第12話 エディの腕試し

12.


「行きます!」


 エディは掛け声とともに、闇の中を滑るように駆けた。明らかに戦闘の訓練を行なってきたであろう洗練された歩法だ。月明かりしかない夜ということもあって、その鋭い動きは一層見えにくい。


 気づけば目前に迫ったエディが、その華奢な拳を容赦なく振るってくる。


 ――最初はスキル使わないんだ。ならこっちも……。


 僕はエディに付き合って、スキル無しの純粋な身体能力で相手をする。首を曲げて顎を狙った拳をかわすと、エディの伸びた腕を掴んで引き寄せる。そのまま捻って地面に押し倒そうとしたところで、鋭い蹴りが飛んできて中断させられた。僕はエディの腕を離してバックステップで距離を取る。


 そして一呼吸置く間もなく、エディが追撃を仕掛けてきた。


「うわっ」


 再び距離を詰めてきたエディが、今度は激しい連打を浴びせてくる。拳、手刀、貫き手、蹴りと、多様な攻撃が僕を襲う。まともに当たれば骨の一本や二本は折れそうな打撃を、僕は冷や汗を流しながら捌いていく。


 ときおり人体がぶつかり合う鈍い音がこの更地に響く。


 そうして、お互い瞬きもせずに腕と足を交え、やがてエディが攻撃を終えて後ろに退く。僕はそれを見送り、エディの様子の観察に徹した。


 エディは凄まじいラッシュで消耗したのか、少し息を荒くしてこちらを睨んでいる。そして戦闘態勢を取ったまま口を開いた。


「私の攻撃に息一つ乱さず対応するとは、どうやらそれなりにやるようですね。……ですが、なぜそちらから攻撃してこないのですか?」


「別に僕は、君を倒したいわけじゃない。ただ、僕の実力が信用できないみたいだから、最低限足手まといにはならないところを見せなきゃと思って」


「それで、私に攻撃はせず防御に徹していると? ……舐められたものですね」


 エディは僕を見る目をより一層鋭くすると、しかし突撃してくることはなく「ふう」と息を吐く。そして、身にまとう気配が先ほどまでの戦意に満ちたものから、冷え切った冬の空気のように研ぎ澄まされていく。


「無手では勝負がつかないようです。しかし、こんな私闘で刃物を使うわけにもいきません。なら――」


 エディがそう言うと同時、まるで冷気のように張り詰めた空気が押し寄せてくるような錯覚に襲われる。……いや、これは。


 ――錯覚じゃなくてスキル!


 僕はエディの体が白い冷気をまとう様を目にする。先ほど自ら告げてきた、スキル【氷結】だろう。


 エディはまるで自身の力を誇示するように、僕の視線の先で立ったまま冷気を強めていく。熱を奪う空気はよりその強さを増し、エディの周りの地面に霜が降り始める。そんな季節でもないのに体に寒気が走る。


 ――名前からして、基本スキル【流水】の派生みたいなものかな。氷や冷気を操るスキル、厄介そうだ……。


 僕はそう声に出さず独白し、エディへの警戒を強める。


 スキル――――それはこの世界に住む者が一人に付き一つ持つ神秘の力だ。誰に教わるでもなく、時が来れば自然と使い方を理解する生まれ持った力。


 そしてそのスキルには、大きく分けて二つの分類がある。地水火風の四元素のうちいずれかを操る基本スキルと、それ以外の特殊スキルだ。特殊スキルは数が多すぎて分類しきれないが、僕の持つ【硬化】のような基本スキルとまったく違うものもあれば、エディの【氷結】のように基本スキルから派生したようなものもある。


 ただ特殊スキルに関してひとつ共通して言えることは、基本スキルと比べてスキル保有者が極端に少ない代わりに、強い力を発揮できる傾向にあるということだった。


 エディはそんな強い力を全身にまとい、僕に向かって言った。


「凍り付いてしまったら、あとで解凍してあげます。ただし、あなたの意識が戻った時にはもうお嬢様と私は消えているでしょうけど」


 そして、エディが白い軌跡を残して地を駆ける。先ほどまでの滑るような歩法は、凍らせた地面を実際に滑るものに変わり、一段速度が上がっている。


 よく観察すると、足に力を入れる瞬間地面に氷のスパイクを生み出し、そこを蹴ることで滑る力を生んでいるらしい。高速で移動中にこのレベルの細かなスキル行使ができるとは、かなり習熟した使い手である。


 僕は一瞬で目前に迫ったエディに、驚く間もなく横っ飛びに回避する。先ほどまで僕の体があった場所を冷気をまとった腕が通り過ぎると、空気中の水分が凍り付いてきらきらと舞った。


 おそらく一撃でも貰えば冷気でやられてしまう。エディの言葉からすれば、一瞬で触れた部位を凍結させることすらできるのかもしれない。


 となれば、僕の勝ち筋は一度も触れられることなく攻撃をかわし続け、間接的に一撃入れることくらいか。


 僕は覚悟を決めると、再度向かってくるエディを正面から見据える。そして繰り出される冷たい攻撃を何とか避けていく。


 初めの連打と違い、それは威力を捨てた攻撃だった。彼女からすれば、当てさえできれば一気に形勢を有利に持っていけるので当然の戦術だろう。大きな怪我をさせないよう、互いに武器や飛び道具を使用しない状況において、それは無類の強さを誇った。


 さらにエディは移動に【氷結】を取り入れることで、始めの攻防よりも動きが読みづらくなっている。氷の道で瞬時に動いたり、地面に生やした氷柱で不規則な動きをしたりと、まさに変幻自在だった。


 加えて僕の足元に氷を作り回避行動の邪魔までするので、どんどん防御が危なっかしくなっていく。エディは勢いづいたようにますます攻撃の密度を上げてくる。


 しかし僕も、そう簡単にやられはしない。かつて戦場に身を置いていた時分は、周囲すべてを敵に囲まれることもあったのだ。不利な状況で多数の攻撃を避けることは、これまでの経験からなんとか対応できていた。


 そして、僕もただその場しのぎに攻撃を耐えているだけではない。読みづらいエディの動きを分析し、来たるべき反撃の時に確実な一撃を見舞えるよう準備をしているのだ。これだけ間近でエディの攻撃を見続けた結果、次第にエディの動きを読めるようになり、僕の回避は洗練されていく。


 エディもそれは理解していたようで、一度僕から距離を取ると忌々し気に顔を歪めた。


「逃げてばかりで、男らしくないですね。正々堂々と向かってきたらどうですか」


「さすがにそんな安い挑発には乗らないよ。エディに体を触れると凍結させられちゃいそうだしね」


「ふん。それが分かっていれば、あなたに勝ち目がないことも分かるでしょう。反撃はその剣の鞘で私をぶつことくらいでしょうけど、そんなことは警戒しています。当たりませんよ」


 エディはそう得意げに言って見せる。


 実際、その言葉に間違っているところはほとんどなかった。僕も最初は剣の鞘で戦うかと考えていたが、攻撃手段が限られる状況では警戒されて当然だ。それでは当たるものも当たらない。


 ならばエディに勝つためにはどうすればいいのか。一見攻略不可能に思える難題――しかし僕の頭には、すでにその答えの用意があった。


 そんな僕の思惑も知らないエディは、厳しい目つきで僕に告げる。


「あなたは私に勝てません。次で最後にします」


 エディが腰を落とし、足先へ力を伝達するために備え始める。同時に、その身にまとう氷結の波動がより濃くなる。大気に満ちる水が、ぱきぱきと悲鳴のように音を上げた。


 そして、その時は訪れる。


「これで、終わりです!」


 爆発的な加速で地を滑るエディが、幻惑するようにフェイントを入れつつ向かってくる。その手加減のない動きは、言葉通りこの交錯で戦いを終わらせるつもりのようだ。


 僕は先ほどまで取っていた構えを解き、自身に迫るエディを両目で追う。目まぐるしく軌道を変えるエディは、しかし僕の目にははっきりと捉えられている。


 いつまでも動きを見せない僕に、エディは一瞬怪訝そうな表情を見せるも、構わないと言うようにさらに加速した。


 そして、もうほんの一瞬で僕の体に触れられるところまで来たエディを、僕はその動きがスローモーションに見えるほど集中して見極め、それからぽつりと呟く――




「――【硬化】」




 スキルを構成する不可視の力が、僕の体から放出されるイメージ。エディが向かってくる軌跡を予測し、その線上に力が注がれる様を想起した。


 そして発現するは、不可視の【硬化】領域だ。スキルの力で固まったその空間は、生半可な衝撃では砕けない。


 高速で移動する人間がそんなところに突っ込めばどうなるか、それは誰が見ても明白な結果であり――――


「はい、これで終りね」




 ――見えない壁に高速で頭をぶつけ、何が起きたか理解する間もなく崩れ落ちるベティ。


 僕はその体をそっと抱き留め、ため息を吐く。


 ――これ、絶対後から卑怯だとかなんとか言われるやつだよね……。




 そうして、人知れず始まった夜の諍いは、あっさりとその幕を下ろす。観客もいない暗い更地で、僕はこの勝利の虚しさにもう一度ため息を吐いた。



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