第15話 ぬいぐるみ
士郎は尾之上山に向かった。物部家所有の小高い山は、尾之下神社から自転車で坂道を上って三十分の位置にある。尾之上山、尾之下神社、オノシタスーパーは三角形で繋がっている。
坂道には「私有地につき立ち入り禁止」の看板があり、一つ街灯があるだけだ。ガードレールもなく、手入れのされていない林が生い茂っている。
しかし、カーブミラーは十個以上設置されている。坂道の登りは道の外側を、急カーブになると外側を向いて、その先は正面を向いているという、奇妙な設置をされたカーブミラーだ。
士郎はミラーをライトで照らして進んだ。
店内を掃除してくれる幽霊、スズキさんが言っていた。
「この子に頭があれば、なでてやれるのに」
首のない子供を哀れむスズキさんに、士郎は同調した。小さな子供の頭は山に埋まっているはすだ。掘り起こしてスーパーの地下にもっていけば、子供は首を取り戻すだろう。
「士郎、何をしている」
山に入ろうとした時、腕をつかまれた。慶三だ。
「ここに来るなと言ったはずだ、何をしている。車に乗れ」
士郎はおとなしく車に乗った。助手席には宮田がいた。宮田の悲しそな顔を見て、バレてしまったか、と士郎は観念する。
スーパーオノシタの事務所に連れていかれた。防犯カメラに、士郎が地下に入っていく姿が写っていた。地下で士郎が霊を体で受け入れて苦しむ姿も撮られていた。カメラが設置されているなんて気づかなかった。
「しばらくバイトを休め。地下には今後一切、立ち入るな」
慶三に厳しく言われて、士郎はため息をついた。
「……誰かが受け入れなきゃいけないんだ。すべて知っているのに、何もしないのは嫌なんだよ」
「やめてくれ、士郎。だからといって、おまえが苦しむ理由にはならないだろう」
宮田の目には涙が浮かんでいた。
「にいちゃんもおじさんもわかってない。僕はもう覚悟ができている」
「覚悟なんてしてくれるな、頼む。こんなことはもうやめてくれ」
首を横に振って、宮田がため息をついた。大人二人を説得できなさそうだ。
「わかった。バイトは休むけど、三日だけ。もう地下にも、山にも行かないから」
士郎は自分の白い手を見て言った。
「ごめん」
謝罪の言葉を宙に投げ出す。
ごめんなさい。士郎は何かもに謝りたい気分になった、慶三にも宮田にも首のない子供にも。何ひとつ、まともにできない自分の弱さを感じ入る。
士郎は土日月と、部屋にこもっていた。慶三から体調不良と聞かされたと、竹丸たちから心配のラインがきたが、士郎は適当に返した。
布団にくるまって、ろくに食事もとらずに三日間を過ごした。深い眠りの中で士郎は地下の棺桶たちのささやきを聞きたくなる。
骨はいつ解放されるのだろう。
骨はいつ、故郷に戻れるのだろう。
こんなことは、間違っている。
士郎は頑固になっていった。
※
「君、仕事遅いよ。もっと早くしてくれる?」
吉村店長にそう言われ、竹丸はムッとした。
「はい、すみません」
竹丸は平坦に謝った。士郎が休みで急遽残業となった吉村は機嫌が悪いのを隠さず、仕事も雑だ。パートのおばさんが言っていた通り、吉村店長は神経質な細い目をしており、物の言い方がきつくて嫌な奴だ。
「残業、ありがとうございました。もう帰ってください」
物部副店長が見かねて吉村店長に言った。吉村店長はふてくされたような顔で物部副店長を見た。
「どうも。ついでだから事務仕事して帰るよ。たまにも君たちの夜の仕事ぶりを見たいところだし」
吉村店長は嫌味ったらしく言い、事務所に入っていった。物部副店長はため息をつく。
「嫌な人っすね」
ぼそっと竹丸は物部副店長とすれ違う時に言った。
※
吉村店長と同じ空間にいるのは嫌だが、慶三も用事があって事務所に入った。
「前から気になってたんたけどさぁ、このドアに意味あるのか?」
吉村店長が裏戸を指さして言った。
「あ、はい。一応、避難経路です」
「じゃあなんで鍵かかってんの?」
うるせぇなあ、という言葉を慶三は飲み込む。
「防犯です」
「ふーん。君さぁ、ここの土地の所有者の親類なんだろ? いいよねー社員時代短いのにすぐ副店長になれてさ」
また吉村の嫌味が始まった。何回も言われてきたことだ。
「吉村店長ならすぐに本社にいけますよ」
毎回、慶三は吉村の嫌味にそう返している。
「そうだといいよ。この店、夜になると陰気だよね。まあ、君にはあってるよね。じゃあ、お先に。お疲れ様」
「どうも」
慶三はおまえのにやけた顔の方が気色が悪い、と思った。
慶三の気分は、地下の監視のカメラを見てから陰鬱としていた。儀式で怨霊は士郎の体をもらうと宣言した、それに士郎は応じようとしている。士郎を叱っても身の入っていない返事だった。
どうやったら止められる。
巨大な赤ん坊が産まれてから、地下の棺桶は震え続けている。
※
体調を崩して休んでいた士郎が、バイトに復帰した。しかしやつれて見えて、真琴は心配になる。
「レポート書くのに徹夜して、ちょっと体調崩しただけです」
士郎はそう言って笑ったが、顔色が悪かった。竹丸と真琴は目を合わせて、静かに士郎を心配しあった。
真琴は手のひらサイズのぬいぐるみを拾っていた。白い体で三角の耳が青い、最近人気のキャラクターだ。
市販されているのと違うのは、左耳に「タヒー」と赤い糸で刺繍されている。元々名前のあるキャラクターなのに、違う名前をつけるのはちょっと変だけど、刺繍をいれるほど特別なのだろう。
すぐに持ち主の元へ帰れるだろう、と思って保管していたのは三ヶ月前のこと。
落とし物は三ヶ月を過ぎたら処分する。その分別作業で、ぬいぐるみを手にして真琴はためらった。
人形やぬいぐるみを捨てるのは苦手だ。ぬいぐるみの可愛い刺繍の目が、じっと真琴を見つめているように感じる。
「ねぇ、それ本当に捨てちゃうの?」
パートの田口さんが、甘ったるい声で言った。義母の介護施設入居かが決まり、田口さんも夜のシフトに入るようになった。
「うちの孫が好きなのよ、その子。捨てるならさぁ……こっそり持って帰ってもバレないし……」
なよなよとした仕草で言う田口さんを、真琴は眉をひそめて見た。
「やめた方がいいですよ。忘れ物を着服するのは」
きつい口調で真琴は言った。
ちぇ、つまんない。
田口さんが言う。まったく霊感がなく、この異様なスーパーで無頓着に働いてくれていることには感謝するが、田口さんはもう六十を過ぎているのにたまに子供っぽい言動をするのには困っている。
真琴はぬいぐるみを、ノールックでゴミ箱に捨てた。ぽん、とぬいくぐるみがゴミの中に埋まったのは、丁度九時半のことだった。
一週間後。
田口さんが出勤して来ない。
真琴は汗をかきながら商品をスキャンしていた。
夜七時は忙しさのピークだ。レジができる士郎に入ってもらい、他のパートさんには残業してもらって、なんとか客をさばいた。
暑さでイライラしているせいか、列に並んで待っていた客に遅いと文句を言われ、真琴の苛立ちも沸騰しそうになった。
「電話に出ないよ。どうしたのかなぁ、あの人、遅刻してきたこともないのに」
物部副店長が首を傾げて報告してきた。
ペットボトルのお茶を一口飲んで落ち着いた真琴は、田口さんが心配になってきた。いつも勤務時間より五分は早く来る、確かに遅刻したことがない。
「何があったんでしょうね。事故とかじゃなければいいけど」
真琴は呟く。隣のレジにいる士郎を見ると、慣れない仕事をしたせいか、ぐんにゃりしている。
「今日はとりあえず、士郎にレジに入ってもらおう。困ったなぁ、こっちも荷物溜まってんだよなぁ」
頭をかきながら副店長がぼやく。
「竹丸が馬車馬になりますよ」
疲れた顔で士郎が珍しく毒を吐いた。
「……真琴さん、レジって大変ですね。僕はこんなの、毎日できない」
士郎が涙目で言った。
「そうでしょう、大変なの!」
真琴は思わず大声で同意する。
翌日、出勤して更衣室のドアを開けようとすると、泣き声が聞こえてきた。何事かと慌てて入ると、数名のパートさんが固まって、すすり泣いている。
「ああ、真琴ちゃん。あのね、田口さん亡くなったのよ」
田口さんと仲の良かったパートさんが、言った。
「昨日、事故で……私、その直前まで田口さんとお茶してて、こんなにいい笑顔だったのに……」
スマホの画面を見せて、パートさんは泣き崩れ、周りの人たちが慰める。
スマホの画面には、笑顔で小さなぬいぐるみを持っている田口さんがいた。白に青。
真琴は目を見開く。
トートバックが肩から落ちる。
あの、落とし物のぬいぐるみだ。
真琴はもっとよく見せてください、とパートさんからスマホをあずかる。
左耳に「タヒー」の刺繍があった。じっと見ていると、タヒーの刺繍が動いた。ぴくりとスマホを持つ真琴の指は痙攣した。
赤い糸がうごめく、そして変化する。タヒーの棒線が「タヒ」の上に移動した。
「死」
スマホを返して真琴はへたりこんでしまった。全身がわなわなと震える。あのぬいぐるみを、田口さんはこっそり持ち帰っていたのだ。
呪われた刺繍入りの人形を。
震えが止まらない。あれは、あれは燃やすべきだった、なぜ気づかなかったのか。
真琴は意識を失った。
「お姉ちゃん、またなの」
迎えに来た妹が、泣きながら言う。妹に肩を貸してもらいながら朦朧とした意識でタクシーに乗る。
その夜、真琴は高熱を出した。
落とし物を拾ってはいけない。
前の持ち主がどんな人物がわからない。
形あるもの、すべてに魂は宿る。
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