り出す。紐を引っ張って口を開ければ、小ぶりの葉がたくさん入っている。スレイトがオレの身を案じて作ってくれた幻薬、メディカルハーブだ。
たぶんあいつは、オレが怪我をした時に役立つように作ってくれたんだと思う。優しいスレイトのことだ。きっと氷翠のために使っても怒りはしねえだろう。たぶん。
床に直接座って、氷翠の頭を持ち上げ膝に乗せてやる。
メディカルハーブは葉っぱの形をしているものの、口に入れればすぐに溶けるという。飲み込まなくていいのはすげえ助かる。けど、目も口も固く閉じている氷翠にどうやって飲ませようか。
「……誰だ」
「おっ、気がついたか?」
切れ長の瞳は
「レット……ではないな」
「オレは
「……助けなくていい。いっそのこと殺してくれ」
淡々と抑揚のない話し方は満身創痍だからなのか、それとももともとの性格だからなのか。片割れの
「せっかく苦労して助けに来たのにそんなこと言うなよ!?」
「死んだら幽体になり、レットを呪い殺しに行くのだ。我が家の面汚しめ、今後のために潰しておかねば国王陛下に申し訳なさすぎる」
「いいから喋らず口開けたままにしてろって! つーか、死にかけてるくせに元気だな、あんた!?」
「…………わかった」
眉間に皺を寄せたまま、氷翠は小さく頷いてやっと口を開けてくれた。二、三枚の葉っぱを口に放り込めば、氷翠は口を閉じてくれた。もう一度目を閉じてしまったことは本気で肝が冷えたが、続けて小さなため息をついたので胸を撫で下ろした。どうやら意識が飛んだわけじゃなさそうだ。よかった。
「おまえはゼルスの者か?」
「いや、違ぇけど」
「ならば、即刻立ち去るがいい。ゼルス国民でない者が巻き込まれてはいけない」
氷翠は生まれも育ちもゼルスだって話だったけど、話す言葉は和国民みてえだ。すげえ懐かしい。
「心配してくれてありがとな。けど、オレはエリアスと一緒にあんたを助けに来たんだぜ?」
「エリアスが……?」
瑠璃色の瞳が再び開く。薄暗がりの中、どこまで見えてんのかわからねえけど、オレは真上からにぃっと笑ってみせた。
「そ。奪われたもんを返してもらいに、城に来てんだ。オレはあんたを助ける役目ってわけ」
「そうか。エリアスが来たのなら、もう大丈夫だな……」
「そういうこと!」
明るく励ますと、氷翠は少しだけ口もとを緩ませた。さっきよりは少しだけ顔色が良くなった気がする。
慎重に氷翠の頭を床の上に下ろすと、オレはしゃがみこんで、さらに何枚か葉っぱを食わせてやった。
「これだけ食えば少しは回復できるだろ。あんた
「ああ、それなら造作もな——、」
抑揚のない声が不自然に途切れる。本来なら、オレはこの時に気付くべきだった。
瑠璃のようなきれいな目が大きく開かれ、氷翠はかすれた声で叫んだ。
「
「え?」
振り返った時はすでに遅かった。強い衝撃が後頭部を襲った。声をあげる暇さえなかった。
世界が点滅している。暗くなっていく。これはやばい。
「鼠でも入り込んだと思ったが、狐じゃねえか」
のろのろと起き上がる。頭がガンガンしてめちゃくちゃ痛い。けど、ここですぐに立ち上がらねえとやられちまう。
顔を上げて、敵を確認する。
相手は薄闇の中であってもなお、赤い色が目立っていた。広い肩と体格のいい身体。赤いオールバックの髪。そしてぎらりと光る、猛獣に似た目を持つ男。
レット・ガルディアンだった。
最悪、だ。
「そういや貴様には傷の礼もまだだったな。この俺様が可愛がってやる」
鋭利な刃物のような殺気が肌に突き刺さる。
来る。だめだ、動けねえ。よく見えない。
「うっ」
鳩尾のあたりに強烈な一撃を打ち込まれた。
必死に繋ぎ止めていたオレの意識は、あっけなく奈落の中に落ちていった。
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