第16話 調査の開始

16.


 風が吹き、生い茂る木々の葉が揺れている。その度に草木の香りが僕たちの体を包み、都会では味わえない清涼な心地を届けてくれる。森の奥から聞こえる虫や獣の鳴き声でさえ、まるで大自然を賛美する音楽のように聞こえた。


 ──何年も共にあった都会の喧騒を離れて、僕は今テシアの近郊に広がる森林を訪れている。


 かつてテシアが栄える前、この森は木の実や果物、野生動物など、貴重な食糧源として古くから重宝されていたと言う。


 しかし街の発展と共にその需要は減り、今では魔物を生産する厄介な森としての側面が強くなっていた。


 そんな果てしなく広がる森の入口で、僕は大きく深呼吸をする。


「──はあ、気分がすっきりするね。ここ数年ほとんど都市で生活してたから、こういうのなんだか懐かしいな」


「ピクニックではないのじゃからな、しっかり頼むぞ」


 右隣で呆れた声を出すカナンと、その横で軽蔑しきった目を向けてくるエディ。


 魔王の調査が目的というのは重々承知しているが、これくらいのことでエディの槍ような視線をぶつけられるのは心外である。


 僕の味方はフェンだけだと左隣を見ると、しっかり冷たい眼差しを返された。仕方がないので誤魔化すように笑って、僕はみんなに言った。


「もちろん分かってるよ! もし魔物が出たら先鋒は僕に任せて。みんなには傷一つ負わさないから!」


「私にやったような、小賢しい、小手先の、小細工でですね。期待しています」


「あはは、なんか悪意を感じるね。……それじゃあ森に入って、早速魔王の痕跡を探っていこう!」


 空気を変えるように声を上げ、僕は目の前の森へと足を踏み入れる。しかしみんなは僕のノリに乗ってくれることなく、淡々と後に続くのであった。






 ――魔王とは、魔物の上位種である。これが、過去の文献や伝聞から研究者たちが出した結論だ。


 では、そもそも魔物がなんなのかというと、これは定義が簡単である。魔物とは通常とは異なる特徴を持つ獣たちのことだ。それぞれがスキルのように特異な能力を持ち、他の生物を積極的に襲う。その戦闘能力は通常の獣と比べても高く、軍や冒険者がその討伐に当たるのが当然であった。


 そして、そんな魔物がさらに強力になった存在、それが魔王である。魔王が魔物と明確に異なる点、それは強さもさることながら、他の魔物たちを統べることができる点にある。


 通常の魔物は同族で群れるようなものを除いて、組織立った行動を取ることは滅多にない。しかし、魔王はその高い知能と特殊な能力により、魔物の軍勢を率いて文字通り『魔の王』として君臨するのだ。魔王に統率され、また能力を強化された魔物たちは、人間社会に対して極めて危険である。


 加えて言えば、厄介なのは魔王自体も非常に強力な戦闘能力を有していることだ。成熟した魔王は様々な力を操り、身体能力も強力で、おまけに知恵もある。多くの魔物による守りを突破したとして、辿り着いた先で魔王を討伐することは相当な難易度となるのである。


 そんな理由もあり、今回僕たちに与えられた魔王災害の対応任務は、魔王が成長して軍勢を作る前に居場所を特定、撃滅すべしというものだ。今回ここにやってきたのも、とある冒険者が通常あり得ない複数種の魔物の群れを目撃したという情報を聞いたからだった。


 僕はそういう事情を改めて後ろのフェンに語りながら、隊列の先頭となって森の中を進んでいる。


 後ろのフェンは周囲を警戒し、それに並んだカナンが全体を統率、そして最後尾のエディが背後の守りを担当だ。


 僕は草木をかき分けて道を作りながら、背後のカナンに問いかける。


「カナン。痕跡が見つかった場所はそろそろ? もうけっこう奥まで来たと思うけど」


「うむ、そろそろのはずじゃな。報告を上げたという冒険者たちの話は、正直あまり精度が良くなかったらしいが、だいだいこの辺りのはずじゃ。――複数種の魔物の群れを見たというのは」


 カナンの返事に、僕は気を引き締める。


 魔王はおそらくまだそれほど成長していないと思われるが、それでも魔物の小集団を作る程度の力はあるらしい。単独種でもやっかいな魔物が多い中、それが複数群れているとあって、この先油断することはできない。


 僕は話し合った計画の通り、歩きながらフェンに呼びかけた。


「フェン。いまカナンが言った通りだから、【獣化】お願い」


「うん、分かった」


 フェンはその返事と同時に、スキルの力を行使した。ちらりと肩越しに視線を向けると、フェンの全身を薄い光が覆われている。そして光の中から、手足に銀色の毛が生え、耳や頭、尻尾の毛がふさふさとボリュームを増した姿を現す。よく見ると、鼻の横からぴょんと細いひげを生やしているのも見える。


 相変わらず愛らしい姿だとほっこりしていると――


「おおおお、【獣化】を使うとそんなんなるのか! 可愛いのう!」


「や、やめてカナンさん」


 カナンが興奮したように声を上げ、変身したフェンに飛びついたようだ。まるでじゃれるように体をいじくり、抵抗するフェンが割と強めにカナンを押し退ける。


 しばらくそんな風にわちゃわちゃしていた二人だが、やがてフェンをからかうことに満足したらしいカナンは、ふうと息を吐きながら言った。


「しかし、愛らしい姿じゃのう。それで聴覚や嗅覚も普段よりかなり上がるというのじゃから、いいことづくめのスキルじゃ」


「毛が増えるの、私はあまり好きじゃないけど。でも、魔王を探すのには役に立つよ」


「うむ。では、歩きながら気になるものを探すのじゃ」


「分かった」


 フェンはそう呟き、周囲の探索に集中しだす。今の彼女は、常人の数千倍と言われる聴力と嗅覚で、森の中の情報を凄まじい勢いで集めているのだろう。


 そうして、僕たちは情報収集担当のフェンを守りつつ、静かに深い森の中を進んでいく。


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