第5話 フェンのわがまま
5.
凄まじい勢いで飛び込んでくるフェンを、僕はなんとか怪我なく受け止めようとする。
銀色の髪を翻すフェンは、部分【獣化】で髪と同色の毛が生えた手足を広げ、まるで僕に抱き着くように衝突した。
「ぐっ……!」
【硬化】した腕を通じて全身に衝撃が走る。
フェンへのダメージを最小限にするため、僕はぶつかられた勢いに逆らわず、そのまま後ろに飛ばされた。ただし、追加で足を【硬化】することで、街道の表面を削りながら、立ったまま後ろに引きずられるような姿勢である。
そうして、やっと勢いが死んで体が止まったその時、僕は腕の中のフェンに大きな瞳で見つめられていることに気づいた。頭についた犬のような耳はぴこぴこと動き、フェンの肩越しにちらっと見えた尻尾が振られている。
フェンはその澄んだ青い瞳を僕に向け、小さな口を開いた。
「ダイヤ兄、捕まえた」
「フェン。ダメだよ、こんなとこまで来ちゃあ……」
普段表情が乏しいフェンの顔に、かすかに笑みが浮かぶ。僕は発した言葉と裏腹に、また可愛い家族と再会できたことを嬉しく思ってしまい、意志の弱い自分のことを少し恨んだ。
腕からフェンを下ろすと、僕はその体をじっと観察する。
いつもと同じ銀色のボブヘアは、まるで細かい銀糸のようにきらめている。しかしよく見れば、ところどころ跳ねていたり、土埃で汚れていたりした。着ている服は孤児院のみんなでお揃いにした寝巻で、生地も薄く、激しい運動で擦り切れそうになっていた。
そしてなにより、彼女のむき出しの手足。そこには先ほどまでスキル【獣化】で体毛と爪が生えていたが、こんな所まで固い街道の地面を駆けたせいで、擦り傷や切り傷ができて血が滲んでいる。
僕はその痛々しい傷に眉をひそめ、フェンの両手を優しく握った。
「どうしてこんなところまで来ちゃったんだよ、フェン」
思わず零れた僕の言葉に、フェンはため息を吐いて見せる。首を傾げて、僕の瞳を正面からじっとのぞき込み、そして言った。
「だって、ダイヤ兄が夜中にこっそり出てくのが分かったから。どうせまた私たちに隠れて、何かしようとしてるんでしょ。だったら私も、私がしたいようにする。孤児院に入るときにもそう言ったから」
「確かにあの時は頷いたけど、今回は事情が違うんだ。僕が孤児院を出たのは……実は、国の命令で危険な任務に就かなきゃいけなくなっちゃったからで、言ったらフェンみたいについてきそうな子もいたし、黙って出てきたんだ。僕は君たちの育て親として、危険なことに巻き込むわけにいかないんだよ」
「そんなの、私には関係ないから。私はなんて言われてもダイヤ兄に着いてく。また無理やり置いていったら…………孤児院のてっぺんから、スキル無しで飛び降りるよ」
「なっ……じょ、冗談でもそんなこと言ったらだめだぞフェン!」
「冗談じゃないし」
フェンは相変わらず表情を見せないが、その言葉には並々ならぬ感情が込められていた。置いていったら本当にやる気だと、僕は顔を手で押さえて天を仰ぐ。
――な、なんでこんな過激に育っちゃったんだ。昔はおとなしい子だったのに。
育て方を間違ったかと自問していると、フェンは僕の叱責などどこ吹く風という様子で、すっと僕に身を寄せてくる。つい癖でふわふわの頭を撫でてしまうと、フェンは澄ました顔で耳と尻尾をぱたつかせた。
そんなフェンの姿を見て、僕はダメと分かっていてもつい気を緩めてしまう。彼女たちに黙って孤児院を出たのは、実は会ってしまうと僕が揺らいでしまうという理由も多分に含まれていた。現に今、僕はフェンの物騒な脅しを抜きにして、ここで突き放してしまう選択をどうにも取れそうにない。
――これ以上、ここで何か言っても聞きやしないしな。フェン、うちの子たちの中でも人一倍頑固だからなあ……。
僕は思わずため息を吐く。胸の中で「はふう」と息を吐くフェンに、仕方がないと首を振った。
「わかった」
「……ん?」
「とりあえず、隣街までは連れてってあげる。どうせテシアでは人と合流するだけで、危ないことにはならないし」
「わかった。まあ、その後も着いてくけど」
「ダメだって。テシアで待ってもらってる人に頼んで、フェンは孤児院に帰してもらうからね」
「やだ」
「も~~なんも言うこときかないじゃんこの子……」
僕はがっくりと肩を落とす。
――もういいや。とりあえずテシアまで連れってってからその先を考えよう……。
頑ななフェンに、この場での説得は諦める。ひとまず今日は宿場町、そして明日はテシアまで連れて行って、テシアを出るまでになんとか説き伏せるしかない。
そうと決まれば、今からすべきことは一つ。
僕はフェンの肩を掴んで体を離すと、どうしたのと瞬く目を見て口を開いた。
「じゃあ、今日はこれから宿場町まで向かうことになるしcまずは怪我の手当てするから! まったく、女の子がこんな傷だらけになって……」
僕はフェンの膝裏と首に手を回し、今よりもっと小さかった子ども時代のように抱き上げ、ベティを繋いだ木の下まで向かう。そして腰を下ろすと、膝の中にフェンの小さな体を納め、背嚢から取り出した道具で手早く手当を始める。
「ああもう、こんな砂やら土やら散ってるとこを傷だらけの足で歩いて。ばい菌入ったら大変だよ」
呟きながら水で傷を清め、治癒促進と炎症予防で軟膏を塗り、きれいな布を巻きつけていく。フェンがくすぐったそうに身をよじるたび、「じっとする!」とたしなめ、手当てを進めた。
「ダイヤ兄、相変わらず過保護だね」
「いやいやいや、みんなこんなもんでしょ。女の子の肌に傷が残っちゃ大変なんだから!」
「そんなに気にするのダイヤ兄くらいだよ」
「僕だけってことはないでしょうよ。可愛い女の子の肌は人類の財産だよ」
軽口をたたく僕に、フェンはくすりと笑みをこぼした――。
こうして僕は、二度と会えないことを覚悟した大事な家族と、もう少しだけ一緒にいられることになった。
それが良いことなのかどうなのか、僕にはまだ分からない。それでも、こんなことを思う自分に嫌気がさすけれど――――僕は、またこうしてフェンと軽口を交わせる幸運を、ひそかに胸で噛みしめる。
もう、こうなってしまったからには、不意に訪れた束の間の日常をできるだけ楽しんでやろうと、そう思った。
……ちなみにこの後、唖然としている行商のおじさんたちに気づいて平謝りすることになるのは、また別の話である。
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