第5話 山

 山を巨大な骸骨の手が削った。忌まわしい忌まわしいと、山に生き埋めにされた亡骸の前で泣くのおまえたち。我々はそれが滑稽だ。我々は我々が、もうどにもならないほど荒れた魂と成ってしまい人々に弔いをしてくれ鎮魂してくれと願ってきた。亡き者を人間扱いせず同じ罪を重ねてきたおまえたち。我々は人だった、我々は人だったのだ。

 見せてやらねば。



第5話 山


 母親から着信があった。竹丸は無視した。自分がどこにいるかさえ知られたくない。母と別れた父からは学費と生活費の振り込みがある。

お兄ちゃんだけ産めばよかった。

母はうとましそうに、そう言った。竹丸を些細なことで叱る時の口癖だった。 

 母の願いを叶えてやる竹丸は親孝行だ。

 

「おつかれさん、竹丸」


 制服に着替えタイムカードを押していると、物部副店長に声をかけられた。


「今日はな、竹丸。力抜いて仕事しろ。今日は特大さん一名、予約入ったみたいだ」


「特大さん予約? スーパーって予約制じゃないでしょ」


「他のスーパーではな。うちではあるんだよ。まあちょっと事務所で説明しよう」


 竹丸は事務所に入って、目を丸くした。机の真ん中に日本酒がどん、と置かれ、その周りに神社で見る白い紙が棒についたものや、榊、よくわからない金色の紙が重なったもの、手に持つ鈴などが置かれている。


 士郎は着物も袴も真っ白な白装束で、椅子に座って足袋を履くことに懸命になっている。


 部屋の隅には神主装束の人がいてる。坊さんなのか神主なのかわからない、褐色の禿頭だ。


「宮田さん、彼が竹丸くん」


「どうも、竹丸雅也です」


 副店長に紹介され、竹丸は頭を下げた。


「初めまして、士郎から話は聞いてます。尾之下神社の神主の宮田です。今日は私と士郎が気張りますので、どうかお願いします」


 宮田は深々と頭を下げた。

 神社で一緒に士郎と暮らしているのは、こういう人かとつい観察してしまう。強面だが声はとても優しい。


 士郎はやっと足袋を履き終わり、ため息をついている。


「今日は営業ができないほど、危険な霊が出る日だ。いや、霊ではない。怨霊のひとかたまりと思ってくれ。なので今日は八時に閉店する」


「……わかりました。神主さんも来てくださっているということはそれなりのことがあるんだと思いました。で、俺は何をすればいいんですか?」


「儀式を観ているだけでいい。簡単なことだが、初めてだとキツいだろう。その時は俺の肩を叩いてくれ。ぜったいに、右の肩を、叩いてくれ」


「は、はい」


 竹丸は儀式とやらを始めようとしている、物々しさが怖くなってきた。


「士郎さんは……儀式のお役目がありそうですけど」


 士郎の方を見て話しかけると、彼は少し微笑み、口の前で手を振った。


「ああ、士郎はお役目があるので今日は一言も話すことができないのです」


 宮田の説明に士郎が二度、うなずく。白装束の士郎は美しさは、この世の者としては清すぎる。


「あと一時間で閉店だ。明日のセール品をささっと出してくれ」


「わかりました」


 竹丸は店内に出て作業を始めた。

 すぐにウッと腹が痛くなった。息苦しい。今夜のスーパーヤノシタはやばい気配がする。


 客はまばらに来たが、何人か入ってきてすぐ出る客がいた。他部門の社員やアルバイトも暗い顔をして帰っていった。

 これだけ気配が濃厚だと、霊感がなくても気持ちが悪くなるだろう。


「閉店します、閉店します。自動ドアチェックお願いします」


 真琴の声でアナウンスがあった。

 竹丸は店内に客が残ってないか見て回り、東側の自動ドアを停止して鍵を閉めた。


 店内の電気が半分消えた。

ブーンと冷蔵庫の音だけがする。


 神主を筆頭に歩いてきた物部副店長と士郎は別人のように感じた。副店長も白袴姿で前髪をかきあげた姿はきりっとしている。

 士郎は美麗だ。白装束の上から透明な銀色の羽織りを引きずって歩く姿は花嫁のようだ。


 副店長が店のメイン出入り口に、竹のござを敷いた。その上にさっき事務所で見た酒や果物、茶色い米の袋が置かれる。


「行くよ」

 

 真琴がささやき、ゴザの方へ竹丸を導く。副店長が真ん中に座り、その後ろに真琴と竹丸は正座した。 


 神主はお祓い棒を両手で持ち、自動ドアの前で三回、左右に振る。

 

 ドッと重い。脳が肩まで下がってきたようだ。体がこわばって金縛りになった。


 ずる、ずる、ずるる。

 ずる、ずる、ずるる。

 

 異音が店内に広がった。その音は左右上下どこからでも聞こえてくる。

 宮田神主が自動ドアを背にして、どっしりと正座し、お祓い棒を震える手で握りしめている。


 士郎は凛と立っていた。


 ずずずず、ずん。

 ずずすずすず、ずん!


 竹丸は怯えて閉じていた目を開ける。冷や汗が顎から落ちる。ふと真琴を見ると、膝の上に置いた手をぎゅっと握り、震えをこらえているようだ。

 

 姿を現した「特大」に喉の中心が震え、つむじから全身へ鳥肌が立った。


 巨女だ。巨女が死体をたくさん

抱えている。黒い着物にざんばらの髪、真っ黒な細い目に大きな唇は真っ赤でお歯黒だ。

 両手に三体抱え、胸に子供の死体を詰め込み、帯に入れられ並べられた死体の腐敗は激しく、ぼとりぼとりと足やら手やらが落ちた、べちょりべちょりと。

 

 すさまじい死臭に竹丸は口を手で覆う。反射的に胃がせりあがってくる、嗅いではいけない臭い。

 体がつらい。

 けれど、この場を離れる訳にいかぬと、竹丸は使命であるように切迫する。


 巨女は死体を士郎の横に重ねていった。大きな手は繊細に死体を扱う。


 そしてまたずるると歩いていく。

 帰ったか。終わったのか。強烈な死臭は消えないが巨女が見えなくなると少し体が楽になった。

 死体は今さっき死んだような者もいれば手足がなく腐敗してなんとか人の形を保っている者、目を開けたままの死体、生が終わる時に絶望しているような顔。硬直して冷たく、その死に際のつらさ。

 これは亡霊にしては重い。冷たい肉の塊、人型の、見ていると息苦しく、腐敗臭は生きて動いてる竹丸の胃を突き刺す。


「かしこみかしこみ、申し上げる」


 宮田の野太い声の祝詞が始まった。


 士郎が死体の横に立ち、右腕を上げ鈴をシャンっと勢いよく鳴らした。

 鈴を軸に一周しながら、激しく鈴を振った。羽織の裾をすっと後ろに流し士郎は死体の山に土下座する。すっと立ち上がる。


「払いたまえ、清めたまえ」

 

 祝詞を響かせながら、宮田神主は堤を叩いた。


 祝詞のリズムに合わせて足を踏み鳴らし、舞い始めた。それは原始的な、心臓の動きに合わせているかのようだ。士郎は生き生きとしていた。士郎は笑っている。頬に赤みがさしている。なまめしかしい。


 その姿に見とれて、再び巨女がやってきたことに、竹丸は気づかなかった。

 

 巨女はさっきとまた同じく、死体を持ってきて積んでいった。その繰り返しを二回繰り返し、二メートルはあるだろう死体の、見事な三角の、死体の山を作った。山の頂点に頭蓋骨を置く。


 山の数ほど、この地で人が無惨に死んだ、


「もろもろのまがごと

 つみ、けがれ、あらんをば

 はらへたまい

きよめきたまうともうことを

 きこうしめせと

 かしこみかしこみもうす」


 太い声の祝詞は床を通して熱く広がっていく。

 巨女は神主に頭を下げて、士郎を見た。


 跳ねて、回って首筋まで赤くして息切らせ、あでやかに士郎は踊る。


 怨霊の前で生き生きと踊っている。

 

 踊り疲れたように、士郎は床に転がって、そのまま巨女に向けて土下座をした。


 巨女はうんうん、と頷くような仕草をした。


隣で嗚咽が聞こえた。

 肩を震わせて真琴が激しく泣き出した。大きな涙のしずくが落ちる。


 かなしかったね、つらかったね、どうすればいいんだろう、どうすればいいんだろう。


 真琴はそう言いながら、泣き叫んだ。

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