第16話 決壊
真琴が高熱を出して肺炎になり入院した。熱は下がってきたが酷く衰弱しているので、退院は長引いた。
「私のせいなのよ。私が時計を見ていたら……九時半に捨てなかったら……」
見舞いに来た士郎に、真琴は言った。やつれた横顔。何度も前髪を整える指の爪は青白い。
「違います。あれは最初から細工されていたものです。スーパーの怪奇現象ではありません」
士郎が言うと、真琴がようやくこっちを見てくれた。久しぶりに見た真琴の顔は淡い。儚い瞳が潤んでいる。
「じゃあ、どうして……」
「ごめんなさい。僕の家です。物部家の仕業です。真琴さんはあれに触ってしまったから、病気になってしまったんです」
「どういうこと?」
士郎は唇を噛む。まだ慶三から詳しく話を聞けていないが、物部のばあ様がおかしくなって、士郎を依り代に欲しがっているという。
「依り代が必要なんです。それは僕の役目なのです」
真琴は目を見開いた。
「そんなの」か細かった真琴の声に、張りが戻った。「そんなの、許せない」
シーツを握りしめ、真琴はぎゅっと目も口も閉じると、泣き出した。
「あの土地にいる、あの子たちの骨を拾って、慰霊するべきなのに」
真琴が泣きながら言う。
士郎はしゃがんで、そっと真琴の握りしめすぎた拳に手を添えた。
「僕も、そう思います。あの土地を浄化しないといけない。だから、僕の力で」
士郎は柔らかさに、包まれた。
熱い。唇が、熱い。
「私たちが、なんとかしよう。だから、力をちょうだい」
士郎は真琴に唇を吸われた。顎から首筋へ、混ざり合った唾液が流れていくほど、深く。
もっと深く、もっと。
真琴の手が士郎の首筋から胸元をなで、覆い被さろうとしたときだ。
数人の男たちが入ってきて、二人は引き離された。口と目を布でふさがれて、あっという間にかつがれてしまった。
病室では乱れたシーツに、二人の熱だけが残った。
※
夕方六時、士郎が帰って来ないと宮田から連絡があった。その後、店に真琴の両親からも電話があり、娘が病室から消えた、警察に捜索願いを出すところだと連絡が入った。
同時に二人がいなくなった。
事務所に良子と竹丸がきた。
「士郎さんから、まこちゃんのお見舞い行くって連絡があって、それから連絡とれないんです」
良子が涙声で言う。
「俺が送ったラインにも既読ついてないです。二人同時にいなくなるなんて、何があったんだ。病院から行方不明になるなんて妙ですよ」
険しい顔で竹丸が言った。
物部家の者だと慶三は直感していた。ばあ様がおかしくなったと話は聞いていたが、強行手段に出たか。
「今は警察に任せよう。大丈夫だ、俺も探してみる。今日は店を休みにする。気をつけて帰ってくれ」
慶三は二人を言い聞かせて帰らせた。
物部のばあさま、慶三の祖母は八十になるが足腰も弱らず口も闊達で、たまに霊媒師の仕事をしていた。どこの神社仏閣でも除霊できなかった霊を、祓った。
ばあ様の後は士郎をのぞいて、それほどの力がある者は産まれなかった。士郎は強い霊感を持つ末裔である。
大叔父が慌てた様子で電話をしてきた。
嫁がおかしくなった、と。
大叔母はばあ様の姉妹でありながら霊感を受け継がなかったはずなのに、いきなり霊が見えると言い出して、寝食もせずに気が触れたように騒いでいるという。
「とにかく早く来てくれ、とにかく変なんだ、すべてがおかしいんだ」
電話から聞こえきた大叔父の声の後ろでずっと、
「くるなくるなくるなくるなくるな」
と女の声が繰り返していた。
士郎と真琴は、物部の屋敷に連れて行かれたと慶三は確信した。しばらくは無事で置いておかれるだろう、二人を取り返さなくては。
慶三は神社へ行き、宮田神主と相談した。
※
スーパーオノシタの店長、吉村次郎は、副店長の物部慶三が嫌いだ。
オノシタの土地は物部家の私有地で、店舗経営は親会社駒田だが、物部慶三はコネで入社したのだと吉村は睨んでいる。就職氷河期にさんざん苦労した吉村はコネ入社した者を憎んでいる。
物部は何か隠している。
物部がこそこそと、店の裏で何かやっているのを見た。事務所の裏戸から出てきて、フェンスと建物の間にしゃがみ、鉄の蓋のようなものを開いて、地下へと入っていったようだ。
吉村はその様子を、車から息を飲んで見ていた。
脱税でもしているのか。
物部から実家に不幸があり、しばらく店を休むと連絡が入り、すぐに本部からも店はしばらく閉店するようにと短い伝達があった。なぜ閉店にするのか理由を教えてもえらなかった。
店が閉店し、職員が全員帰ったのを見計らい、吉村は裏戸を開けて鉄板の扉を見つけて開こうとしたが、南京錠がつけられていた。物部のロッカーを漁ると上着のジャケットから鍵が出てきた。
吉村はスマートフォンのライトで鉄板の扉を照らしながら開けた。コンクリートの階段が現れた。階段の下に闇が広がっている。吉村はゆっくりと降りた。
不正が見つかるに違いないと吉村は信じていた。
階段は長く、低い天井の圧迫感と先が見えない暗闇の不安に耐えながら、吉村は進んだ。
物部を辞めさせてやる、最悪、不正で逮捕されろ。
吉村は最後の階段を降りた。
広く開けた場所に出た。照らした床はごつごつとした岩肌だ。ライトで周りを照らすと、まるで洞窟のような場所だとわかった。
朱塗りの小さな祭壇に丸鏡が置かれいて、鈍く光っている。奇妙なのは天井まで積み上げられた棺桶だ。
赤ん坊の泣き声がした。
おろろろろろろろろろろろろろろ
吉村はスマートフォンを地面に落とした。ライトが光ったまま地面に飲み込まれていく。
「あ、ああああああああああ!」
巨大ななめくじのような三角形の、てらてら、つやつやした体に細面の顔が頂点についている。体からはいくつもの赤ん坊が生えて、泣き叫んでいる。
「この子にお乳をやってはなりませぬ、この子にお乳をやってはなりまん」
女が泣きながら言う。
細い足が見えた。いくつもの細い折れそうな子供の足が歩いてくる。
「じゃあ、みんなで、食べよう」
がりがりにやせ細った子供たちが現れて、泣いている赤子にむしゃぶりつく。耳を、足を、喰いちぎる。
黒い血が地面からあふれてきた。
「あ、あ、だれか、」
たすけてくれ、と叫び暇もなく吉村は地面に飲み込まれた。
※
スーパーオノシタの店長、吉村次郎が店内で怪死しているのが発見された。
両手、両足、首。
すべての骨が骨折していた。
慶三は警察の制御を振り払い、事務所へ走った。裏戸が開かれている。地下への鉄板の蓋が開いていた。慶三は慌てて蓋をする。
地下への鍵は死んだ吉村が握りしめていた。
店は封鎖され、黄色のテープが張られた。慶三は警察の事情聴取を終えて、物部家へ車を飛ばした。
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