03.いらっしゃい

 こんなに緊張してこの駅に降りるのは、ニ月の入試の時以来だろう。


 高校の近くにあるという高比良くんの家へ向かうため、登校日の朝とは違う静かで明るい改札を抜ける。


 今日は西口から出ようかな……。


 夏休みに部活動で登校している同級生とうっかり鉢合わせては困るので、遠回りにはなってしまうが通学路とは別の道を歩くことにした。


 ほんとこっちの方は何もないなあ。


 しばらく歩き進めたが、目につくのは電柱の根本から歩道を狭めるほど伸びる雑草と、人影が全くなくて少し心配な喫茶店くらい。


 誰もいないならスキップでもしようかな?


 そんな何もないはずの街並みが今はちょっぴり新鮮で、それでいてずっと愛おしく思える。


 こんなに幸せな気分なのは、もう覚えていないぐらいに久しぶりのことだ。


 期待に胸を躍らせて頭の中でお気に入りの曲のサビだけを永遠とループ再生していたら、いつのまにか目的地のマンションが涼風を見下ろしていた。


 このマンションの十四階が高比良くんの家か……。


 迷うことも想定して一時半頃に着くと連絡したが、通学路から少し離れた程度で迷うほど方向音痴ではなかったため、予定よりも二十分以上早い到着となってしまった。


 少々時間をつぶしたいところだが、このまま中に入ってオートロックのドア前で待機するのはあまりにも不審、かといってこの暑さと日差しの中、外で待っていたら大量に汗をかいてしまう。


 手で顔をあおぎながら日陰を求めて散策していると、少し埃臭いマンション内の駐輪場に行き着いた。


 広さもあり人通りも少ないので、時間はここで待つことにしよう。


 心の準備をしていたら、時間のやつもすぐにやってくるはずだ。


 そういえばさっきまでは考える余裕もなかったが、高比良くんのお母さんは一体どんな人なのだろうか。


 きっとものすごく綺麗な人なんだろうな……恥ずかしいから授業参観にお母さん呼ぶのやめようかな……?


 母の顔を思い浮かべると自然と緊張もほぐれる。


 高比良くんにも、高比良くんの家族にも……嫌われないといいな……。


 それからは声にならない言葉を小さく吐き出しながら、挨拶までのシュミレーションを何度も繰り返した。




 そろそろ時間だ……。


 オートロックのドア前に戻り、シュミレーション通りにインターホンを鳴らす。


 えーっと、いち……よん……ぜろ……なな……呼び出しっと……。


「はーい」


 インターホンからは今朝聞いたばかりの声がした。


「あっあの、安達です……!」


「今開けたよ、待ってるね」


 オートロックのドアが空気も揺らさず黙って開く。


「ああ、うん……ありがと……」

 

 じっとしているとだんだんと足が重くなっていくので、跳ねるような小走りでエントランスを抜けた先のエレベーターに飛び乗った。


 本当に大丈夫なのか私……ここまで来たらさすがにもう引き返せないぞ……。


 エレベーターの階数表示と比例して、ものすごい勢いで上昇していく心拍数。


 溢れる手汗をスカートで拭って目的の十四階で降りると、すぐに足音を消して部屋番号を確認してまわった。


 いちよんぜろろく……ってことは隣が……いちよんぜろなな! 


 ここだ、表札は出ていないけれど、ここが高比良くんの家だ。


 深呼吸で息を整え、震える指でインターホンのボタンを押し込む。


 いよいよこの時が……!



 ……………………あ、あれ? 


 

 インターホンは少しうるさいぐらいに鳴っているのに、なぜか高比良くんからの返事がない、このままここで待っていればいいのだろうか。


 静寂と不安が襲いかかる中、もう一度部屋番号を確認しようと片足を半歩後ろに下げると、突然背後から両肩を力強く掴まれた。



「うわああああああああ!?」



 肩をすくめて恐る恐る背後を振り向くと、そこには怯える私を見て嬉しそうに笑う高比良くんが立っていた。


「いらっしゃい、安達さん」

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