47.吉夢
俺は一体どこに向かっているのだろうか。
夜風に冷えたアスファルトの上を、なぜか裸足で歩いていた。
手の中には名もわからない一輪の白い花。
無意識に歩みを進める足が、住宅街を突き当たりで曲がった。
ああそうか。
曲がった先の道路の一角に、お菓子とジュース、そして鮮やかな花束が山のように積まれていた。
死んじゃったのか。
誰が?
俺?
いや違う。
それならこんなに苦しいはずはない。
死んだのはもっと俺にとって大切な……。
そうだ――。
「あ、起きた……どう? 体調は」
枕で右目のまぶたを擦り、いつものベッドで目を覚ます。
「あれ……菊永さん……?」
暗い寝室の中、ベットの上に座る菊永さんのスマホだけが眩しく光っていた。
「今何時……?」
「もうすぐ九時だよ、私もそろそろ帰らないと」
上体を起こし、寝室に相応しくない着心地の悪い服装を確認して、意識を失う前の記憶を徐々に取り戻す。
「あっそうだ夢見てたでしょ、寝言でずっとなんか喋ってたよ」
「ああうん……久しぶりに良い夢だったよ」
菊永さんは心から楽しそうに笑っていた。
どうして笑ってくれるんだろ……あれも全部夢だったのかな……。
「やっぱり! どんな夢だった?」
「うーんなんだろ……大切な人が死んじゃう夢、かな……?」
思い出そうとしてみても、夢の記憶はすでにほとんど抜け落ちていた。
「どういうこと……? 今良い夢って……」
「死に関する夢って、夢占い的には吉夢なんだってさ」
少しも信じちゃいないけど。
「そう……なんだ……」
「占いって都合のいいことしか言わない詐欺みたいなもんだと思ってたけど、それで安心して眠れる人がいるなら宗教と同じで悪いもんじゃないのかもね」
「ああ、うん……」
菊永さんはスマホの画面を光らせたまま動きを止め、俺の顔を不安そうに見ている。
やば、またズレたこと言っちゃったかな……。
思想の割に浅い思考のせいで、よく無意味に意味のある話をして変な空気を作ってしまう。
「えーっとそうだ菊永さん……帰る前に一つだけ、お願いしてもいいかな……?」
「うん何? ご飯? 飲み物?」
「いや、そういうんじゃないんだけど……」
くしゃくしゃと寝癖を直すような仕草で顔をそらした。
「その……少しの間だけ手、握ってくれない?」
馬鹿ではないので、自分がどれだけ気色の悪いお願いをしているかは理解している。
ただもう今更かっこつける必要もないと思った。
「うんうんうんうん……なるほどね……」
菊永さんは小さく何度も頷いている。
「悪いけど私、それくらいじゃもう驚かないよ」
「すごいね菊永さんは……」
俺なんかよりずっと強くてかっこいいよ。
「もう菊永さんって呼ぶのやめてよ、なんか今日の一日がなかったみたいで悲しいから」
「ああ、ごめん」
そうか、名前で呼んでたんだっけ……。
「都合がいいのは彩人くんのほうだよ……」
「え?」
「ううん、なんでもない……はい、これでいい?」
スマホの光が消えた数秒後、躊躇のない両手が素直に俺の手を握ってくれた。
細くて柔らかいのに頼もしい温かい手。
暗闇の中、命の熱を確かめるように何度もその手を握り返した。
「やっぱり夢、怖かったんでしょ」
「どうだろ……もう忘れちゃった……」
何気ない会話の中からも少しずつ現実を咀嚼して、まだ不定形な心の形を手探りにまとめた。
「うん、ありがとう……もう大丈夫……」
「あっそう? これで満足したの?」
この暗さではとても見ることはできないが、半笑いの声から察するに腹の立つにやけ顔を浮かべているのではないだろうか。
一気に威厳を失ったような気がするが、まあ笑ってくれるならそれでもいいか。
「じゃあもう暗いから、気をつけて帰ってね」
「うんじゃあね、彩人くんもお大事に」
ベッドの沈みがいなくなり、開いた扉が光を差し込む。
「大丈夫? 私がいなくて寂しくない?」
腹の立つにやけ顔に手を振った。
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