噛み返された話

 お前、噛む方?


 ああ、煙草の話だよ。フィルターんとこ、あれやたら噛むやついるじゃん。メントール系だとカプセル入ってたりするんだっけ? 俺色々吸うけどあの辺はあんまり手出してないんだよな。何かこう、ヒャーってなるから。チョコミント苦手なのとか関係あったりするかね。あと風呂の入浴剤、夏用のやつあるじゃん。あれもやだ。落ち着かなくって毎回念入りにシャワー浴びて出ちゃう。意味ないよな。

 お前あんまりそういうの吸わないもんな。いっつも同じ箱吸ってる……や、悪いとか言ってない。つうかないだろそんなの。それ言い出すと色んなとこに飛び火しない? やたらな冒険するより、安定した成果で満足できんのもいいと思うよ。

 おかげでこうやって一本貰う分にも安心できるし。嫌だよ返さないよ貰ったもん。代わりに話してやるから。そういう約束だったろ? 俺は約束はちゃんと守るんだ。レポートの締め切りだって破ったことがない。小物だから。約束したら待ち合わせ場所に三十分前には着いちゃうからね。小心なんだよ。でもそのまま本屋行って結果遅れるけどな。馬鹿なんだよ。知ってるだろうけど。


 これはね、こないだ仕事行ったときの……佐藤さんな。その人から貰った話。

 俺その日留守番してて、一応予定とかないけどもし誰かきたらってことで、ちゃんと上着着て待ってたんだよ。一応ね、受付つうか仕事中だから。外出るときは作業着でいいんだけどね。スーツってほどじゃないけどあれよ、オフィスカジュアル。だからアロハは着らんない。そう、サークルで夏旅行行った時に買ったやつとかね。背中に大蛸がいるやつ。あれ結構気に入ってんだけど、まだ寒いしね。梅雨開けたら大学には着てこうと思ってる。

 で、予定通りみんな外行っちゃって、俺ともう一人事務の人──佐藤さんが書類黙々と書いてた。俺もちゃんと仕事してたんだよ。ただほら、所詮バイトだから経理とかそういうのは手出せないし……メイン電話番で、ファイル整理とかしてたよ。事務に回すまでもない雑務とかね、結構あるから。

 そうやっていつも通りに仕事してて、三時になったからお茶入れようかってことになってね。分かりました淹れますって俺準備してさあ。じゃあこないだ貰ってきたお土産も出そうかってこと言ってくれて、二人で雑談みたいなことしてたのよ。


 雑談で最近色んなもん値上ってますねとか梅雨になると書類湿気って嫌ですねとか、そういうどうでもいい話をしてたんだよ。

 その流れでこう、話したんだよね。最近俺が煙草もらって話聞いてるってのを。そしたら佐藤さんちょっと考えて、


「じゃあ僕の話も聞いてもらえます?」


 ルール的にはこれで大丈夫ですか、って煙草一本出してね。別にいいですけど俺聞くだけですよ、って答えても大丈夫ですそれでいいですって仰る。じゃあって俺はありがたく受け取って、ちゃんとしまった。後で仕事終わりに喫煙所で吸おうってね。マルボロだったから、ちょっと意外ではあった。佐藤さんこう、結構スマートっていうか線の細い感じの人でさ。昼飯いっつもランチパック一袋で済ませてんの。よくあれで足りるなあって思ってるし、たまに鈴木さんが冗談だろみたいな顔で見てたりする。


 で、佐藤さんね、吸うは吸うんだけどもそんなに量こなす人じゃないんだよね。

 一日起きて寝覚めの一服に、仕事終わりと、寝る前ってくらいで日に三本。仕事してるときは煙草休憩とかも行かないから、全然吸ってるイメージとかない。喫煙所で行きあうと、珍しいなって思うくらい。帰り際とかちょっと遅い時間なんかだとたまに会う。俺バイトだからそんなに遅くなることないけどね。遠出のドライバーやった時ぐらいだよ。

 でもこう、癖でね、噛むんだって。

 一時期メントール系吸ってたせいかもって佐藤さんは言ってた。なんか癖になっちゃったらしくて、そういう仕掛け? がないやつに変えても噛んじゃう。人前でそんなに吸わないからいいけど、内心気にしてはいたんだって。爪噛みみたいなもんですからねって、佐藤さん笑ってた。


 で、今年の三月。春一番だか何だかで、仕事終わって帰った途端に天気が大荒れになった夜な。佐藤さんマンション住んでんだけど、ばんばん風吹いて雨も降るもんだから、家鳴りが凄かったんだって。子供じゃないから怖いとかはなかったけど、停電とか断水なんかになったら困るな、ぐらいのことは思ったって。

 飯も風呂も済ませて、十一時ぐらい。そろそろ寝るかなって換気扇回して、まっ暗い台所の中で、換気扇の照明だけ点けて吸ってた。


「何となくこう、ぽかんとしちゃって。落ち込むっていうか、妙な気を起こしたんです」


 何ですかそれって聞いたら、佐藤さんちょっとだけ間を置いてから答えてくれた。


「具体的にどうこうっていう類じゃないけど──漠然としてどうにもできない無力感、みたいなやつ。そういうのがね、ぶわーって来ちゃったんですよね」


 お前、なんとなく分かる? 俺あんまり分かんないけど……とにかく佐藤さんそういう気分になって、なんとなく落ち込みながら煙を吐いた。口から離した煙草、フィルターにくっきり歯形が付いてた。

 またみっともない真似したな──って灰皿に灰落とそうとした途端、指が痛んだ。


「で、こう」


 佐藤さん、指輪でも見せるみたいに右手を俺に向けた。

 小指の真ん中、関節の間にね、ぐるっと赤紫の傷が輪になってた。


「何ですかね、こういうの」


 バチかなんかですかねって笑って、佐藤さんひらひら手を振ってた。俺もとりあえず、頷くだけは頷いた。


 どう返したかって、膿まないといいですねって……他に言いようもないじゃん。事情とか理由とかあるのかもしれないけど、それ俺が聞いていいかどうかでいったら多分ぎりぎりでアウトだと思うんだよね。それこそ煙草一本だと安すぎるくらいの。もっとちゃんとこう、責任取ってもらわないと割に合わない系。

 そのあとどうなったって、有耶無耶になった。丁度よく電話鳴ってね、そっちの対応してたから。電話はね、普通に営業電話。普段だったら舌打ちしちゃうくらい腹立つけど、あのときだけはめちゃくちゃありがたかった。断ったけどね。そんで普通に終業まで仕事して、挨拶して帰ってその日はおしまいになった。健全だよな。


 そうだな、おまけっつうか……こんなんはあった。分かりやすいけどよく分かんないやつ。


 ほら、これ。

 歯形っつうか、牙の跡だよな、これ。貫通しちゃってんの。貰った時には何ともなかったのにね……その日の帰り際に吸おうとしたらこれだったから、さすがに吸えなくってさ。どうしたもんかって考えてるんだけど、お前なんかいい案ある?

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