第14話 産まれる
閉店して戸締まりを確認している時、ガタガタとと音がした。裏戸を開けて見に行くと、地下の扉が動いている。慶三は溜息をついた。
また、儀式をやらなければいけない。
※
良子が休みの日に儀式をすることになった。
以前のように酒や榊が用意され、士郎は白装束で足袋を履くのに手間取っている。真琴がしゃがんで、足袋を履くのを手伝った、士郎の細い足首と足袋の間に真琴の指がすべるのを竹丸は息を飲んで見ていた。
士郎がぺこりと頭を下げる。
真琴は何も言わずにいいよ、という風に首を振り竹丸と目が合うと薄く微笑んだ。
閉店して店は暗闇に沈み、儀式が始まる。前と同様に竹丸は真琴の横に正座した。
目の前の蝋燭の炎があかあかと燃えて、生ぐさい臭いがしてきた、それは重くなって、竹丸は床に手をつく。
宮田の野太い祝詞が止まった。
しゃかしゃかしゃか、祓串が震えている。宮田の上半身がどっと前に倒れたが、すぐに体を起き上がらせ背筋を伸ばすが肩が震え、祝詞は小さな声で発せられた。
ずるずずる、ずるずずり。
ぴちゃりちゃり。
すぐ真横で異様な音が聞こえる。目だけを動かして横を見る。
黒い大きな女の腹が、丸々とふくれあがっていた。両手で死体をもって、重そうに足を踏み出している。
「かしこみかしこみ、もうしあげる」
透き通った声と、鈴の音がした。
士郎が宮田に変わって祝詞を読み上げ、鈴を鳴らして怨霊を迎える。
宮田は苦しそうな顔で、祓串を両手で握り、眉間に皺を寄せ目を閉じて深呼吸をし、力強く祝詞をあげる。
巨女が死体の山を積み上げた、その大きさは二メートルほどに及んだ。
竹丸のすぐ横には、こぼれ落ちた手足や、内蔵が落ちている。
士郎が鈴を鳴らして舞う。
銀色の羽織りをはためかせ、足を踏みならす。蝋燭の炎で照らされた士郎の表情はうっとりとなって、かろやかにまろやかに動き、紅潮している首がなまめかしく、祓いの舞いにしては官能的すぎる。どうしてこうも士郎は怨霊の前で生き生きと踊れるのか、竹丸はその姿に見惚れながらも、心胆が冷たくなる。
真琴は横で嗚咽をあげて泣いている。
うぎゃああああ
絶叫が全身を貫く。
ぎゃああ、ぎゃあ、ぎゃああ
巨女が床に寝転がって、叫びだした。副店長が立ち上がって、宮田の側に寄った。宮田が倒れている。
産まれる、ついに産まれる!
巨女が叫んだ。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ
そして、産声がした。
巨女の丸くふくれた腹はしぼんでいる。
おんぎゃあ、おんぎゃあ
巨大な赤ん坊が、泣いている。
死体の山と同じ大きさの赤ん坊だ。巨女は起き上がると赤子の口を開き、その中にするりと体を滑りこませた。
きゃっきゃきゃ、きゃっきゃ
赤ん坊が泣くのをやめて、指をくわえて首を動かす。口と小さな鼻はあるが、眼窩はくぼんでいる。
赤ん坊が士郎に向かって大きな手を向けた。
「産まれたね、おめでとう。怨霊の子。おめでとう」
士郎の澄んだ声がした。
「士郎、やめろ!」
物部副店長が止める暇もなく、士郎は赤ん坊を抱きしめた。巨大な赤子に士郎の体が埋まっていく。竹丸は立ち上がろうとしたが、体が動かない。金縛りだ。竹丸の足に青白い手がしがみついている。
「士郎くん!」
真琴が叫ぶ、同じく動けないようだ。
※
慶三は失神した宮田の手から祓串を取り、祝詞をとなえたが赤ん坊は聞かない。士郎を取り込んだまま、巨大な赤ん坊は、きゃっきゃと笑って消えた。
「おまえたちはここにい! 宮田さんを頼む!」
竹丸たちに向かって叫び、慶三は地下へ向かって走った。血と泥で階段が汚れていた、心臓の心拍が激しくなり息が苦しい、スマホのライトで地下の床を照らすと、士郎が倒れていた。
「士郎、おい、士郎!」
抱き上げて揺すると、士郎は目を見開いた。慶三の胸によりかかり、深く彼は息を吐いた。
「ふふふ、産まれたね。産まれてしまったね」
士郎が笑いながら、慶三の肩に手をかけて向かい合う姿勢となった。
「この体は私たちがいただく。すごくいいよ、この体はすごくいい。こんなに真っ白できれびっくり
着物の襟をつかんで、はだけさせた士郎の薄い胸は白い。慶三は士郎の体を引き寄せて、額をぶつけた。
「おまえは誰だ! 士郎から出ていけ!」
つり上がった紫色の目と、大きく開いた口、士郎ではない。
「名前は忘れてしまった、おまえたちに奪われたから。だから私たちもおまえたちから奪う。赤子は産まれた、終わりの日は近い」
士郎の口から女の声がした。
「この子は私たちを受け入れてくれた。清らかな慈愛が私たちは欲しかった……」
紫色の瞳から涙が流れた。
士郎の体が倒れて慶三の体によりかかってくる、抱き留めて慶三は息を吐く。士郎の体は成人男子にしては軽すぎる。
「兄ちゃん? どうして、ここに……」
士郎が目覚めた。
「何も覚えていないのか?」
「儀式がはじまって、踊り出した時から記憶がない。何があった?」
「霊に憑依されておまえはここに来てしまったみたいだ。低級霊だから問題はない。大丈夫か?」
「うん」
乱れていた襟を正し、物静かな表情で士郎は立ち上がった。
慶三は巨女が赤ん坊を生み、士郎が中に取り込まれたことを話したくない。この儀式も終わらせる時だ、もう二度とさせない。
※
「宮田さん、大丈夫ですか?」
真琴が立ち上がって宮田の元に駆けつける。ようやく体が解放されて竹丸も走り寄る。
真琴に肩をゆすられた宮田が起き上がる。
「すまない……私はまた気を失ったか。情けない、神主の私が君たちより霊能力がなくて……すまなかった」
宮田が謝る。
「とてつもないことが起きてしまった。妊婦の腹の中にいた、水子の霊が怨念を養分に産まれてしまったようだ、気を失っている間に、頭の中で赤子の産声を聞いた……」
頭を抱えて宮田が苦しそうに言った。
「士郎くんはどうなったの。見てくる」
真琴がバックヤードに走っていくと、店に灯りがついた。白熱灯が目に痛い。床には泥をひきずったような後があり、生臭い。
士郎と物部副店長が戻ってきた。 真琴が士郎の傍らにいて、心配そうに声をかけている。
「僕は大丈夫ですよ。みんなは、大丈夫ですか?」
士郎が安心させるような微笑みを浮かべて周りを見るが、緊迫感の残った空気を察して暗い顔になった。
「さあ、早く片づけて帰ろう。士郎は低級霊に憑依されて、少し我を失っていただけだ」
言い聞かせるように副店長が言った。そういうことにしておきたい、のだろう。士郎が赤ん坊の怨霊に呑み込まれた恐怖をみんな忘れたい。
てきぱきと蝋燭など片づけ、酒で床を清めて拭いて、何事もなかったかのように済ました。
「お疲れさまでした。またあした」
儀式で疲れた士郎と慶三は、副店長の車で送っていかれた。
竹丸はゆっくりとバイクを走らせて、真琴を家まで見送った。二人はただ手を振り合って別れた。
今日のことは忘れたい。
あの赤ん坊がこれから、どのような怪異を起こすのか、士郎に身の危険が迫っているではないか。怖いことを考えたくない。
竹丸は家に帰って、吐いた。
苦い胃液が喉をしめつける。
幽霊なんて見慣れたが、あの赤子の禍々しさに当てられて心身が疲労し、竹丸は翌日、大学に行けなかった。
※
鏡を見るのが怖くて、真琴はメイクも落とさず着替えずベッドの中に入ってがくがくと震えた。
宮田は「赤ん坊が産まれてしまった」と言った。妊婦の怨霊の腹の中にいた子、死にながら産まれてきた。死んでいるのに産まれたきた。これは一体、どういうことだ。
あれは、地下に封印できるものになのだろうか。あまりにも巨大すぎる怨霊を、あの儀式で果たして封じられたのか。
何の迷いもなく、赤子に抱きついていった士郎も怖い。儀式になると怨霊の前で華麗に舞う士郎の色気に見惚れてながらも、ぞっと寒気がしていた。
こんなにも好きなのに、士郎は真琴の理解が追いつかない所にいる。
誰か大丈夫だと言って欲しい、でもそんな人はどこにもいない、誰にも相談なんてできない。
体を丸めて、真琴は泣いた。
「士郎くんを連れていかないで……」
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