第17話 脱出

 士郎は目隠しをされている。

 生臭い息がした。荒い息づかいをしているばあ様が体のあちこち触ってきた、骨ばった手が痛い。


「彼女は、真琴さんはどうか逃がしてください。僕が依り代になりますから、どうかお願いします」


 士郎は頭を下げてばあ様に訴えた。


「利用する物は全部利用する。それが私の主義だよ。おまえが人間でいられるのも、あと少しだ。用意ができるまでおとなしくしていろ」


 無情なばあ様の声がした。


「僕一人でいいだろう! やめろよ、やめてくれって彼女は関係ない!」


 叫んで手を伸ばし、ばあ様をつかもうとして、士郎は肩をつかまれて引き倒された。ごつい手が顎をつかむ、無理矢理口を開けさせられ、何か飲まされた。

 士郎は昏倒した。

  

     ※


 ぺろりと唇をなめる。士郎の甘さがまだ残っている。真琴は目隠しをされ軟禁されている状態なのに、興奮していた。隣に士郎がいる。


 彼の息遣いを感じるたびに、くすくす笑いそうになる。

 真琴はしてはいけないことをした。

 彼を自分のものにはできないなら、彼と同じ運命をたどるまでだ。

 嫌だった霊感が今はありがたい。

 力があれば彼のそばにいられる。

 同じだけの呪いを受ける、それは唯一無二の関係だ。

 私たちにしかできない絆。それは全身で享受したい。

 真琴は笑う。


    ※


 竹丸はいきなり、鉄平に頭を押さえつけられた。生け垣の向こう側から聞こえた足音が近くて、心臓の鼓動が激しくなる。

 橙色の灯りが漏れ出る屋敷に、人が集まってくる、スーツの男やいかつい外見の男たちだ。

 

ーーーヤバいことになった、おまえはなるべく部屋から出るな。バイトは当分、休みだ。


 副店長の緊迫した声がそれだけ言って、一方的に電話が切れた。何があったか真琴と士郎にラインを送ったが、既読がつかない。

 どうしたものかと思っていると、鉄平から呼び出された。


「バイク出してくれ、山行くで。どえらいことになってるみたいや」


 鉄平の言葉に竹丸は嫌な予感がした。

 竹丸は鉄平をバイトの後ろの乗せて、山中の屋敷にきた。スーパーオノシタの土地管理者である、物部家の屋敷、物部副店長の実家である。


 そこは異様な雰囲気だった。

 屋敷からは念仏のような、呪文のような、合唱が聞こえてくる。その声は人が増えるごとに大きくなっていった。

 竹丸の頭痛は酷くなる。士郎と真琴は大丈夫なのだろうか。冷えた指先でラインを開く、既読がついていない。


「のしらえのしらえやのしたやのした、やのしたのやのした、およびくだされおよびくだされおよびくだされ」


 しわがれた老婆の声が呪文のようなことを叫んでいる。


 竹丸は地面にスマホを落としてしまった。拾おうとするとガギガガ、とスマホが奇妙に震えて手を引っ込める。


 地震かと膝をつき、近くにあった松の木に手をついた、手のひらに幹の中で何かが動いているような躍動があって、それも恐ろしくなって竹丸は地面に手をついた。


「安心しろ、地震やない」


 鉄平が竹丸の肩を叩いて言った。

 じゃあ何が起きているんだよ、と言おうとした時に、金切り声が屋敷から聞こえた。


 白い老婆が屋敷から勢いよく庭に出てきた。ざんばらの白髪を振り乱し、白い着物できぃきぃ声をあげながら声をあげている。 


 竹丸は口に手を当てて隠れる。


「ついにイカれたか」


 鉄平が呟く。


「うちではもう、どうにもならないだろう! 宮田さんを呼ぶ」


 物部副店長の怒鳴る声がした。どういうことかと鉄平を見ると彼はカメラで狂った老婆を撮影している。


「私らの言うとおりにしろ。向こうがきても何もできまい。そもそも士郎を向こうの者に任せたのが間違いだった。あの時に依り代にしとおけば」


「なんてことを言うんだ! 士郎と岡崎さんをどこにやった!?」


 士郎と、そして真琴はこの屋敷に連れてこられたのか。

 革靴の足音が聞こえてくる。


「やばい、行くぞ」


 鉄平に服をつかまれて、慌てて逃げる。



    ※



 頬がひんやりとして、真琴は目が覚めた。すでに死んでいる人の手だとわかった。


「起きなきゃだめよ」


 白い顔に黒い瞳が映えた、士郎に似た女性の霊が言った。


「あなたはだれ?」


 真琴の問いかけに答えることなく、女性の霊は立ち上がって消えてしまった。真琴は腹に重い痛みを感じて体を起こした。着せられた白装束の股の間が濡れている。内股から血が滴り足首をつたって布団を赤く汚した。


 腹痛に呻きながら、生臭い生理の臭いで真琴の視界は蘇った。

 四畳半の和室、大きな箪笥と、封じられた引き戸に張られた無数の札、真琴の正面に置かれた丸鏡。


 こんな異様な場所に入れられたこと、正気を失ったことが真琴は悔しい。

 士郎に「あんなこと」をしてから真琴は静かに病んでいたようだ。

 

 真琴は箪笥を素早く開けた。帯や着物の中に女性用のショーツがあっった。浴衣なら自分で着れる。青地に朝顔模様の浴衣と紺色の帯を引っ張り出した。あとは生理用ナプキンの代用、それは奥の方にしまい込まれていた布を引き裂いて使った。何枚も引き裂いた布オムツを帯の間に入れた。

 あとは足袋を履く。生理痛で目眩がしたが、じっとしている暇はない。


 真琴は鏡の後ろに立ち、蹴り飛ばして鏡を割った。札を両手を使って剥がし、引き戸を開けて縁側に出た。


「ケガレめ、ケガレめ!」


 白髪を振り乱し、目を見開いた老婆が真琴めがけて一直線に走ってくる。


 真琴は縁側から飛び降りて走った。広い庭を走っていると、灯籠の裏から竹丸が出てきて、焦った顔で手を振っている。真琴はそちらへ駆け込んだ。


「どこへ行った、ケガレめ……血の臭い……血の臭い……ケガレになるなら家に入れてはいかんのに、誰じゃしくじりよって」


 老婆はぶつぶつ言いながら、家に戻っていった。


 たまらない吐き気がした。老婆は振り乱した毛先まで臭い妖気でおおわれていた。

 ここにいてはならない。

 腹の底に石を落とされたように体が重い。


「大丈夫でしたか、何かされませんでした?」


 老婆が立ち去って行くのを確認してから竹丸が声をかけてきた。彼の隣に金髪の若い男がいて、じっと真琴を見ている。


「何もされてないよ。病院からここに連れて来られて、部屋に寝かされてた。隣には捕まった士郎くんがいるはず。なんなの、何がおきてるの。あとここヤバいよ」


 真琴は地面に座りこんで頭を抱えた。経血がじわっと広がって尻が生温かい。

 悔しいと感じる。こんなところにつれてこられて、隙を見せてしまった。


    ※


 屋敷から飛び出してきた浴衣姿の真琴は、疲労していた。彼女から血の臭いがして、怪我をさせられたかと思ったがそうではないようだ。そしてそうか、月経かと真琴の尻あたりが赤黒く変色しており気づく。

 こんな時に大変だ、辛いだろうに。竹丸は真琴を抱きしめたい腕をぐっとこららえる。


「初めまして、ボクは大野鉄平と申します。竹丸の学友で民族学を研究しておりまして、この山の忌まわしい歴史を知って、山とスーパーオノシタの因縁について知りました」


 鉄平が丁寧な敬語で話す。学友ではない気がするが、まあそう話すの早いか。


「因縁?」


 真琴が細い声で問い返す。


「はい、それについては一度、ここから離れてゆっくり話しましょう。真琴さんも着替えをしたいでしょう。そして折り入ってお願いがございます。その願いを言う前にまずは無礼をお詫びいたします」


 鉄平が土下座をした。


「申し訳ございません、あなたの経血がついた布を守りとしてください。ボクの性癖からではありません。経血は民俗学においてケガレとされませすが、そのケガレがこの山の異様さに立ち向かうためお守りとなります。どうかお願いします」


 鉄平が地面に額をつけたまま言った。


「ちょ、おまえ」


 何言ってんだ。デリケートな月経の血がついた布が守りとなるだと。


 真琴は大きなため息をついた。


「わかったよ。生理予定日じゃないのに、そういうことな訳ね。生理がきてなきゃ逃げられなかった。わかった、血のついた布、あげる」


 真琴が言って、立ち上がり、少しふらついたのでとっさに竹丸は彼女の肩を支えた。

 黒い瞳が光って、竹丸を見上げる。


「家まで送って。そしてまたここに来る。士郎くんを助けないといけない」


「わかりました、でも無理はしないでください」


「大丈夫。ロキソニン飲めば。鉄平くん、全部聞かせてよ。因縁とやらを」


 真琴が顔をあげた鉄平に言った。


「わかりました。では、ボクはこの山の麓の安全な場所にテントはってるんで、そこで待ってます」


 鉄平がにやりと笑って答える。

 そういえばバイクをおいてきた場所にテントらしきものを見たな、と竹丸は思い出した。

 大野鉄平。

 こいつはどうも計り知れない。


「今のうちに、早くいこう」


 真琴が竹丸の手をとって、歩き出した。竹丸は真琴の手を強く握った。手のひらが熱い。

 竹丸は真琴の足下をスマホのライトで照らし、気をつけてと声をかけながら歩く。


「たぶん、封印がとけてしまった。すべて、出てしまったんだよ」


 ぽつりと真琴がいう。


「何がですか?」


 問いかけに答えず、真琴は下を見ながら歩いた。


「シートに血がついたらごめん」


 バイクの後ろにまたがった真琴が言った。


「気にしません。背中にもたれかかっててください。出発します」


背中に真琴の重さと、熱い体温を感じながら、竹丸は夜道をバイクで走る。


「士郎くんを、助けなくちゃ」


 真琴は何度も竹丸の背中で言った。

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