禁煙席二名様
友達と遊ぶ約束をしていたら、友達がこちらの知らない交友範囲からの友人を連れてきた。その上ろくに紹介もされず、互いに知らない話が出るたびに聞き返すことも入り込むこともできず、愛想笑いと気にしていない芝居をする羽目になる。
そんな思い出すだけで胃がじりじり痛むような気まずい経験が、誰にでも一度くらいはあるだろう。大体は距離感及び常識──友達の友達は他人という当たり前のこと──を学習して、中高生の頃にそれなりの失敗を経て学習するものだが、稀にその手のことを何度繰り返しても懲りも悪びれもせずに自分だけは能天気に楽しく過ごしているような人間もいる。
国島先輩の従兄と俺は初対面で、お互いに面識どころか名前すら知らない。
初対面で待ち合わせ場所からろくな会話もないまま移動してきただけの人間を、互いの名前を紹介しただけで「じゃあ俺あっちの喫茶店行ってるから話済んだら呼んで」と二人きりにして立ち去るような真似をするやつが二十を超えても存在するとは予想していなかった。俺が国島先輩のことをよく知らないということはあるが、だからといってこういう状況になることを予想できないのは落ち度でも何でもないだろう。お見合いの席で気を利かせて出ていく仲人だって、もう少し場が温まるなりなんなりしてから出ていくはずだ。
あのものぐさな人が俺たちの分のお冷を取りに行ってくれた時点で疑うべきだったのかもしれない。せめてもの心遣いだろうかと見直した俺が迂闊だった。どうでもいいところで気を遣うくせに基本的なところがすっぽ抜けている。
ショッピングモールのレストランフロアは、土曜日とはいえ午後四時という中途半端な時間ではさして混雑していない。俺たちが入った店──お手軽価格のファミレスだ──も似たような状況で、空席が目立つわけでもないが順番待ちの行列ができるほどでもないというちょうどいい具合で落ち着いていた。禁煙なことに微妙に落胆こそしたが、今のご時世では仕方がない。
メニューを手元に置いたまま、俺はそろそろと視線を正面に向ける。
テーブルを挟んで真正面に座った相手──これといった特徴のない、薄青色のシャツと短い黒髪の男性──もやはりこちらを見つめていて、目が合った途端に敵意のないことを示す手本のような苦笑を浮かべた。
「とりあえず、自己紹介だけちゃんとしようか。あいつ全部ぶん投げてったし」
店員に注文を告げてから、男は俺の方をまっすぐに見た。
「
先輩の名前を当然のように呼んで、日山は軽く頭を下げた。これまで先輩から聞いていた内容がほぼ合っていたことに安堵する。
先輩の従兄で、
「
いざ自分と先輩の関係を他人に説明しようとするとなかなか難しかった。『怖い話を売り買いしています』と説明して、何事もなく納得してくれる人は稀だろう。その辺りを先輩が上手く取り繕ってくれているとも思えない。そもそも先輩と後輩で金銭のやりとりをしているという時点で、世間一般から見れば理解しがたいことだろう。
幸い日山はそうしたことに触れようとはせず、にこやかな表情のままで口を開いた。
「で、今回のことは僕めちゃくちゃざっくりとしか聞いてないんだけど」
「ざっくりってことは、先輩はどんな説明をしたんですか」
「『怖い話好きなやつが色んな人の話を聞きたがってるから兄ちゃん話してやって』ってことだったけど、合ってる?」
流石に先輩も怖い話を後輩に売りつけているというのをそのまま伝えるほどの度胸はなかったようだ。それにしても説明が雑ではある。
この説明で逃げずに来てくれたのは結構な幸運なのではないだろうか。あるいはこの人が途方もなく器の広いことの証明なのかもしれないし、もしくは器の底が抜けているのかもしれない。
最低限の目的は達成されている。
相手の意図がどこにあろうと構わない。来てくれたのなら俺の用事を済ませるだけだ。
「そうですね。怖い話、というか話を聞くのが好きで。先輩が今、バイト先から色んな話をしてくれるのが面白くて……それでこう、他の人からも話を聞きたいって、思ったんですよ」
「バイト先──そっか。ってことは鷲田のあれか」
日山は幾度か顎を擦ってから続けた。
「僕もね、その辺は聞いてる。梅雨の頃にあいつのところに様子見に行ったら、話を聞くと煙草が貰えるってことを言ってた。何か変なことやってんなとは思ったから、鷲田にそれとなく聞いたりしたんだけど」
「答えてもらえましたか」
「答えて、っていうか……『職場のお遊び』ってことだったけど。若い子にくだんない話を聞かせるなら、その分の支払いがいるみたいなこと言われた。卑屈だなとは思うけど、分かんなくはないでしょ」
『キャバクラで話を聞いてもらうために酒代を出す』と先輩が言っていたのと同じ理屈だ。相手に聞きたくもない話を聞かせる──負担をかけるからこそ、その代償に金を払う。取引としては真っ当に成立するからこそ理解ができる。
だからこそ、その取引の意味自体が知りたいのだ。
「そうまでして話を聞いてもらいたいもんなんですかね」
「まあ、怖い話だしね。愚痴とか悪口と同じだと思うよ。他人に
「基本的には、ですか」
「君みたいにそういう話が好きだって人なら、お金払ってでも聞くかもしれないけどね。普通の人には怖い話って、人生にあんまり要らないから。要らないものを引き取らされるなら、そりゃあ対価も取るでしょう」
鷲田の仕事もそういうやつだしねと言って、日山は腕時計に視線を向ける。頼んだ品はまだ来る気配がない。
先輩について、そして巻き込まれている何かしらの現状について。それらを知るために、日山にもう一つ確認しておきたいことがある。
鷲田についてだ。
友人だというのなら、少なくとも俺よりは何かしら情報があるだろう。今のところ俺はあの男について、毒蛾みたいな派手な柄のシャツを着ていることと、先輩に話を売りつけた張本人だろうということしか知らない。煙草の煙の甘さなど、知っていたところで何になるというのだ。
「あの、日山さん。鷲田さんは──」
「ん? 友達だよ。久慈くんも会ったことあるでしょ」
「すごい服着てました」
「あー……趣味がね、ちょっと悪い以外はあれだ、意外と普通だよあいつ」
日山の言葉に頷きながら、初対面のときに押しつけられた大量の菓子や食料を思い出す。指導係とはいえ職場のバイトとその友人相手にするには諸々が手厚すぎる気もするが、田舎かつ友人の血縁という前提があるならぎりぎり納得はできる。
バイト先の社員で、指導係で、簿記の資格を持っていて、たまに指がなくて──手持ちの情報の意味のなさに我ながらうんざりするが、この機会に手札を増やしておきたい。
「普通って言うにはすごい服着てたんで、驚きはしました。そういうの大丈夫な職場なんですか」
「あー、職場ごと疑ってるか……まあ、そうだね。怪しいよね私服でもあんな格好で通勤してんの」
日山は眉間に皺を寄せている。俺が見たのは幾何学模様のまっ黄色のシャツと青地に大輪の白朝顔が咲いていた代物だけだが、友人だというのなら他の服装にも心当たりがあるのだろうか。
三度、意外なほどに節の目立つ長い指がテーブルを叩いた。
日山はすうと俺の方を見た。
「そうだなあ。あいつっていうか、あいつの職場の話ならちょっとだけできるっていうか……うん、じゃあ、どうして昂史があそこに世話になったかって話をしようか」
「は」
俺が間の抜けた返事をすると、意外そうな顔をして日山は続けた。
「だって君、聞きたいんでしょ、怖い話」
「そうですけど、それで国島先輩の話になるんですか」
「それが効率いいかなって。馴れ初めっていうとあれだけど、何にしても始点から知っといた方が分かりやすいだろうし」
怖い話と職場の話、両方できると思うよと言って日山は笑う。
細めた目は黒々として、店内の照明を呑んだような色を湛えてこちらを見た。
「──ありがとうございます。お願いします」
どこかで見た目と同じだ。その淵のような黒さに、血の繋がりの気配じみたものを重ねてしまう。
その相似に俺は目を伏せ、そのまま誤魔化すように頭を下げた。
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