束の間夜に煙深し

 田舎のコンビニの駐車場は広い。巷でよく聞く話だが、少なくとも俺の生活圏においては真実だと思う。


 田舎という言葉が指す範囲は程度が随分広い。バスが一日一度の僻地からそこそこ繁栄した地方都市まで射程がある。少なくとも今俺がこうして期間限定フレーバーの缶チューハイと量の割に割高なつまみを提げて喫煙所で煙を上げているコンビニは精々が地方都市──何せ大学もあるし駅前が十時までは明るい──のものだろうが、御多分に洩れずアホみたいに広い駐車場がある。店舗面積といい勝負ができる広さではあるが、この時間になると車は少しも止まっていない。

 勿論客もほとんどいない。

 ひと気のないコンビニ、などといえば何かしらの訳ありのようなものにも思われるかもしれないが別段不思議でもなんでもない。近くにあるのは平凡かつ平穏な住宅街と死に損なった個人商店がまばらにあるような立地なので夜に出歩く人間がいない。車で来るようなやつもいない。店も開いていない地方準田舎の夜にわざわざ外に出るやつは余程の暇人以外はいないのだ。


 そのいつ来ても車の止まっていることが稀な駐車場に結構な速度で入り込んできた白バンが目の前の駐車スペースに止まったかと思うと降りてきたのがジャージの先輩だったので、俺は火を点けて間もない煙草を取り落としそうになった。


久慈くじおつかれ。今日なんか蒸すな。まだ夏じゃないのに」


 いつものように俺の隣に陣取って、どういうわけかひらひらと手を振ってくる。

 そんなアホの小学生のような真似をしている国島くにしま先輩の傍らに、バンから降りてきた運転手らしき人物が並んだ。


 なんだこいつ、という第一印象ですべてが塗り潰された。


 都会ならまだしもこの中途半端な地方都市では繁華街でもあまり見ないような派手な黄色のシャツ。お洒落なのか悪趣味なのかの判定に困るような幾何学模様の柄に彩られている。おまけに中途半端な長さの黒髪は無造作に束ねられて肩口に落ちている。

 背景に昼のオフィスよりも夜の公園や路地裏がしっくりくるような男だ。

 その男は沈み損ねた月のような一重の目を眇めて、俺の方を見た。


「国島から聞いてる。後輩なんだって? 久慈くん」

「あのな久慈、この人が俺の仕事先の先輩。鷲田わしださん」

「……どうも初めまして。久慈です。国島先輩の後輩、です」


 向こうが初手でこちらの情報を提示してきたので間抜けな復唱になってしまった俺の自己紹介に、柄シャツ──鷲田さんは微かに口元を持ち上げて、そのままぷいと背を向ける。自動ドアの開く音と入店チャイムの音がやけに大きく聞こえた。


「大丈夫なんですかあの人」

「何が」

「何がっていうか、あの格好で仕事場ってどうなんですか」

「あれ私服だよ。さすがに仕事中はもうちょっとちゃんとした服着てる。外出るときは作業服とかあるし」


「まともな人間は蛾みたいな私服黄色地にサイケな配色の図形柄を通勤着に選ばないのではないだろうか。それを許容する職場が現代日本にあるというのも疑わしい。


「先輩のとこって合法なんですよね」

「まだそれ疑ってんのかよ。広義で言えばリサイクル業者だって説明したじゃんこないだ」

「リサイクル業者であの格好の人って色々大丈夫なんですか」

「全然。鷲田さん超いい人だよ。簿記持ってるし」


 たまに話題に出てくる叔父──先輩にバイト先を紹介した人間だ──といい、どうも先輩は人間性の保証が勤務先や資格で済むと思っている節がある。

 余程の世間知らずなのか善良かのどちらかだろうと考えて、ただ説明の手間を面倒がっているだけだという予想に辿り着いてしまう。とりあえずの属性を提示してそれで大雑把な説明を済ませたつもりになっているのだとしたら随分罪深いことをしている。

 簿記を持っているという情報から見出せそうな属性──堅実だの実用的だの数字に強いなどのくだらない連想が幾つか脳裏に浮かんで、そのすべてがあの夜目にも鮮やかに浮きまくる黄色の柄シャツで踏み倒されていった。


「なあ、久慈くん」

「は」


 突然聞き慣れない低い声で名前を呼ばれて、間抜けな音が喉から零れる。

 声の方へ首を向ければ鷲田さんがコンビニ袋を提げて突っ立っていた。


「いつも国島に付き合ってくれてるって聞いたから。初対面であれだが、礼だよ」


 二人で分けろと押し付けられた袋はそれなりに重く、覗き込めば総菜パンやら缶コーヒーなどが大量に入っているのが見えた。

 突き返すほどの度胸もなくかといって気の利いたことを言えるわけでもなく、ぎくしゃくと頭を下げれば咳払いじみた笑い声が返ってきた。


「友達は大事にしときな。中途半端にすると、後悔するから」


 一言だけを一方的に投げつけてそのまま俺の反応など待つ様子もなく背を向ける。 

 痛々しいほどに派手な柄シャツはバンに乗り込み、獣の唸り声じみたエンジン音を夜闇に低く響かせ、白い車体は走り去った。

 またしても誰もいなくなった駐車場を眺めながら、俺は先輩に確認のように質問する。


「何度も聞くんですけど、本当にどういう人なんですか」

「だから……職場の先輩、つうか指導役だよ。年上だし」

「今日はそもそもどうしたんです。職場の人と一緒に」

「仕事で外出てたんだけどさ、結構かかっちゃったから送ってやるって話になってさ。近かったからじゃあコンビニに落としてくださいーって話して、これ」


 そのときに俺のことも話したのだろうなと見当をつけて、この分だと何を言われているのか分かったものじゃないなと不安になる。先輩の口が軽いのは俺自身がこの夜の取引においてよく知っている。知られて困るような疚しいことはないにしても、落ち着かないのは心情としては仕方がないだろう。

 一度ゆっくりと煙を吐く。そういえば今まで買い取った話に出てきたなあの人、とどうでもいいことこの場においては適切な話題を思い出した。


「指導係の先輩ってことはあの人指ないんですよね、煙草吸ってると」

「あー、吸ってるときだけな」


 意外と覚えてんねという先輩の言葉に、返事代わりに煙を吐く。揺らいで闇に溶ける煙を眺めながら、最早習慣となり始めたこの夜の暇潰しに関して気にかかっていたことについて思考を回す。

 ほんの少しの引っ掛かりだ。最初にこの奇行──話と一緒に煙草を寄越すという行動──を起こしたのは誰だったか。

 バイト先の社員から持ち掛けられた、と最初の夜に説明されている。その行為が会社の中で広まって、徐々に定着し始めているのも毎週の語りで知っている。

 先輩は馬鹿なのと根性がしみったれているせいで易々と引き受けてはいるが、本来ならば人から物を貰うという状況はもっと警戒してかかるべきだろう。知らない人について行かないのと同程度によく分からない贈り物を受け取らないというのは義務教育で習った気がする。


 人に物を渡す理由は二択。善意か謝意かのどちらかに大別されるのではないだろうか。悪意を以て渡す場合もあるだろうが、ならもう少し分かりやすいものにするはずだ。

 謝意だとすれば、何に対しての感情なのかが曖昧だ。つまらない話に付き合わせることへの罪悪感だとしても、そもそも普通の人間がする話など十中八九海のあぶくより意味のない話ばかりだ。懺悔みたいだと言い出したのは先輩だ。抱えきれずに吐き出したものへの口止め料だとしても内容が見合わない。与太じみた怪談話、そんなものを口外されたところで誰の痛手にもならないだろう。

 分からない。意図も意味もうまく繋がらない。それなのに行為は成立している。その状況が何となく気に入らない──。


「──なあ。灰やべえけど」


 先輩の呼びかけにぎくりと身が強張った。

 言われた通りに手元を見れば、結構な長さの灰が落ちもせずに伸びている。灰皿に叩き落とせば、指先に再び赤い火が光った。


「お前何難しい顔してんの。煙草吸いながらそんな顔する年でもないだろ」

「なんですかそれ……物考えるんですよ俺だって」

「あそう? ややこしい生き方してんね」


 とりあえず今日はもらったもん分けようぜと袋を漁る先輩を見て、そういえば袋を差し出したときの鷲田さんの指はきちんと揃っていたなとくだらないことを思い出す。煙草を吸って欠ける指は怪現象でも、日常において欠けているのは事故か事件か──即物的で危険な因縁ばかりだ。

 因縁が分かるほうが恐ろしいのか、それとも分からないままにことが済んでしまうのが嫌なのか。どちらにしてもただ煙草と引き換えに与太を聞くだけの部外者にはどうにもできないのだろうと、俺は天を仰いで煙を吐いた。

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