第19話 魔物

 ごめんね、あなたは連れていけない。お母さんとお父さんはもらわないといけない、ごめんね。


 あの人は泣いていた。

 黒い肌に長い白い髪、ふくれた腹から血を流して、その血で銀髪の毛先を赤く染めていた。大きな真っ黒い怪物とあの人は太い腸のような赤黒いものでつながっていた。

 母と父の手首をつかんで、あの人は大きな黒い化け物に泣き叫びながら飲み込まれていった。


 軽自動車に飲酒運転のトラックが激突、夫婦は即死、子供は奇跡的に生き残った。

 士郎は呪術で両親の命が奪われるのを見た。

 

「逃げようしてもムダだよ、兄ちゃん」


 士郎は微笑んで首を横に振った。

 いつも遊んでくれる慶三兄ちゃん。物部家の一族の中で唯一、士郎に優しくしてくれた。


「兄ちゃん、逃げなよ。兄ちゃんは物部の因果から解放されるべきだ。みんなが混乱している今がチャンスだよ」

 

 慶三は目を見開き、怒った顔をした。


「そんなことできるか! 逃げるならおまえもだ、さあ、来い!」


 慶三が手首をつかんで引っ張るが、士郎は一歩も動けない。

 士郎の足は柱に鎖でつながれている。ばあ様が何重にも札を貼って呪いをかけた。


「ほら、逃げられないんだ。僕はずっと前から依り代になることを覚悟していた。物部と宮田の血を引く僕にしかできない」


 慶三が眉間に皺を寄せてくそっ、と吐き捨てて士郎の足を縛る鎖をとこうとして、熱いものに触れたように手をひっこめた。

 士郎の足の甲が濡れた。慶三が泣いている。


「……そんなこと、認められるか。おまえは何も悪くないんだ。わかっているのか、依り代になったらおまえはすべての怨念を一身に受けて、一生あの地下で生き地獄を味わう。死ねないということがどれほど地獄かわかるか?」


「わかってる」


 士郎は即答した。


「兄ちゃん、僕はね。怨霊が愛しいんだ。みんな辛くて悲しくてさ、僕に寄ってくるんだ。つらいね、苦しいよねって、言ってあげるよ、みんなに。それは僕にとって地獄ではないし、不死になれるってすごくない?」


 慶三に頬を叩かれた。


「馬鹿なことを言うな! おまえはそんなことをするためだけに、産まれてきたんじゃない! 人間は死ぬ生き物だ、死ねない者は魔物だ。おまえは魔物になろうとしている、なぜわからない!」



「兄ちゃん、何言ってるの? 僕は産まれてきた時から魔物だよ。この世に産まれてきたはならなかった。僕は一度も人間社会で楽しいなんて思ったことはなかった、でも」



 真琴と竹丸とアルバイトしていた時間は楽しかった。二人は士郎と同類で幽霊が見えた。同じものを視た唯一の仲間だった。そして良子が加わって、四人で夜のファミレスで何気ない会話を交わしているのが楽しかった。



「やめろ、やめてくれ。自分のことをそんな風に言うのはやめろ。おまえは人間だ、これからもずっとそうだ! 知ってるだろ、おまえはスーパーオノシタの人気店員だった、親切な店員さんだったと何度も俺は聞いたよ。おまえは人に好かれている、優しい心をもってるおまえが魔物な訳がないだろう」


 兄ちゃんはどうしてわかってくれないんだ。いつまでもどうして怒り続けるんだ。



「……そんなの、仕事だからだよ。お金もらってるから。僕は人間なんか嫌いだ、僕の見た目がいいから近寄ってきて、興味がないからそっけなくしたら性格が悪いってすぐ悪口を言う。人間は気持ちが悪い、触られると鳥肌が立つ、神社にくる参拝客はみんな自分だけ幸せになりたい奴ばっかで、僕はそんな奴らがみんな不幸になればいいって願ってた! どうせあの神社に神様なんていやしないし」



 士郎は喉で笑った。



「一つの少数民族を惨殺して、その贖罪をせず富のためにその怨念さえ利用する。それは物部家だけじゃない。いくらでもこういう事例がある、みんなそんなことも考えずひたら自分だけの幸せを願って忌み地の神社を信仰して、本当に愚かだ。宮田家も宮田だ、神社を作って怨念を鎮めようと小賢しいことなんてしないで、物部の者を皆殺しにして民族の怨念に食わせるべきだった。みんな死ねばいい!」


「死ね、死んでしまえ!」



 士郎は叫んだ。



    ※


「嘘だ」


 真琴が泣いた。

 士郎の叫びを聞いた。

 竹丸たちは士郎救出のため屋敷の裏手から入り、部屋に行く途中で慶三と士郎が話しているのを聞いて身を潜めていた。


「あれは士郎くんじゃない、あんなこと言う子じゃない」


 真琴が口をおさえて嗚咽を飲み込んでいる。


 竹丸も信じられなかった。

 士郎が魔物な訳がない。彼が客に見せる笑顔は本物だった。いつもくるおばあちゃんのお客さんの買い物袋をいつも荷車に乗せあげていた。

 バイト初日の日を思い出す。


「ゆっくり覚えてくれたらいいからね。体調が悪い日は無理せずに休んでくれたらいいから。わからないことがあったら、なんでも聞いて」


 士郎はそう言って微笑んだ。

 一目惚れだったんだ、わざと覚えていることも話すきっかけが欲しくて聞きにいったことがあっても、士郎は丁寧に教えてくれた。

 距離を詰めすぎたら怒ってきたけれど、柔和な態度は変わらなかった。長い付き合いではないが士郎は人間だ、人間らしい優しさがあってぬくもりがあった。


「慶三、勝手な真似をするな。士郎に関わるなと言っただろう!」


 男の怒号が聞こえてきた。


「うるさい! こうなったら警察を呼ぶ。監禁罪だ」


 慶三が怒鳴り返す。


「馬鹿者め、警察が我々を捕まえられるものか。ほら、連れていけ!」


「やめろ、離せ!」


 大柄な男たちに慶三は連れていかれた。


「一旦、引くぞ」


 鉄平に促され、竹丸は真琴の肩を抱いてテントへと戻った。


「士郎さんの言う通りやろ。物部一族は滅びるべきやった」


 テントについて座るなり、鉄平が言った。


「あんたに何がわかるのよ! 士郎くんのことを何も知らないくせに」


 真琴が怒鳴りつけても、鉄平は眉ひとつ動かさない。


「民族虐殺は悪いことや。ボクは士郎さんと話したことがあります。神社で話をしました。民族学専攻の学生で、尾之下神社の云われについて知りたいとお願いしたら、冷たい茶をいれて縁側にボクを座らせて丁寧に教えてくれはった。士郎さんは参拝者の不幸なんか願ってへんよ」

 

 鉄平がため息をついた。


「あれは、はったりや。慶三さんを諦めさせるために怒りはったんや、慶三さんを遠ざけるために、あんな……なんでや……あんなきれいな人がな、祖先の罪をつぐなわなあかんねん」


 鉄平が三角座りをして、体をちぢこめて泣き出した。

 

「そうだよ、全部嘘だ。士郎くんは、誰にだって優しい。優しすぎて、たちの悪い悪霊にまで優しくてして、何度も体調を悪くして苦しんでも、また同じことをした」


 真琴が泣きながら言った。

 納得なんかできるはずがない。

 

「すまん、ちょっとタバコ吸ってくる」


 竹丸は外に出た。

 首に冷めた風がある。

 何もかもおかしい。

 この世は非道が多すぎる、人道を外れた外道は鬼道につながる。

 煙草を深く吸い込む、肺いっぱいに吸いこんで、盛大に咳をして竹丸は泣く。煙草が燃えて縮んで指先を焦がす。


「煙草って、おいしいの?」

 

 士郎が子供のような目で尋ねてきたことがあった。美味いっすよ、吸ってみますか、と竹丸は吸いかけの煙草を士郎に差し出した。

 士郎は煙草を指で挟んだ、彼の唇が自分の吸った煙草にくわえられるのを竹丸は心臓を高鳴らせて待っていた。


「いや、やめとく。僕はわりと自制がきかないんだ。煙草中毒になったら嫌だ」


 そう言って士郎は煙草を返してきた。がっかりしながらも士郎のその姿勢に尊敬した。


「そうっすね、きれいな神主の士郎さんには煙草は似合わない。イメージプロモーションは大事っす」


「……あのさあ、すぐ僕のこと……きれいだとか言うのさ、やめろよ。気恥ずかしい」


 そっぽを向いた士郎の耳が赤くになっていた。


「すんません、思ったことはすぐ言う口でして。士郎さんは、なんて誉められたら嬉しいんですか?」


「別にない。ほら、仕事戻るぞ」


「はいはい」


 はいはい。いつもそう言って士郎の背中を追っていた。彼の背中を何万回も抱きしめたいと思った。自分より小さいけど、かっこいい背中を抱きしめていたかった。


 竹丸はテントに戻った。

 鉄平も真琴もうつむいている。


「鉄平、おまえはオカルト民俗学愛好会の会長だろ。何かないか、呪術返し」


 竹丸はあぐらをかいて、力強く鉄平に聞いた。


「俺は諦めない。絶対に士郎さんを助け出す。教えてくれ」


「呪術返しか、ぎょうさんある。せやけど物部が掌握しとる怨念は強い。捕らわれている士郎さんをなんとかあの部屋から出すしかない」


「鉄平、俺と真琴さんを舐めんな。忌み地で働いてた霊感強い俺たち二人がいる。なんだってやるよ、そうだろ、真琴さん」


 真琴は赤い目でうなずく。


「そうだ、私は何年もあそこで働いてんだよ。私だって、絶対に士郎くんを助け出す。なんだってやるよ」


「そうでしたな、失敬失敬。そやな、まずは物部副店長を連れて行った男ども、あいつら片づけておきましょか。そんで物部の屋敷に忍びみこむとこからはじめよ。副店長を連れていってあいつらは、スーパーオノシタの経営者やろ?」


「さすが鉄平くんだね、よく知ってる。あいつらは本部の奴らだよ。忌み地のスーパーがなくなって土地を浄化したら一番困る金の亡者だよ」


 真琴が忌々しそうに言う。


「ボクが一番嫌いな手合いや、そういう奴らはどつくのが一番やな。ボク、格闘技できますねん。岡崎先生は空手の達人ですやん」


「え、そうなの?」


「え、ちょっとなんでそれ……て、あれか……ティックトックにきまぐれであげたやつで」


 真琴がしどろもどろになる。


「バスりましたよね。先生の空手とボクの格闘技でまずはあいつら、やっつけましょ」


「そうだったの?」


「あの動画のことは忘れて。まあともかくやってみよかっか。まあそうなるかとジャージできたし」


 真琴が立ち上がって、背伸びをして首を回した。鉄平も立ち上がって前屈をしたり腕をのばしたりと柔軟体操をはじめた。


「今気づいたけど、二人とも猫顔だな。真琴さんのほうが断然かわいいけど」


 竹丸はそう言って少し笑う。


「じゃあボクら、逆賊にゃんちーむでいきましょ」


 鉄平が拳をつきだす。


「オッケー」

 

 真琴がグータッチで返す。


「おまえはこれもって、士郎さんとこ行け。絶対に助け出せ」


 鉄平がでっかいボルトクリッパーを渡してきた。受け取って竹丸は深くうなずく。


「行こう」


 この世に諦めていい命なんてないんだ。


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