始点の話

 悪い子じゃなさそうだったけどね、あの子。


 誰だってあれだ、昴史の彼女。あいつがきっきゃさん、木槻屋いまんとこに世話になった理由ね、そこから話さないとどうにもまとまらないっていうか……良心は痛むけどね。プライバシーとか一応あるだろうし。だからまあ、ここだけの話、だ。

 大学三年の春だったか。あいつ、変なとこ律義だからさ。彼女できたって僕に連絡寄越したんだよ。彼女できたから今までみたいにいきなり家くんなってのが本音だったろうけどね。

 あいつんちに僕が出入りしてんのに疑問があるのも分かるよ。いい大人の一人暮らしに合鍵まで持ってどうこうしてるの、傍から見たら異様だろうしね。昴史が一人でちゃんと生活できるんならそんなことしないけど、大学入りたての頃からあいつ一人にするとろくなことにならないっての、僕も叔父さんたちも身に染みて分からされたから。一年生のときに色々やったんだよあいつ。冷蔵庫に焼肉のたれ以外入ってないとか、床が本と服で埋まったとか、滞納で電気止まったりとか。

 そういう感じで、生活が向いてないからさ。従兄だってことで馴染みもあるから、僕が監視役で出入りしてたんだよね。

 だから彼女ができたってのはまあ……半々だったよね。でも誰かしらが定期的に出入りしたり連絡取ったりするんなら、安全確認がしやすくなるんじゃないかなって。それにほら、いい大人の交友関係に口出すの、あんまりよくないでしょう。犯罪沙汰にならない程度で色んなこと経験しとくの、健全な成長には大事だろうし。


 そんな具合で放任ではあったけど、ちょこちょこ様子を聞いてはいたんだよ。家くんなって言われたから、じゃあ食事に連れ出せばいいわけだし。あいつも素直だから、飯代出すっていうとほいほい釣れるしね。そういうとこはあれだ、目先の欲に弱すぎるかもしれない。

 聞き出すったってあれだ、細かいところはプライバシーなのは分かってるよ。でも彼女の人となりぐらいは聞いておきたいじゃん。過保護かもしんないけど、従弟がたち悪いのに引っかかっていきなり刺されたり前科持ちになったりしたらやりきれないもの。あと公務員だから普通に身内にそういうのがいるとつらい。さっきも言ったけど、犯罪沙汰は本当に困るから。


 そういう前置きしといてなんだけど、普通の子だったよ。昴史より年上で、社会人やってるってのは意外だったけど。写真も酔っ払ったときに見せてもらったけど、普通。悪い意味じゃなくてね、普通に可愛らしいお姉さんみたいな。

 ただ、ちょっとだけ問題、みたいなものはあった。

 貢ぎ癖って言うの? 色んなもんをね、事あるごとにくれてたらしいんだよね。スマホケースとかライターとかの小さなものから、服とか靴とか……家電はさすがに止めたって。金額とかじゃなくて、重いからね。そのままなし崩しで同棲みたいなことになったらしんどい、ってくらいは昴史にも予想できたみたいだった。そういうの嫌がるから、あいつ。

 そんでまあ、その辺からぎくしゃくするようになり始めたらしくて。あいつ、目先の欲に弱いくせに、いざぐいぐいこられるとビビるんだよね。品のない言い方をするけど、据え膳とか絶対に手を出せない。人に損させるのは何とも思わないけど、自分の間合いに突然踏み込んでこられると駄目、みたいな。


 で、夏も終わりの頃だったかな。別れたんだよ。

 修羅場とか、そういうのはなかったって。夜のコーヒーショップで別れ話して、合鍵返してもらっておしまい。荷物とかは持ち込ませてなかったから、そんなにこじれたりはしなかったんだよね、そのときは。

 別れて、連絡先も削除してしばらく経ったころだったか。昴史から連絡が来て、部屋に行ったんだよね。ほら、彼女がいないなら問題なく出入りできるわけだから。

 手土産持って、あいつのアパート行って、チャイム押したけど返事がなかった。寝てるかなんかしてんのかなって、合鍵使った。


 ドア開けた途端、物凄い匂いがした。辛いような、焦げたような煙の匂い。しばらく噎せたけど、一番きついのは目だった。沁みてね、痛かった。


 あいつ何やらかしたんだって、慌てて部屋に駆け込んだ。靴脱いで、短い廊下を抜けて、居間の戸を思い切り開けた。


 床がね、なかった。


 服とかタオルとか本とか、広くないフローリングいっぱいにとにかく何もかもが放り出されてた。引き出して放り投げてを繰り返したんだってのは、見ただけで分かった。


 昴史、ベッドに転がって天井見てた。目玉だけこっちを見たけど、ぎょっとしたよ。死体みたいだったから。僕が名前を呼んだら、ものすごい小さい声で返事があった。生きてんな、って安心した。

 とりあえず部屋から連れ出して、近場のファミレスで話を聞いた。


 ──煙草の匂いがするんだ。


 お冷のコップを縋るみたいに握って、昴史が言った。

 言われて、部屋に入ったときのことを思い出した。あれ、煙草の匂いだって。勿論煙草の匂いったって、昴史のじゃない。ミント系の──そう、別れた彼女が吸ってたやつ。

 残り香みたいな話か、って僕は聞いた。ちょっと考えてから、昴史は首を傾げてた。

 ──彼女と別れて一週間経ったぐらいの夜中、匂いで目ぇ覚めたんだ。


 記憶にある匂いだ、って寝ぼけながら考えて……って気づいてから、飛び起きた。普通に侵入されたって思ったんだって。でも狭い部屋をどれだけ探してもどこにもいなくて、でも煙草の匂いは確かにしてる。これどこから匂ってるんだって大元を探して、机に置いてあった本からだってまずは気づいた。彼女と見に行った映画の原作で、楽しかったって言ったら次のデートで手渡されたやつだった。

 で、その一冊だけじゃなかった。というか、本だけじゃなかった。服も靴もDVDも何もかも、彼女から贈られたものから、煙草の匂いがしていた。


 言ったろ、貢ぎ癖っていうか、ものすごく物を寄越す子だったって。彼女がいなくなっても、彼女が贈ったものはたくさん残ってた。


 で、まあ、昴史弱っちゃってさ。飯もろくに食えないし寝れないしって感じで──死にかけてたわけだよ。匂いだけだから実害は地味かもしんないけど、気配だけがまとわりつくみたいなことを延々とやられるわけだからね。いくら雑なあいつでも、神経が参った。


 で、とりあえず手っ取り早いとこから始めた。有って祟るんなら、捨てればいい。

 最初は普通に捨てたんだよ。そしたらまあ……戻ってきてさ。今時のホラー映画でやられたらベタ過ぎて笑うけど、実際体験すると絶望感すごいよ、あれ。ゴミ袋にぎゅう詰めにして捨てた服が、きっちり畳んで玄関に積んであるのとか最悪だった。

 自分で拾ってきてるパターンとかも考えて、嫌過ぎて言わなかった。昴史にそんなん言ったら、あいつまたぶっ倒れると思ったし。火つけたり砕くのも、躊躇しちゃってね。だって何してくるか分かんないだろ?


 そんでまあ、これは素人というか普通に相手したらどうにもならないやつだなって諦めたの。その手のやつを扱ってくれるところなら、どこでもよかった。神社とか寺とかでも……その辺は全部駄目だったけどね。しょうがない、窓口が違うんだから。市役所だって熊が出た話を市民税課に持って来られたって困る。森林環境課とかその辺に行ってくんないと。

 教えてくれたの、仕事場の先輩だったよ。仕事中にその手の妙なものが出てきたらお任せしてるところがあるって話でね。長年の付き合いだっていうし、そりゃあいいって職場のツテ使って連絡取って、じゃあ引き取りに伺いますってとんとん拍子。そんときに鷲田わしだが出てきて僕も向こうもびっくりした。ま、その辺は後でね。


 めちゃくちゃあっけない話なんだけど、品預けただけで解決したんだよね。煙の匂いがしなくなって、昴史も飯食えるようになってすぐに回復した。服買い直さないといけないってのはあったけど、どうせ衣替えの時期だったからその辺は問題なかったしね。


 そしたらどういう風の吹き回しかバイト始めるって言い出してさ。その先が木槻屋だからまあ、馬鹿だよな。ちょうど人が減ったところだったからって声掛けられたらしいんだけどさ、それにしたってなんか嫌じゃん。

 流石にな、従弟のバイト先にまで口を出すのは……じゃあ僕が小遣い出せるかったらそこまでじゃないしね。代案がないならそこまでだよ。幸い鷲田がいたから、そっちから定期報告って程じゃないけど話を聞くようにはしてたし。

 高校が一緒でさ、僕と鷲田。僕は地元でそのまま勤めてたけど、あいつは一回県外行ってたんじゃなかったかな。趣味が合うし地元に残った数少ない同期だったから、年一ぐらいで会ってはいたんだよ。ただお互い仕事場の話とか全然しないから、今回の仕事で顔合わせてびっくりしたってだけで。

 悪いやつじゃない、と思うけどね。昴史の仕事で顔合わせたときに、めちゃくちゃ心配してくれたし、悪い噂も聞かない。恰好については……まあ、人の趣味に口出すのはよくないからね。派手な柄、似合うけどね、あいつ。職場もそれで通ってるし、首になってないなら大丈夫なんでしょう。職場だってほら、老舗だし、市役所とも付き合いがあるんだからさ。市役所だよ?

 それにほら、簿記持ってるし。全経じゃなくて日商の二級。だからさ、大丈夫だと僕は思うけどね。人間性の証明、難しいんだよね。あとは運転免許持ってるぐらいしか僕からは言えない。


 とりあえず、こんな感じでどうかな。変な話と、鷲田の……潔白? の証明。久慈君の聞きたいことに、答えられてるといいんだけど。どう?

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