[7-2]監視か、護衛か

 薄い氷片のように繊細な声が耳に心地よかった。淡い水色の髪に縁取られた白くて愛らしい顔は本に描かれる精霊のようで(実際には半竜なんだが)、心が躍りそうになる。

 第一声が「待ちくたびれた」と苦情を言ってくるところがスノウらしい。うれしくて、ついにやけてしまった。


「ミラならヒスイを探しにさっき出て行ったよ。今のところ、医務室には誰もいない。こっちに来るなら今かも」

「スバルもいねえのか?」

「うん」


 スノウは早速情報を共有してくれた。医務室の状態を知れるのはありがたい。


 それにしてもおかしな話だ。前にスノウは言っていた。スバルはスノウの監視で医務室から離れようとしないのだと。

 なのに今いないのはどういうことだ? 敵襲という非常事態に、なぜスバルはスノウの監視を離れてんだ?


 思わず胸のあたりをつかんだ。妙にざわつく。嫌な予感がする。


 スバルが医務室にいるのはスノウを監視するためだと言っていた。スノウ本人からそう聞いたが、本当に奴はスノウを見張っていたのか。


 スノウは片足が不自由で杖を使わなければ歩くこともできない。杖を使っても、歩行にはかなりの時間がかかる。つまり自力で逃げ出すのは不可能だ。

 そりゃ竜型になれば杖がなくても飛ぶことはできる。それでも屋内でドラゴンが飛んでいたら嫌でも目立っちまうから、こっそり逃げ出すのは無理だ。

 そんな捕虜相手に監視なんて必要か? 俺だったら、まず下っ端の構成員を見張りにたてるだけにしておく。人材は有限なんだ、貴重な戦力を割いたりしない。

 ただでさえ《赤獅子》を乗っ取ったばかりで忙しい時期だ。なのに、どうしてツムギは監視として、スノウのそばにスバルを置いたんだ?


 ふと脳裏に、獰猛な獣の目をした赤い魔族ジェマの男が浮かんだ。

 レット・ガルディアン。ツムギを利用して今回の追放を企てた男。奴は国王の命も狙っているというが、前々からスノウにも目をつけていた。いにしえの竜と人との間に生まれた半竜であるスノウが物珍しかったからだ。

 そんな危険人物と手を組んだツムギが、奴がどんな男なのか気づかないはずがない。

 協力関係にありながらも、ツムギはレットのことを心から信用してなかったんじゃねえのか?


ツムギが何を考えているかなんて、俺にはわからねえ。

 組織と国を乗っ取った目的はいまだに不明だ。本音なんて、本人の口から聞かなければ俺にわかるはずもない。


 もしも、だ。

 仮にツムギがスノウのそばにスバルを置いた理由が、監視ではなく護衛だったとしたら————。


「スノウ、今からそっちに行くから絶対に誰も入れるんじゃねえぞ。鍵をきちんとかけとけよ」

「わかってるよ。エリアス、心配しすぎ」


 半眼の呆れ顔でスノウは小さく頷いてくれた。だめだ、俺の心配なんて一ミリも伝わってねえ。

 そりゃそうだよな。スノウは基本的に他人を信用しない。俺を追放し国を乗っ取った首謀者の一人が医務室に入り浸っていた理由なんて、かれにしれみれば知ったこっちゃない。

 スバルのやつ、一体何をしているんだ。こんな非常時に、なんでスノウを一人にしてんだよ!


「スノウ、ツムギはどこにいるのかわからねえのか?」

「知らない。あの人、医務室に来たのなんて一回きりだし。しかも文句を言いにきただけ。《赤獅子》の執務室にでもいるんじゃ——、」


 不意に。

 淡々と話すスノウの背後に音もなく影が現れた。


 俺の隣でスレイトが息を飲むのがわかった。俺も叫ぼうにも、突然すぎて声を出すことができない。

 後ろに誰かいる——。

 

「私を、呼んだか?」


 華奢なスノウの肩を、白い手がつかんだ。

 水晶に似た薄青の玉に、一人の男が映り込んだ。片目を長い金の前髪で覆った魔族ジェマの男だ。そいつはひどく冷たい目をすがめて、こちらを見ていた。

 ひと時だって名前を忘れたことなんてねえ。魔法で飛ばされる直前、強くつかまれた首の痛みは今でも覚えている。

 

 ったく、なんつータイミングで現れやがんだ。

 最悪の展開、いわゆるピンチってやつに違いねえのに、俺は自分でも驚くほど冷静だった。いや、むしろ緊張してるのかもしれねえ。なんたって追放されてから初めてのご対面だ。


「ツムギ……!」


 振り返ることができないらしく、スノウは青い目を大きく見開いて固まっていた。

 ツムギは秘密裏に通信していたことを咎めなかった。視線はこちら——、いや、俺をまっすぐ向けたままきつく睨んでくる。


「……どうやって、鍵を」


 かすれた声でスノウが尋ねた。すると、ツムギは初めて俺から視線を外しスノウを見、口もとを緩めて笑った。


「あれくらいの簡単な鍵、この私が外せないとでも?」

「あ、ちょっ……!」


 ぐらりと映像が大きくぶれた。いや、動いたのか。どうやらツムギがスノウの手から通信珠を奪ったらしい。

 次の瞬間にはツムギの顔が大きく映し出され、スノウは見えなくなってしまった。


「なるほど、通信じゅか。よくも魔法具など手に入れられたものだ」

「返してよ」

「……深狼みらの仕業だな」

「……!」


 スノウが黙り込んでしまった。画面の中のツムギは冷ややかに薄青の目を細めた。


「レットから、澄晴すばるに瓜二つの黒髪の男に会ったと報告は受けている。相変わらず抜け目のない男だ」


 やべえ。そういや、ツムギはミラの幼馴染だったな。ミラの兄貴——スバルも一緒にいるんだ、そりゃミラのことを知っているか。

 今、ツムギにミラが侵入している事実が知られるとまずい。単身で地下に入り込んでいるあいつの身が危険になっちまう。


「……エリアス」


 スレイトも俺と同じことを考えていたようだ。不安げな声をあげた。

 くそ。さすがになにもかも順調に事は運ばねえか。


「ツムギ、てめえスノウやミラに手を出したりしたらわかってんだろうな」


 ツムギが医務室にいるのなら、もうスノウは捕えられたようなもんだ。もしここでミラも捕まったらまずいぞ。

 牽制の意味があるかはわからなかった。しかし、きつく睨みつけてガンを飛ばせば、ツムギはどういうわけか不思議そうな顔で首を傾げた。


「おまえこそわかっていないようだな。深狼みらがおまえの側についているのなら、あいつは全力で私を殺しに来るだろう。そうするだけの理由が深狼みらにはあるからな」

「はあ!? そりゃどういうことだよ!」


 ミラにツムギを殺す理由があるだって? そんな話、聞いてねえぞ!?


「今さら先生に手を出すつもりはない。エリアス、正直おまえには二度と会いたくはなかったが、おまえも向かってくるならさっさと来るがいい。深狼みら共々まとめて相手をしてやる」


 ツムギは氷点下の目で睥睨へいげいし、宣戦布告をした。その後、ぷつりと通信は途絶えてしまった。








「……くそ! 反応しねえ」


 何度魔力を込めても通信珠は反応しなかった。ツムギの奴、完全に通信を切りやがった。


「こりゃもう通信珠は使えそうにないねぇ」

「そうだな。もうスノウに通信させねえだろう」


 いつかはバレるとは思っていた。スノウは完全な裏の住人じゃない、半竜だ。俺やミラみてえにうまく立ち回れるほど器用じゃない。


「あー、これからどうするかな」

「うーん、おれとしてはミラのことは心配。だけど、ツムギって人はたぶん医務室から離れないんじゃないかな? きっとあの人がスノウくんのそばに来たのは守るためだよね?」

「たぶんな」


 そうだ。スノウも言っていたじゃねえか。滅多に医務室に近寄らなかったツムギが現れたのには理由がある。

 たぶん、スバルはスノウの護衛につくことができないなにかがあったんだろう。だから、代わりにツムギが来た。ということは、ミラが侵入しているとわかっていても、あいつがミラを追いかけることはねえ。


 あいつも言ってたじゃねえか。向かってくるなら、さっさと来いと。


「よし、方針は決まったぜ。とりあえず俺たちは医務室に向かおう。ツムギの望み通り、俺たちから出向いてやろうじゃねえか」

「うん。そうしよう!」


 俺とスレイトは互いに頷き合い、前へと歩み出す。だいぶ数が減ってきているとはいえ、前方にはまだ敵がいる。手早く片付けて、ツムギのやつも叩きのめしてやる!

 どうか無事で。待っていろよ、スノウ!

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