[幕間14ーside ミラ]スレイトからの贈り物と指きり

 スレイトが案内してくれたカフェはなかなかに洒落た店だった。

 内装はブラウンを基調とした落ち着いたデザインで、愛想のいい女性の店員が案内してくれる。エリアスたちと入った、あの宿場町の食堂と同様に個室型のようだった。そういや、あの食堂はオレが選んだ店だったな。

 あの店はそもそもオレの同僚——ゼルス支部の幹部に教えてもらったおすすめの食堂だった。そしてハルティアの紹介による、《宵闇》の息がかかったこの店も個室型だ。どうも闇組織のやつらは総じて個室が好きらしい。


「ねえねえ、ミラは何にする? 甘いものが好きだったら、ケーキもあるよ」


 テーブルの隅に立てかけてあるメニューボードを手に取り、スレイトはうきうきとした顔で尋ねてきた。

 自分に向けていたそれをくるりと向きを変え、オレが見えるように差し出してくるあたり、やっぱり心配りは細かい。スレイトのこういうところ、ほんと憎めねえんだよなあ。


「ケーキかぁ。オレ、あんまり甘いものは好きじゃねえんだよなー」


 ゼルス王国は西大陸の大きな国だ。当然メニュー表に書かれている言葉は共通語コモン。今ではだいぶ慣れたけど、和国とは違う言語を習得するのに時間はかかったし、書かれているものの本質がなにかを理解するのに昔はだいぶ苦労したっけ。

 オレの故郷ジェパーグは島国だからなのか、大陸と言語が違う。大陸で暮らすようになってもうすぐ百年くらい経つしだいぶ暮らしにも文化にも慣れたけど、こっちに来たばかりの頃は言葉も食文化も違っててびっくりしたもんだ。


 メニューには軽食からデザートの名前が書かれていて、飲み物はコーヒーだけじゃなく、紅茶やジュースまである。ただ、コーヒーショップと言うだけあって、コーヒーの種類は豊富だ。好みの濃さや酸味のものを選べるようになっていて、これはかなり迷う。

 正直なところ、コーヒーさえ飲めればオレはいいんだけど……。


「そうなんだ? 甘いものが苦手ならサンドイッチもあるよ。おれはフルーツタルトにしようかなあ」


 スレイトはスイーツが好きみたいだな。軽食は悪くねえけど、今はまだ遅い朝の時間。《宵闇》のアジトでしっかり朝食を食ってきたからそんなに腹は減ってねえんだよな。


「んー、そうだな。オレは別にコーヒーだけでもいいけど……」


 スレイトはオレが他に頼まなかったらがっかりするんだろうか。それとも、もっと食わせようとあれこれ注文するかもしれない。自分で言うのもあれだが、オレ、結構大食いだからな。食おうと思えば食えなくもねえけど……。

 ボードに書かれているメニュを指でたどりながら、オレは悩んだ。コーヒーに合うものは色々ある。けど、今回は何にしようか。


 ボードの裏にはケーキセットがでかでかと書かれていた。ケーキの種類は色々あるみたいだな。スレイトが気になっているフルーツタルトもあるみたいだ。他にはチーズケーキやショートケーキ。それに——、あ。


「オレ、チョコレートケーキにしようかな」

「チョコ? ケーキだけど大丈夫?」

「大丈夫。オレ、チョコレート好きなんだ」


 心配そうに見てくるスレイトに、オレはにっと笑ってみせた。


 大陸の異文化や食文化に触れて好きになったものは色々ある。コーヒーはその中の一つだし、チョコレートもそうだ。

 オレは子供の頃から甘いものが苦手だった。特に、もちもちした米を餡子に包んだおはぎや、甘く煮詰めた餡子が入った大福とか。とにかく餡子が苦手なんだよな。

 けど、大陸で暮らすようになって、甘いものの世界が広がった。おやつと言われて初めてチョコレートを食べた時は、オレの人生を変えてしまうほど衝撃的に美味かった。成人した今でもやっぱり甘いもの全般は苦手だけど、チョコレートの菓子は好きだ。

 

「そっか。チョコはコーヒーに合うお菓子だもんね」


 スレイトはにこにこと嬉しそうに笑った。きっと、オレの好きなものをまた一つ知ることができて嬉しいとかなんとか思っているんだろう。だいぶこいつの思考回路は読めるようになってきたぞ。スレイトは思ったことがそのまま顔に出るからわかりやすいし、安心する。

 ——と、そんなことを思っていたら、彼はテーブルの隅に置いてある呼びだしベルで女性店員を呼び、あっという間にオレの分まで注文してくれた。


 スレイトもカフェには好んで行くんだろうか。こいつって見るからに服装はおしゃれにまとめているし、ゼルスに来る前は都会に住んでいたのかもしれない。

 勝手な偏見だけど、精霊使いは引きこもって研究しているイメージがあった。けどスレイトはフットワークが軽いし、狐に会いたいって気持ちだけでゼルスに来ちまうし、アウトドア系な気がする。


 女性店員は注文を取ったあと、静かに扉を閉めて行った。再び室内にはオレとスレイトの二人だけになる。そのタイミングを見計らっていたのか、スレイトは人懐っこい笑顔を崩さずに、突然こう切り出してきたんだ。


「実はおれ、ミラに渡したいものがあるんだよね」

「え?」


 オレは一瞬、思考が停止した。

 え。待って。まさか、贈り物とか用意してたわけ? 昨日の口約束で決まったデートなのに?

 やべ、買い物のついでみたいに思ってたから、オレ何も用意してねえ。


 そんなオレの焦りに気づいているのかいないのか、スレイトは白いベストのポケットから袋を取り出した。光沢のある紫色のリボンに結ばれた、きちんとラッピングされた袋だ。それをテーブルの上に、オレへ向けて置く。


「開けてみて。ミラの役に立つよう、一日でがんばって作ったんだ」


 ん? 作った、とは。


 優しく笑うスレイトの顔を改めて観察してみる。いつも輝いているロイヤルブルーのつった両目。その下にはうっすらとくまがうかんでいる。

 朝から疲れたような顔色だなと思っていたけど、まさか——。


 指先でリボンを摘み、すぐに袋を開けた。大きく開いた口から覗き込むと、葉っぱが何枚も入っていた。親指くらいの大きさの葉だ。


「これってまさか、メディカルハーブか?」

「そうだよ。さっすがミラ、幻薬にくわしいね」

「そりゃ、子供の頃オレの面倒を見てくれた人が魔術師だったからな……」


 和国出身のオレが、魔法具や幻薬のことを知っているのは大陸こっちに来てから精霊や魔法について学んだからだ。

 オレの故郷は長く鎖国しているせいもあって世間知らずで世界が狭い。だから和国ジェパーグはいつまでも魔法科学が発達せず知識も得られないから、いつまでも世界が狭いんだ。……って、そんなこと言ってる場合じゃなかった。


「これ、いつの間に作ったんだよ?」

「昨日の夜。これ、作るのはそんなに難しくないんだよ。エリアスに通信じゅを作るついでだから徹夜しちゃった」

「はぁ? 徹夜!? スレイト寝てねえのかよ?」

「寝たよ。太陽が出てから二時間くらい」

「そんなの寝たうちに入るかよ!」


 腕も足も細くてひょろっとしてるくせに、無茶しやがって。

 思わず勢いよく立ち上がってしまった。その拍子に椅子ががたりと大きな音を立てたが、スレイトはちっとも動じなかった。口もとは笑ったままだ。


「ほんとだったら今日は夕方まで仮眠しねえといけなかったんじゃねえのかよ」

「だって、ミラと一緒に時間を過ごしたかったんだもん。……だってミラは、明日、危険な仕事をしに行くわけだしさ」


 スレイトのつった両目がオレを見上げてくる。笑った顔は消え、真剣な顔つきになる。


「おれは、ミラがひとりでお城に潜入するのは……正直、反対だよ。良くないことが起きるんじゃないかってすごく不安で。嫌な予感がするんだ」

「……スレイト」


 やっぱり、昨日の不安そうにしていた顔は思い過ごしじゃなかったんだ。良く思っていなかったのか。でもスレイトはあの時も強く反対しなかった。


「でもさ、お城のどこかにいるヒスイさんを助け出せるのはミラだけでしょ? それもわかるから、おれはせめてミラの力になりたくて。メディカルハーブを贈ろうって思ったんだ。幻薬を作るのはおれにしかできないことだから」


 彼は力強く笑った。自分の気持ちを押し殺し、オレの意思を尊重してスレイトはあえて背中を押すことを選んだんだ。

 ほんとうだったら一緒について行きたかっただろう。でも彼は精霊使いだ。オレみたいに気配は殺せないし、潜入できる技術もない。だから、役に立ちそうな幻薬を餞別として贈ることにした。


 スレイトが我慢したことや諦めたことを察してしまう。彼のやさしい気持ちに胸が熱くなった。

 だから、オレは彼に約束しなければならない。


「スレイト、ありがとな。大事に使う。これを使って必ず無事に戻るから。約束する」

「もちろん。ミラはおれの大事な人なんだから、ずっと待ってるよ。また、指きりする?」


 そう言ってスレイトが小指を差し出してきたもんだから、オレは吹き出して笑っちまった。そうだな、オレが和国流の誓いを教えたんだった。


「いいぜ。指きりしような」


 やばい、笑いが止まらない。くすくす笑いながら、オレはスレイトの小指に自分の小指を絡める。

 指きりしてしまったら、もう後には引き返せない。なにしろ、破ったら針千本飲むことになる。スレイトにはそのつもりはなかったのかもしれないけど、何が何でも約束を守らなくてはいけなくなったぞ。


 澄晴すばるつむぎのことを考えると不安しか残らない。あの二人が何の目的でゼルスの覇権を握ろうとしているのか、いまだにわからない。内務大臣の安否は不明のままだ。

 けどオレは必ず生きて、スレイトのもとに戻ろう。


 指きりをしながら、オレは自分にもそう誓った。



 

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