第七夜 赤獅子と大蛇と竜

[幕間15ーside スノウ]躍り出た狼とアイスブルーの玉

 子どもの頃から、僕は人族が大嫌いだった。



 僕と同じ癒しの特性を持ついにしえの氷竜、母さんはもともと人里から遠く離れた巣穴に住んでいた。けれど、父さんと一緒に暮らすようになり、僕が生まれてから僕たち家族は家を購入して人の近くで暮らすようになった。

 魔術師であり、また研究者でもあった父さんは執筆した本を売って生計を立てていたみたい。それでもわずかな稼ぎで生活は貧しかった。母さんの竜石を売ればもっといい暮らしができただろうけど、人族にとって価値のある竜石は狙われる原因にもなってしまう。当然のことながら、父さんが外で仕事をしなければ食べていけなくなった。

 

 予想していた通り、父さんの留守を狙って母さんや僕を狙う輩が現れ始めた。僕を守ろうと母さんが傷つくたびに、僕は人族のことが嫌いになった。

 どうして、こんな人たちのために僕たち家族の自由が奪われなければならないのだろう。


 そんな生活が一変したのは、エリアスと出会った時だ。


 僕が行き倒れていたエリアスを拾ってくると、父さんは顔をしかめながらも追い出したりはしなかった。家の中にあった食べ物ぜんぶエリアスに食べさせたあと、必要な荷物だけ持って、僕たちは住み慣れた家をあとにした。

 その日、父さんはエリアスと僕たち家族を連れて、山の上にある洋館を訪ねた。母さんの竜石を持って商人ハルティアと取り引きをして、闇組織 《宵闇のしるべ》の傘下に入り庇護を受ける道を選んだんだ。

 僕たち家族とエリアスを守るために。


 《宵闇》に入ってからも、僕たちはたくさんの悪意にさらされてきた。さらわれたことだってある。それでも家族だけで住んでいたことよりずっと安全だったし、いろんな人に助けられてきた。受けた恩を忘れることはないけれど、この身に抱いてきた恨みは消えることはない。


 人は嫌いだ。信用なんかできない。

 でもエリアスは必ず僕を迎えにくると約束してくれた。大好きな彼の言葉だけは信じることができると思うんだ。


 今日、ついにエリアスたちがやってくる。

 奪われた組織 《赤獅子》とこの王城を取り戻すために。内務大臣ヒスイの保護とゼルス国王を守るために。……そして僕を迎えにきてくれる。


 起きた時から胸のあたりが騒がしかった。もしかすると、柄にもなく緊張しているのかもしれない。

 こもった空気を外に出すため、窓を開ける。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

 外はすっかり夜が更けていた。ただ黙って空を見上げていると、しんと静けさが広がっている。


 僕が幽閉されているこの医務室は城の一階にある。僕が杖なしじゃ歩けないのと、高い階層だと怪我人を運び込むのが困難になるのが理由で、エリアスは一階に医務室を作ってくれたんだよね。

 あれ、何か聞こえる。自前のウサギに似た長い耳を動かす。

 金属同士が滑るような……剣戟の音だ。あとは言葉にならないたくさんの叫び声と悲鳴。喧騒の音。もしかして、ついに始まった……?


「……っ!」


 視線を感じる。ふいに見つけたのは闇の中に灯る二つの光だった。

 なに、と思った瞬間、続けて大きな風が部屋の中に飛び込んできた。ううん、風じゃない。素早い獣——、狼だ。


「あっ」


 なんで城の中に狼が。どうしよう。すごくまずい気がする。これっていわゆる、ピンチなんじゃないかな。

 こんなことを呑気に考えられるくらい、僕は冷静だった。

 だって、紫がかった黒い狼は大人しかったし、襲いかかってくる様子もなかった。じっと見てくる瞳はすみれの色に似ている。

 まじまじと観察していると、狼は小さな破裂音を立てて消えた。


 煙に混じって現れたのは一人の男。ほっそりとした体つきで、顔だけはあの無愛想なスバルに似ている。うなじのあたりで長い黒髪を一つに結んだ、スバルの片割れ——ミラだった。


 え、どういうこと? もう入ってきちゃったわけ?


 ぽかんと口を開けていると、ミラは音もなく室内を歩いていって僕が開けた窓を閉めてしまった。喧騒の音が小さくなっていく。

 静かにカーテンを引き、彼はくるりと振り返って僕の方へ顔を向けたあたりで、僕はようやく声をかけた。


「きみ、もしかして……」

「初めましてだな。スノウ」


 前に氷鏡の儀式で話をした時に声を聞いたことはあった。あの時も気づいてはいたけれど、始めて聞く肉声はやっぱりスバルと同じだ。


「オレはミラ。エリアスからあずかった物を届けにきたぜ」


 まるでイタズラを思いついたように、ミラは無邪気に笑った。親しみのあるその雰囲気は間違いなく、前に誓いを立ててくれたミラ本人だ。無骨で愛想がなくて、にこりとも笑わないスバルとは別人。

 まさか、こうも簡単に城の中に侵入してくるとは。なんて頼もしいんだろう。


「びっくりした。まさかこんな堂々と入ってくるなんて」

「ふふん、変化には自信があるんだぜ」

「そうなんだ。今日はスバル、来ていないから大丈夫だと思う。……お茶でも淹れようか?」


 前にスバルは僕のお茶を飲まなかったけれど、ミラならもしかすると飲んでくれるかもしれない。そんな小さな期待をこめて誘ったのに、彼は申し訳なさそうに小さく首を横に振った。


「悪ぃけど、あんま時間がねえんだ。エリアスたちが頑張ってくれてる間に氷翠ひすいを探さねえと」

「そっか」


 今は作戦行動中だもんね。悠長にお茶を飲んでいる場合じゃない。仕方ないか。

 小さくため息をついて視線を落としたら、ミラは笑って目の前にまあるい玉が突き出してきた。


「これは?」


 どこかで見た色の玉だ。淡い水色の玉は中をのぞくと、キラキラとした小さな粒子が閉じ込められている。アイスブルーに似たその玉は、僕が作り出す竜石に似ていた。


「エリアスが持っている通信珠の片割れ。こいつをオレはあんたに届けに来たんだ。回数はあと二回しか使えないらしいけど、使うなら今なんじゃね?」


 顔を上げて視線が合うと、ミラは口角を上げにやりと笑った。

 彼の提案に僕はひとつうなずく。


「そうだね。エリアスにはもうすぐ会えるわけだし。……僕が知っている情報はほんの少しだけれど、もしかすると彼の役に立つかもしれない」


 情報提供なんて、ただの言い訳だ。ほんとうはただ会って、言葉を交わしたいだけ。

 でもミラは「いいんじゃね?」と言って、いい笑顔で笑ってくれた。

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