三遍問うて煙幕なし

 手つかずのパンケーキは店内の過剰な冷房で下で冷え切っている。


 店に居座る言い訳としてろくに考えずに頼んだ結果、日山も同じものを頼んでいた。話の最中に運ばれてきたものをそのままテーブルの端に追いやったままにしていたせいだ。手元に戻すが、どうにも場違いな気がして仕方がない。役割の終わったものを今更引きずり出しているような違和感のせいだろう。

 日山も手元にパンケーキの皿を引き寄せてから、区切りのように溜息をついた。


「じゃあ、これ」


 差し出された煙草のケースは封も切られていない新品だった。


「いや……頂けませんよ」

「どうして。決まりなんでしょ?」


 決まりは守んないと面倒になるよと日山は笑う。

 その声は穏やかでこそあったが、どこか有無を言わせないような頑なさが滲んでいるように聞こえた。


 鷲田のときもそうだったが、話の対価を受け取るのに未だに抵抗がある。

 そもそも日山──先輩の従兄に対しては、俺が頼んだという前提があるせいだろう。取引以前の関係として、年長者かつ無理を聞いてくれた相手に「話を聞いた謝礼」として煙草をねだるのはさすがにためらわれる。


 そもそも支払うのも貰うのも俺の立場ではない気がしてならない。


 先輩がバイト先に関わったきっかけは分かった。仕事場についての風評も少しばかりは把握できた。鷲田についても最低限の話は聞けた。得たものはそれなりにあったはずだ。

 それでも踏み込むにはまだ手持ちが足りない。

 まだ俺の立つべき場所はないという予感がある。出番をねじ込むには何が起きているかをせめて予測ぐらいはできる程度に知っておく必要があるだろう。

 自分の役割もないうちに舞台に上がったところで摘み出されて終わるだけだという確信があった。


 日山は二度、指先でテーブルを叩いた。


「じゃあさ、話の分じゃなくて……手付け金にってのはどうだ」

「何の手付けですか」

先輩昴史の面倒見といてくれ、ってことでどうだろ。僕からすれば下請けの仕事を下請けに回すようなもんだけど」


 どうだろうとこちらを見る目はただ真っ直ぐに俺を見ていた。


「大したことはできませんよ」

「別にいいよ、今のままで。あいつの友達やってくれてるってだけでありがたいから」


 友達かどうか致命的な問いには答えずに、俺は黙って日山から煙草を受け取った。

 重要なところを誤魔化しているという事実にうっすらと罪悪感じみたものを覚えながら、手早くパッケージを鞄にしまい込む。

 こちらに疚しさがあるせいだろう。沈黙がどうにも恐ろしく、取り繕うように気にかけていた問いを口に出した。


「どうして日山さんはそんなに先輩のこと気にしてるんですか」

「小っちゃい頃からの付き合いだしね。あとはまあ、あいつの父親──俺の叔父さんね、その人にも俺世話になったって分もある」

「血が繋がりとか義理、ですか」

「親戚だけどね。でも年上の親族が面倒見るのは普通だろ、そういう感じ」


 当たり前のことを聞かれたから普通に答えた、そのくらいに平然とした表情だった。

 日山は正面から俺を見た。回答の適切さを探るような目だった。


「なんか……保護者みたいですね」

「大体兄みたいなもんだったしな。昴史、子供のときから色々雑だったから、ぶっ倒れたりすんのはよくあったし、変なことに巻き込まれるのもしょっちゅうだったから」


 日山は目を細めてから、ふと気づいたようにスマホを差し出してきた。


「もう一個頼みたかった。連絡先、交換してもらえる?」

「いいですけど、一応理由とか聞いてもいいですか」

「命綱、多い方がいいから」


 あいつなんかよくないことやらかしてそうだろという言葉に頷きながら、俺もスマホを取り出した。


 すぐに通信は終わり、『日山孝之』とフルネームを従えたアイコン──面白味のない夕焼けの画像だ──が追加される。

 確認してから視線を上げれば、思いのほか真剣な顔をしてこちらを見ている従兄と目があった。


「何ですか」

「いや。昴史から聞いてたよりか印象違うなって」


 予想外の言葉に思考が止まった。


「あの人俺のこと話すんですか」

「そりゃあ遊び相手友達のことくらい話すよ。『物好きな後輩』とか『心配性』とか聞いてたけど」

「その辺の印象と違いますか、俺」


 日山さんはかつかつと思いの外爪の厚い指先でテーブルを叩きながら、


「物好きで心配性なのは納得したけどね。君、あれだろ。


 その言葉に禁煙席だということを初めて後悔した。

 煙がない分、まともに相手と対面することになる。直に言葉を交わす必要がある。煙草一本、煙の手軽な障壁もなしに他人と接触しなければならない──ただそれだけでここまで見透かされてしまうのが、ひどく恐ろしかった。

 友情でも親愛でもなんでもない、好奇心だけであの人と関わっているということを思い知らされて、俺は問いに答えた。


「少なくとも、先輩には無事でいてほしいですよ。つまんなくなりますから」


 細めた目が亀裂のように昏くなる。

 本当にその表情だけはよく似ているのだなと思った。


 口元だけを僅かに緩めて日山は明るい声で続けた。


「とりあえず、パンケーキ食べちゃおうか。この後のこと考えるにしても、頼んだもんそれきりって行儀が悪いし」

「この後あるんですか」

「それはほら、昴史の意見も聞かないと。あいつが一番うるさいだろうし」


 ここで決めるほど俺に興味がない、その意思表示をされたと考えるのは穿ち過ぎだろうか。どこまでも人の良さそうな笑みを浮かべた顔から真意を探り出せるほど、俺は人の感情に聡くはない。

 室温と同じほどに冷えたパンケーキを口に押し込む。シロップとバターをふんだんに吸い込んでいるはずなのに、不思議なくらいに味が分からなかった。

 手元のパンケーキに集中しているふりをしながら、日山の方へと視線を向ける。 

 紫煙にも夜闇にも遮られていないその顔は、明るすぎる照明の下でさえひどくまともな大人にしか見えなかった。


 なんとなくこの人とは協力はできても仲良くはできないだろうなと、口元のほくろを見つめながら、俺は思った。

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