最終話 5w1h?

 病室を覗くと、帆足さんがベッドの上で胡座をかいて、こちらを睨んでいた。その視線の鋭さに、僕は危うく持ってきた花を取り落としそうになった。


「藤木恵介は未だ回復の見込みがないそうだ」


 帆足さんは腕を組んだまま、鼻息荒く僕に語りかけてきた。窓の外には久しぶりの青空が広がっている。涼しげな顔を保ち続けるには、どうも気温が高すぎた。


「医者の話だと、日常生活を送る分には差し支えないが、記憶が無く、短い単語でしか話せないような状態だという。また、時折何かに怯えたように恐怖の表情を浮かべているらしい」

「へぇ……」

 天罰でも下ったんじゃないですかねえ。

 僕はそう言って笑い飛ばそうとしたが、帆足さんは取り合わなかった。


 あの後、病院へ搬送された帆足さんは無事回復へと向かっていた。だが、同じく運ばれた犯人で担任の藤木先生は、どうやらそうでもなさそうだった。


「何をした?」

「別に何も」


 僕は即答した。実際、僕は何もしていない。


「あの時、あの部屋で何があったのかと聞いているんだ」

「別に……強いて言うなら、ちょっと個人的なですよ」

「戦争? 気は確かか?」

「くひひ……」

 帆足さんが怪訝そうな顔をした。僕はまだ慣れない笑顔を引っ込めた。

「それより帆足さん、もう起き上がって大丈夫なんですか? ちゃんと横になってないと……」

「私のことはいい。それより君だ、指宿薫」

 取り付く島もないと言った感じでジロリと睨まれる。


「あの日、何があったんだ? 詳しく話を聞かせてもらおうか」

「……僕は別に、日頃の行いを見せびらかして、美談にする趣味はありません」

「その日頃の行いが良くないと言っているんだ、貴様は!」


 帆足さんがベッドの端を苛立たしげに叩き、それからすぐに顔をしかめた。


「大丈夫ですか? ほら、無茶するから……」

「ぐぅう……何が美談だ。人助けでもしたつもりなのか、貴様は。貴様のやったことは……あぅ!?」


 僕が脇腹を突っついたので、帆足さんはそのままベッドに突っ伏してしまった。これはこれで面白い。彼女の思わぬ弱点を発見したようだ。僕はにっこり笑った。


「……礼は言わんぞ」

「無事で何よりです」


 帆足さんが顔を起こしこちらを睨みつけてきた。今日はどうも虫の居所が悪そうだ。僕は病室の窓辺から見える、玄関先に咲いた紫陽花に興味を持ったフリをして、彼女の視線をやり過ごした。


「指宿」

「……何ですか?」

「私のことも殺すのか?」


 僕は驚いて振り返った。帆足さんは顔を背け、突然入り口の扉にあるシミが気になったみたいだった。


「帆足さん、僕は……」

「…………」

「僕は指が好きなんですよ」


 ベッド脇に投げ出された、彼女の指に熱視線を送りながら、僕は続けた。


「……生きている指が。死んで切り離された指は、何だかもう別の生き物みたいに思えちゃって。僕ぁやっぱり生きてる方が好きですね」

「…………」

「やっぱり生きてこそ、動いてこそじゃないですか。ねえ……」

「待て。貴様、何処へ行く?」


 さりげなく退散しようとした僕の背中に、鋭い声が飛ぶ。帆足さんは眉間に皺を寄せ唸った。


「どうも……貴様は怪しすぎる。何か隠しているな?」

「僕は別に……何も」

「全く」

 帆足さんが小さくため息をついた。

「妙な真似をするなよ。しばらくは、私の目の届く範囲にいてもらうからな」

「そりゃどうも……僕も退屈せずに済みますよ」


 笑いながら病院を後にする。こうして僕らは正式に手を組むことになった。探偵と、その助手……ではなく、容疑者の1人……として。これから更なる難事件が僕らを襲ったり襲わなかったりするが、それはまた、別の話である。


 外は雲ひとつない青空が広がっていた。どうやら長い梅雨にもようやく終わりが見えてきたようだ。これから訪れる眩しい夏の予感に、僕は目を細めた。

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