第4話 生の手・後半

 日が長くなると夜のスーパーマーケットは忙しくなる。昼間は外に出られないほどの暑さだ。閉店三十分前にレジが混むこともあった。

 暑さと忙しさで真琴は苛立っていた。商品をスキャンする速度を上げる、そうしないと客をずいぶんと待たせてしまう。


 生ぬるい感触にぎょっとして手をひっこめると、カゴの中に白い手があった。商品の中に紛れ込んできたそれを、真琴は無視した。

 次に白い手が出たのは、冷蔵庫だった。事務所に向かう途中、社員が開けた冷蔵庫の棚に白い手があった。一瞬のことだったが目に焼き付いてしまった。


「それって、いつも出るおじゃま虫の手とは違うの?」


 真琴の話を聞いて、物部副店長は首を傾げた。


「違います。なんていうか生々しいんですよ。肉売場に混ざってたし。気持ち悪くて」


「そりゃあ人間の手がパックされて売場にあったら気持ち悪いよなぁ。カバリズム、かりばずむ? なんだったけ」


「もしかして、カニバリズムのことですか、副店長。ぜんぜん違いますよ」


 士郎が訂正した。


「ああ、それそれ。なんか人の肉が売られてるとかスプラッタ映画みてぇだなぁって」


 物部副店長はのんきだ。


「話を脱線しないでくださいー。士郎くんと竹丸は見てないの?」


 士郎も竹丸も首を横に振った。


「その肉のパックに、値段ついてなかったんですか? あ、俺ならこの手に三万は出しますけど」


 竹丸が士郎の手首をつかんで言う。気持ち悪い、と士郎が竹丸の足を踏む。

 真琴の苛立ちはつのる。


「なんで私だけ」


 溜息とともに、愚痴を吐き出す。


「見かけた時に教えてください。僕にも見えたら、対処できるかもしれませんし。最近は忙しくて大変ですよね」


 すかさず士郎が溜息を拾って、ねぎらいの言葉をかけてくれた。


「うん、そうする。ありがとう」


 真琴は士郎に気遣われたことが恥ずかしくなって、お疲れさまです、と事務所を後にした。その後、士郎と竹丸が楽しそうに話している声を耳にした。


 いつの間にか仲良くなって。

 どうして私だけ。

 ちくちくと痛む、これは何だろう。刺さってくる、士郎を見ると、竹丸を見ると、二人のやりとりを見ると。


 ロッカーを開けてTシャツを手にとると、足に柔らかい重量のあるものが、落ちたてきた。

 足の甲に白い手が落ちていた。

 真琴はすう、と深呼吸し、思いっきり叫んだ。


 士郎が駆けつけてきてくれた時には、白い手は消えていた。彼はずいぶんと心配してくれて、家まで送ってくれた。


 風呂に入って一息つき、真琴は自分の行動を振り返る。叫ぶまでもなかった、あれぐらい慣れているのに。


「なんか、しょげてる?」


 妹の詩織が言った。濡れた髪のままソファーにあぐらをかき、あずきバーにかじりついている。


「疲れてるだけ」


「士郎さんさぁ、去年よりイケメンになってない? ね、ね、次に来た時は家にあがってもらってよーお母さんも何かお礼したいわねって言ってたしさー、ね、おねーちゃん?」


 詩織がニヤニヤしている。

 真琴は妹のあずきバーを奪い、思いっきりかじりついてやった。


「あ、ちょっともうー、おねえちゃん!」


 詩織が怒る。


「さっさと、寝ろ」


 あずきの味をかみしめながら、真琴は言い放って階段をあがる。

真っ暗な自室に入って、ふと思う。わざと悲鳴を上げたのかもしれない、士郎が来てくれるから。

 

     ※



 真琴の瞳はうるんでいた。気丈な彼女のうろたえた姿に士郎は動揺した。息をうまく吐けなかった。

 真琴を家まで送ったあと、肺に溜まった息をすべて出して、士郎はせき込んだ。

 肉のパックに紛れ込む白い手を、なんとかしなければ。明日はバイトが休みで予定がない。


 彼女がいなければ、士郎はあちらの世界に逝ってしまっていた。手首をつかんで引き戻してくれた真琴の手は、特別だ。

 思慕や恋心ではない、特別なのだ。

 

 肌にまとわりつくような蒸し暑い夜を自転車で走った。物部副店長には連絡をいれて、仕事を早くこなすように言ってある。おまえはいつから俺より偉くなったのかと小言を言われた。


 休憩室で水分補給をしようとドアを開けて、士郎は驚いた。


「……今日、休みだろう」


 私服の竹丸がいた。


「士郎先輩こそ、休みなのになんで来たんですか?」


「真琴先輩の言ってた手を、見つけに来たんでしょ。満月の夜は得に怪異が起きやすい、そう教えてくれたじゃないですか。士郎先輩は今夜動くだろうって俺、予想して駆けつけたんですよ」


「それはそうだけど、なんでおまえは来たの?」


「俺だって真琴さんが怯えているのを見たくないですから」


 竹丸が隣に座り、肩をつかんできた。抵抗しようとしたが暑さで疲れていた体は動かず、後ろから抱きつかれた。


「好きな女の子を守りたいって、男なら考える。それを俺に邪魔されたら辛抱なりませんよねぇ」


 竹丸が耳元で囁いた。士郎はスポーツドリンクで竹丸の頭を殴る。


「離せよ、暑苦しい。そういうのじゃないって何度言えばわかる、しつこいぞ」


 竹丸の腹を肘で突いて、士郎は重く低い声で言った。


「すみません」


 士郎は溜息をつく。竹丸は良くも悪くも素直だ。


「別に、そんま気にしてない。勝手に体触られるの嫌だから、それは止めてほしい」


「すみません」


 暗い顔で竹丸が謝る。


「せっかく来たんだし、手伝えよ」


 士郎は時計を見て立ち上がった。 竹丸は静かについてきた。


「心当たりがある。左手のない霊を冷蔵庫付近で見たことがある」


 士郎は冷蔵庫の前に来て言った。


「俺は見たことないッス」


「たまにしか出てこないし、通り過ぎるだけで害はなかった。だけど最近、気配が濃くなってる」


 士郎は言いながら、冷蔵庫を開けた。ゴトゴトと音がした。誰もいないのに、黄色のカゴが揺れている。

 振り返ると、左手のない霊が通り過ぎていった。


「ほんとだ、いた」


 竹丸がうなずいた。


    ※


「閉店三十分前がきたら、副店長にレジを代わってもらって、肉売場に来てください」


 ソーダのアイスバーをレジに持ってきた士郎が、言った。休みの日なのにわざわざ来てくれたらしい。


 ただの白い手に怯えて心配させてしまったのだろうか。叫んで騒ぎ立てた自分が恥ずかしいが、士郎の好意に甘えることにする。


「はいはい、たまにはレジ打ちをするのも大事なお仕事でーす」


 物部副店長はそう言って、レジに立った。寸法の合っていないエプロンをつけて、澄ましている。


「ではお願いしまーす」


 物部副店長にバトンタッチして、真琴は肉売場へと向かう。店内を見渡したが客はいない。

 竹丸と士郎が並んで立っている。


「白い手、ありますか?」


 士郎に尋ねられ、真琴は並べられた肉のパックをのぞき込んだ。

 ぎゅうぎゅうにパックされた胸肉の横に、手があった。前よりも手の甲がふくらんでいる気がする。


「あったわ」


「気持ち悪いと思うんですけど、持ってください」


「……わかった」


 意を決して真琴は白い手のパックを持ち上げた。ぶよぶよとしていて重みがある。なるべく生々しい手に触れないよう、パックの端を持った。


「そのまま、来てください」


 士郎がバックヤードに向かう。真琴は持っている白い手のパックから目を離さないよう、慎重に歩いた。

歩くと振動でぶよぶよと手が揺れる。ふくらんだ手の肉はラップを破って出てきそうだ。

 士郎が冷蔵庫を開けた。

 棚の上にあったカゴが落ちてきた。冷気がする。冷蔵庫からではない、後ろからだ。


 振り返ると青白い顔があった。

 男か女かもわからない、骸骨に目玉と皮膚をつけたような顔に、やせ細った体にぼろ切れをまとっている。


 ひどい飢えを感じた。真琴に霊は訴えかけてくる、体が動かない。霊が両腕を上げて近づいてくる。左手がない。


「あ、ああああー」


 うなり声を上げて霊が近づいてくる。


「真琴さん、手を放り投げて!」


 士郎が叫んだ。真琴は我に返り、手のパックを霊に放り投げる。


 霊は受け取って、バリバリとラップを破いて、手にかぶりついた。首を前後に振りながら手を飲み込む。

 真琴の体は金縛りから解放された。飢えが消えていく。

 霊が両手を上げる。左手も右手もあった。口元に笑みを浮かべ、霊は両手を上げてた。


「すごぐすごぐ、おなかが、すいていたんだよぉ~~」


霊はそう叫ぶと消えた。


 肩の力が抜けて、真琴は壁にもたれかかる。


「持ち主の元に帰って、めでたしめでたし、ですね」


 竹丸がのんきな声で言った。


「士郎先輩の名推理です」


「今までぼんやりとしか見えなかったけど、あれはかなり古い霊だ。ようやくここから解放されたんだね」


 士郎の言葉に真琴はうなずいた。


「手を探してたのね。手の方も持ち主に帰りたくて、注目を集める売場に出てきたって訳か」


 やれやれ、と真琴は付け加える。


「ありがとう、士郎くん。これでイ

ライラから解放されたわ。カニバリズムだとか言ってた副店長に、さっきの手を飲み込むとこ、見せてやりたかったわね」


 真琴が笑うと、士郎と竹丸も笑った。横目で竹丸を見る。

 なぜ、彼まで来たのだろう。しれっと士郎の横で仲間面をしている。

 なぜ嫌なのか自分でもわからない

 不可解な感情は真琴の中でうずまきを描いた。

 

    ※


 十時でスーパー店は閉店する。三十分前には店じまいの雰囲気がある。

 私はまた来てしまった。パックされた白い手が気持ち悪くて、避けていたけれど、近所のスーパーはここしかないのだ。


 私の見間違いだろう。あの時は疲れていた。


 職場からの帰路にある立地、感じの良い店員の女の子、見て回りやすい商品棚と私はここのスーパーが気に入っているのだ。

 自転車のカゴにレジ袋を入れて帰る途中、後ろに気配を感じた。


白い人影が走り去っていく。両腕を上げて疾走していく。


 ように、見えた。私は首を横に振り、何も見なかったと自分に言い聞かせた。


 幽霊なんていない。

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