第6話 執着
六の話、我々は執着されたかった人として求められたかった、座敷牢は前の者が死ぬと上に新しい畳が重ねられ、他の家から出た狂い人を座敷牢に入れ、その家の者から金をとった、本当に狂っている者は誰か。
第六話 執着
社務所兼住居で竹丸は目覚めた。
儀式の後の記憶がない。畳の部屋を見渡していると、襖の向こうから士郎の声がした。おはようございます、と竹丸が返事をすると、襖が開いた。Tシャツに短パン姿の士郎は、昨日の花嫁のような雰囲気をまとっていない。
いつもの士郎だ。それに竹丸はほっとした。
士郎が作った朝ごはんをご馳走になった。
「毎日食べたいです、士郎さんの味噌汁」
竹丸は腹がふくれて元気になった。
士郎と宮田の態度から、昨日のことは思い出さず言及しないのが良いと感じた。
なんてことなかったように、笑顔で。
※
増田良子ちゃんは二時から七時のシフトに入っているギャルだ。いつも笑顔で接客し、仕事が早い。良子ちゃんとは引継でよく話すので仲良くなり、一緒に遊びにいく仲になった。
「こんばんは、お疲れさま」
「こんばんはぁ。まこちゃん、今日は特になんもないよ」
「りょーかい~」
良子ちゃんは二十一歳で真琴より年下だが、友達なので敬語を使わないのがいい。するっと人の心に入ってくる子だ。
「増田さん、ちょっといい?」
吉村店長が話しかけてきた。作業着を来た五十代のなんとなく不潔さを感じる男だ。
「はい、なんですか?」
「そのつけまつげ、取ってくれ。つけまつげつけてるなんて水商売の女みたいだってクレームがきたんだよ。増田さん、そう見えるような派手さがあるからねぇ」
にやにやと店長が言った。
良子ちゃんは真顔になった。
うわぁセクハラ最低じゃん、と真琴は店長でもわかるように嫌な顔をした。
良子ちゃんとまつげをぐっとつかむとぺっとはがしてゴミ箱に捨てた。
「これでいいですか? 私はどう見られるなんて気にしませが、仕方なくつけまつげはやめます。店長、派手なのは生まれもった容姿と性格なので変えられません」
良子ちゃんが厳しい口調で言うと、店長は呆気にとられた顔で逃げるように去っていった。
「嫌なクレームきたね。良子ちゃんはつけまなくても美人だよ」
「まこちゃんまぢ神じゃん、好き!ではお先です」
良子ちゃんはいつもの笑顔に戻った。
「幽霊よりもセクハラの方が怖いっしょ」
ぽつりと呟く声がした。
「え?」
「あ、なんでもない! ではお疲れさま」
良子ちゃんが背中で一つに結んだサラサラな髪を揺らして、去っていた。つけまつげをつけなくても彼女の目は大きいけど、もっとかわいくなりたくてつけてたのに。
無惨にゴミ箱に捨てられたつけまつげは、虫に見えてぎょっとする。
※
少しの休憩時間。
あまりにも暑くて、ポカリスエットを一気飲みした。
「いい飲みっぷりだね。一気飲みしたら胃の下らへん、痛くならない?」
ウーロン茶を飲んでいる士郎が言った。
「胃の下らへん?」
「こことか」
士郎が肝臓あたりに手を当てる。
「痛くならないですよ、そんなの初めて聞いた。おじいちゃんみたい」
「誰がおじいちゃんだ」
二人で笑い合う。
この前、士郎は強引に抱きついたことを、忘れてくれただろうか。あんなことをするつもりじゃなかった。真琴を心配する士郎に嫉妬して、でも真琴のことを好きで。
同時に二人を好きになってしまって心が重たい。
でも竹丸は選べない。
どちらも愛しくて切ない。
※
真琴は物部士郎の、核心の直前まで知っている。
霊が見える、という特殊な能力と同じ店でバイトしているという共通点が真琴と士郎を近づけた。
しかし、年下の、それも異性の士郎のすべてを知っている訳ではない。表面だけをよく知っているだけだ、裏面は知らない。
真琴は士郎との距離をあと一歩縮めることができない。彼に好感をもっている。それが友好なのか恋心なのか、真琴は判断できない。
士郎はショーケースの中で微笑んでいる人形のようで、じかに触れられない。
彼が自分と親交を深めたいと思っているかわからない。
やんわりとでも拒否されることが、真琴はつらい。
*
「ちょっとすみません!」
おばさんの大きな声がした。
「はい、どうされ……ましたか」
士郎はぎょっとした。五十代の金縁のメガネをかけた、喪服のおばさんがいた。おばさんは、長い髪の女の霊に抱きつかれている、首はがっしりと腕に押さえられ、足はお腹に絡みついている。
「ちょっと、何ぼんやりしてるのよ。この店、まだやってんの?」
「はい。閉店まで三十分あります」
「それじゃあさあ、あたし、あのレジんとこいるから、言ったものを取ってきて。なんだか背中が重くってねぇ」
おばさんがカゴを差し出す。
どうしたものかと。
喪服に合わせるには大きすぎる真珠と圧の強い大きい声、断ると騒がれそうであるし、今は客がいない。
「かしこまりました。では、何をお持ちしましょう」
「キャベツとマヨネーズ」
「えーっと、その他は」
「とりあえず、それだけ。あと買うもの思い出すわ」
「かしこまりました」
士郎は早足でバックヤードへ走った。
面倒なことは竹丸を巻き込む。
「なんですか、それ。お化け背負っている上に迷惑客とか無理っす」
竹丸がため息をついた。
「その霊がここに気に入って、おばさんの背中から降りて居着いてしまうのが怖い。とにかくさっさと終わらせよう」
士郎はマヨネーズを竹丸はキャベツをカゴに入れてもって行く。
「マヨネーズはカロリーオフじゃないとダメじゃない! キャベツはね、もっと大きいのあったでしょう。や・り・な・お・し」
最初に言えよ。士郎は営業スマイルで心の中で言った。
「あとねえ、野沢菜の大きい一袋と豆乳ね、無調整じゃないやつ。あとS社のカレールー」
士郎はメモした。
おばさんは商品を詰め込むサッカー台に腰をもたれかけている。
真琴はおばさんの背負っている霊が降りてこないか、見張っているようだ。
二人で手分けして、おばさんの注文通り、商品をカゴにいれる。
※
「あなたも大変よねえ。長いの? レジの仕事」
おばさんが馴れ馴れしく真琴に話しかける。真琴はさっきから手をぶらーんとしたり、片足だけ床に足をつけたりする霊から目が離せない。
「まぁ……えっと五年です」
「あらそう、長いのね。レジの仕事なんて変な客もいて大変でしょう。さっさと辞めて結婚して、孫の顔みせてあげなきゃ」
変な客はまさにあんただ、と真琴は心の中つぶやく。
「アルバイトの子たち、なかなかイケメンじゃない? 学歴のいい方を捕まえておけばいいじゃない」
ほほほほ、とおばさんが笑うと、霊がぎゅっとしがみついて、大口を開けてにんまりした。
「失礼ですが喪服を着られているということは、ご不幸があったのですね」
真琴は慎重に尋ねた。
「ああ、娘の義妹の通夜よ。生前はなぜか意気投合できて楽しかったのに、盗難車で事故って死んじゃった。あ、これは口止めされてた」
叱られることを口外したのに、おばさんは笑っている。霊も体をゆすり笑っていた。
キーンと急な耳鳴りがして、目がおばさんを背負っている霊に釘付けになった。
・・・あたし、おばさん好き。あたしのすることすべて、かばってくれたから・・・あたしはおばさんの守護霊になる・・・わるいこと、まだ
するの・・・
くすくすくす、と女が笑った。
「商品をお持ちしました」
士郎がカゴを持ってくる。
「野沢菜、思ってたのと違う。ほらまた、これも低糖質じゃない。カレールーも私が言った会社のと違うじゃない」
「そちらのカレールーはバッケージが変わりました」
「ええーそうなの? なんだか面倒臭くなってきたわ。それにあたし、どうしてここに来たのかしら。ああ、閉店の曲だわね。おじゃましました、どうも。帰ります」
おばさんは一方的に言って、帰っていった。
三人同時に、ため息をつく。
店内を見回り客がいないことを確認し、真琴は自動ドアを停止した。
「閉店作業、できてない。また残業だ。つかれた……」
士郎が座り込む。
「なんっすか、あのおばさんの人を疲れさせる才能」
竹丸も横に座り込む。
「おーどうした丸まって」
物部副店長がレジを閉めにやってきた。客のことを報告する。
「そういうのは断ってくれていいんだよ。障害者やお年寄りなら買い物の手伝いはしてもいいだろうけど。骨折り損のくたびれ損だったな」
物部副店長が笑う。
「無理です。あの圧で来られたら。それもタチの悪そうな霊を背負っててた。とにかくものすごい圧で巻き込んでくるんです」
真琴のただならぬ様子に、そ、それはすまん、と副店長は謝る。
「副店長、マネスキンかけてください」
「ああ、あのイタリアのバンドね。了解」
よいしょ、と士郎が立ち上がる。
同時に竹丸も立つ。
「三万あればナイキのエアフォースが二つ買える」
「僕はジャーナルスタンダードのシャツを買う」
「ジャナスタっすか、いいっすね。給料出たら、買い物行きましょうよ。あ、真琴さんも!」
竹丸がにっこり笑いかけてきた。
「竹丸、ジャナスタって略すのはダサい。いいね、たまには。ショッピングモール行こう」
「決まりっすねー」
士郎はきょとんとしていたが、かわいい笑顔になった。
「うん、そうだね」
真琴は士郎の笑顔で癒された。
竹丸は胸に手を当て、泣きそうなほど感動しているようだった。
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