「裏山には毒ベヒーモスが出んがな」
特ルリ
本編
「出かけんか、気をつけてな裏山には毒ベヒが出んかな」
「毒ヘビ……?うんわかった、気をつけて行ってくるねおじいちゃん」
ーあれは、まだわたしが幼かった頃。
X県にある祖父の家に一人で泊まりにいったちいさな少年は、初めての単独行動に浮かれていた。
「夕べまでには帰って来んよ」
おだやかな春の日。
暑さに備える必要もなく、寒さに構える必要もない、長閑な時間。
植物に水をやりながら、祖父はそう声をかけて送り出してくれる。
アスファルトの歩道が途切れて、どこまでも続くような原野へと続く裏山への道が、わたしには眩しく見えていた。
「……これ、木いちごってやつかなあ?」
遠くの果てに霞む田畑を見ながら。
山道にある、真っ赤な果実にふと目をやる。
「……きゃっ?!ハチ……!ハチも甘いものが好きなのかなあ」
手を伸ばそうとしたところ、静かに滞空する黄色と黒のいきものは、こちらのことを気にもせず呑気に浮いていた。
ーわたしは当時、いや今もハチが苦手だ。
刺される、危害を加えられるという恐怖を本能的に感じ取ってしまうのだろう。つまりは、臆病なのだ。
「……山のてっぺんまで行ってからかーえろっと「ラケモン」の続きやりたいし」
ーそんな臆病な子供だったからこそ、家で「ゲームボウヤ」でもして遊んでいる方が好きだったのを、懐かしく思い出す。
ーそう、この日までは。
めりめり、ばきばき。
目の前で凄まじい音がして。
「へっ?」
目の前で、木々が薙ぎ倒されて。
そこには、ベヒーモスがいた。
「……は、はい?」
自分の目線の高さより上に、巨大な牙のついた口があり。
たてがみと爪のついたカバのような見た目のそれは、こちらを真っ直ぐ見据える。
ーその瞳が、金色の瞳がみょうに澄んで見えて。
ーおもわず一瞬笑ってしまったのを今でも覚えている。
「グルルルル……」
「や、やばっ……?!」
来た道を、回れ右して逃げ出す。
「(やばいなにあれ、あんなの「ファイナルドラゴン」に出てくるモンスターじゃん!!)」
後ろからは、何か重いものが追いかけてくる時のドスドスという音。
遠くに霧の煙る、静かな田畑の情景を割いて。
紫の爪を持つ、巨大な魔獣がX県の裏山を駆ける。
ーもうだめだ、このまま家に逃げたらおじいちゃんも危ない
警察?!いや自衛隊?!でもそんなのどこに?!
アスファルトの歩道に全速力で踏み出したその時。
「すごい唸り声がすると思ってきたんな、ほらいわんこっちゃ毒ベヒよ」
「……お、おじいちゃん?!」
「春は毒ベヒと居合わせることがあるんかな、じいちゃん止めるべきだったんごめんなあ」
ー祖父だ。
ー祖父がわたしを抱えて、すごいスピードで走っている。
いつも被っている彼の帽子が、とても頼もしく思えたのを覚えている。
「このまま地下に避難すんわ、しっかり捕まりき」
「……うん!」
その時。
「グ……オオ?!」
「……おやらあ、こりゃまあ……」
急にベヒーモスの歩みが止まった。
山ほどある怪物が、鼻先を何かに噛みつかれて困惑している。
「……この辺には毒ヘビも出んかな、マムシはベヒーモスも嫌がるきに」
祖父は念のためわたしを背中に庇うと、マムシを取ろうともがく魔獣のそばに寄る。
「ほーら外してやんかな、このぼんは悪さしんきにさっさ帰りな」
「グウ……」
徐にマムシを鼻先から引っこ抜いた祖父に、伝説の中にしかいないと思われた魔獣はちょっとだけ困惑すると。
ー鼻を気にしながら、とぼとぼと山の中に戻っていた。
ーその光景は、春のまぼろしのように。
ーいまでもまだ、心の中に焼き付いている。
「昔な、お国の偉ん人がいっぱいやってきてベヒーモスを調べはたん、けどなこの生き物はここでしか生きられないとそれっきり残しとこって話になるんよ」
「ベヒーモス……聖書に出てくる怪物だよね!怖かったけどすごかった……」
「んが」
家でなす田楽を食べながら、祖父はわたしの擦り傷に巻いた包帯を見ながら頷く。
「きっとな 世界には誰にも知られず人間といっしょ暮らしとるやつがあんよ それを乱しちゃいかねえ」
「……うん」
ー鬱蒼と繁った密林の中にある、Y国。
「彼は「この辺にはカトプレパスがいる しかしこのことを知られてはきっと外の世界から来た人間が神獣を狩ってしまう どうにかウシの変種ということにしてくれ」と言っています」
ーここに調査に来てもなお、幼かった頃の思い出は、まだわたしに焼き付いている。
「わかりました、カトプレパスなんていなかった……そう、報告いたしますねとお伝えください」
一つ目の牛を撫でる族長らしき人物に、わたしは通訳の方越しにそう伝える。
ーわたしだけが知っていて、きっとそのままでいいのだ。
ーあの日見た、ひそやかなベヒーモスのように。
ー世界には本当はいる、魔獣は。
「裏山には毒ベヒーモスが出んがな」 特ルリ @rurilight
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