[6-6]二人だけの秘密基地

 生まれつき体格に恵まれ運動神経がよかった俺と、片足が不自由になった半竜のスノウ。そんな俺たち二人が行ける場所には限りがあったが、一つだけ。大人たちの目を盗み、日が暮れるまで二人だけで時間を過ごしたお気に入りの場所があった。

 スノウが好きなのかはわからねえけど、俺は今でも気に入っている。大切な思い出の場所だ。


 幸運なことに今日は晴天だった。雲は少ないし、雨が降ることはなさそうだな。

 身体のバランスを取りながら慎重に踏み込み、腰を下ろした。爽やかな風が俺の髪を揺らす。

 コートの胸ポケットに手を突っ込み、通信じゅを取り出してみる。……さて、目的の場所に来たのはいいがどうやって連絡を取ろうか。


 俺が宰相をやっていた時、午前中の医務室はもはや戦争かってほど大忙しだった。

 スノウは歩くのが苦手なのに、杖を器用に操ってぱたぱたと動き回っていたっけ。俺の部下たち、腹を壊したり怪我をすることが多かったからな。きっと、今頃も忙しくしているだろう。

 実際、スノウが連絡を取ってきたのは早朝や夜の時間だった。氷鏡の儀式をする余裕なんてないよな。


 夕方か、それとも夜か。スノウがいつ通信してくるのかわからない。ま、時間は十分にあるわけだし、ずっと待っていてもいいか。日が暮れたら寒いが……。


「うおっ!?」


 ゆっくりと流れる雲を見ながらそう思っていたら、突然てのひらの通信珠が明滅し始めた。危うく手を滑らせて落とすところだったぜ。危ねえ。

 こんな朝の遅い時間にスノウが連絡してきた。なんでだ。

 ええと、これどうやって通信に応えたらいいんだ? たしか、キーワードを唱えてたまに魔力を込めるんだっけ。


「スノウ、こんな日中に連絡くれるなんて珍しいな。医務室は大丈夫なのか?」


 初めてでうまくいくか不安だったが、通信珠は無事に起動したらしい。薄青の玉にはちゃんとスノウの姿が映っていた。

 浴槽や洗面器の氷面に比べれば、だいぶサイズは小さい。手のひらサイズの珠だから仕方ねえか。


「うん。大丈夫。今、《赤獅子》のみんなはツムギと一緒になってお城にこもってるみたいだから、怪我人なんて滅多にこないよ。スバルを追い出して鍵をかけたから、今は僕一人」


 よし、声もはっきり聞こえる。成功したみたいだ。

 今はスノウ一人なら安心だな。ゆっくり話ができそうだ。

 つーか、無慈悲に追い出して施錠しているあたり、スノウはスバルには塩対応で貫いているらしい。第一印象が最悪すぎて、好感が持てなかったのかもしれない。俺にとってはライバルが減ってありがたい話だが。スノウは美人だから、恋敵は一人でも少ない方がいい。


「それより、エリアスどこにいるの? そこ室内じゃないよね? どうやって水を張っているのさ」

「スレイトがスノウの竜石を使って通信珠を作ってくれたんだ。氷鏡の儀式と同じことができるやつだぜ。回数制限付きだけど、スノウの顔を見ながら話せるんだ!」

「へぇ。すごいね」


 スノウは素直に目を丸くして感心していた。

 魔法具なんてゼルスでは滅多なことじゃ手に入らねえもんな。俺だって通信珠を使うのは初めてだし。


「というか、ハル様。まだ僕の竜石持ってたんだ。《宵闇》を出る直前、お酒を飲んじゃったせいで魔力があふれて竜石を大量生産しちゃったんだよね。竜石って魔力の結晶だからさ」

「あー、そういやそんなこともあったな」

「基本的に竜石って稀少だから処分に困るんだよね。だからハル様にあげたんだ。あの人は商売人として信用できるし、きっと僕たちには危険が及ばない仕方で管理してくれるだろうから……」


 なるほどな。ってことは、ハル様は売って換金せずに自分の手もとで管理していたのか。賢いな。


 竜石は高価な品で貴重品でもあるし、売れば金になるという。その名の通り、いにしえの竜にしか作り出せない魔力の結晶。魔法具の素材にもなるし、竜の特性によっては薬の材料にもなるらしい。だから迂闊に売ってしまうとスノウやスノウの母親に危険が及ぶ。


「——で? どうしてエリアスは通信珠を持ってわざわざ外にいるわけ?」


 スノウが腕を組んで首を傾げた。


「せっかく通信珠を使うんだったら、スノウとデートしようと思ってさ」

「は?」


 次にスノウは目を点にした。驚いた顔もかわいい。そんなかれに、俺は笑いかけた。


「俺がいる場所がどこなのか、わかるか?」


 手のひらから珠を落とさないように慎重に持ち、俺は腕を伸ばした。遠く一人で幽閉されている愛しいひとに、俺が見ている世界を見せてやりたい。


 突き抜けるような空と小さな白い雲。眼下には緑色の森が広がっている。そして遠くには王都にある二つの城と。

 やさしく吹く風が、上から見下ろす景色が気持ちいい。わくわくする。

 久しぶりに見る絶景にスノウはようやく気付いたようだった。


「ここってまさか——、秘密基地?」

「当たり」


 《宵闇》に洋館のほかに、基地みたいな立派な拠点は存在しない。子どもの頃、俺とスノウ、二人でそう呼んでいた場所だ。

 俺は屋根裏部屋の窓から登り、スノウは自前の翼で飛んでたどりついた屋根の上。その場所が俺たちが言う秘密基地だった。


「ちょっ、なにやってんのさ! 落ちたらどうするの」

「落ちねえって。そんなヘマするかよ。俺が屋根の上から落ちたことなんて一度もねえだろ」

「そりゃそうだけどさ……」


 頬をふくらませてスノウは不満そうにしている。俺のことを心配してくれてんだよな。

 ああ、目の前にいたら頭をなでてやるのに。スノウの機嫌を取るためなら、俺はなんだってするのに。

 やっぱり実際に距離が離れていると、かれにしてやれることには限りがある。それが今は悔しくもあり、悲しくもある。なによりさみしい。


「そんな顔すんなよ、スノウ。俺はこんな近くまで来てるんだぜ!」

「うん」


 スノウが小さく頷く。かれの引き結んでいた口が少しだけ緩む。


「明日にはこんな魔法具や氷鏡の儀式に頼らなくても、おまえに会って話せるんだ。すぐ目の前で! 楽しみだよなあ」


 明るく笑ったら、スノウは少しだけ笑った。宝石みたいに青くて澄んだ瞳を細めて、きれいに微笑む。


「うん。僕も楽しみにしてる。絶対に迎えに来てよね」

「もちろんだぜ!」


 命を救われた子どもの頃から世界が広がった。色んな人と出会い、強くなって偉くなったのもたった一人の大切な存在のため。

 スノウ、俺にとっておまえだけが生きる理由なんだぜ。

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