17 推理

 少々気まずくなって陶冶は水を飲んだ。伊奈波は唐辛子にまみれた油揚げをむしゃむしゃと食べる。流石に刺激が強かったのか思い切り咳き込み、伊奈波も水を煽るよう飲んだ。

「注いできます」

 空いたグラスを二つ持って陶冶は席を立った。セルフサービスの給水機が厨房の隣にある。伊奈波はむせながら片手を挙げて応えた。


 コップに水を注ぎながら考える。

 切断した四肢を置いていく犯人は、屋上の殺人とどのように関係するのか。考えられる候補は三種類だ。


 一つ目、バラバラ殺人犯が、粟津殺しの犯人でもある。

 二つ目、バラバラ殺人犯は粟津で、粟津殺しの犯人は別。

 三つ目、バラバラ殺人犯と、粟津殺しの犯人は無関係。


 可能性が高いのは一つ目。陶冶は心の中で声に出した。二つ目はパターンとして存在するが、陶冶たちが知らない情報、すなわち裏で色々あったのだろうという前提に頼りすぎているし、三つ目に至っては偶然が重なりすぎている。たった一日の間に田舎の高校で独立した殺人事件が同時発生してたまるか、という思いが拭えない。妥当に、蓋然性をもって、素直に考えていくと、バラバラ殺人犯と屋上の殺人犯は同一人物だと思える。しかし、ならばなぜ屋上で殺人を犯したのか。自分の正体が絞り込まれる強烈なハンデを負ってまで。鍵はどうして掛かっていたのか。自分の中に浮かんでくる疑問に、陶冶は答えを出せなかった。


 伊奈波はどう考えているのだろう。

 陶冶が伊奈波の方を見ると、すでに唐辛子から復活して、店員に何か注文していた。

「お待たせしました」

「ありがとう」

「何頼んでたんです?」

「デザートのどら焼きセット。桜餡と抹茶餡と普通のこし餡だ」

 伊奈波がメニューをひっくり返して見せる。三つのどら焼きを斜めに切った写真が掲載されていた。光の加減から、不慣れな店主がデジカメで撮る姿を想像できた。

「淡墨桜と織部焼のイメージですかね」

「多分。今更だけど危険な目に遭わせたお詫びだ。一つ食べていいよ」

「それはどうも」

 まだ気にしていたらしい。陶冶は自分が転倒したことを忘れかけていた。言われてようやく、擦りむいた肘の痛みを思い出す。

「伊奈波先輩は、やっぱりバイクで逃げた人物が屋上の殺人犯だと思いますか?」

 陶冶は率直に訊いた。

「同じ人物だろうね。そして、どちらの行為も計画的じゃない」

「バイクで逃げるのは俺たちが来ることを予想しようがないので分かりますけど、屋上の殺害もですか?」

「順番に考えて行こう。まず、犯人は学校関係者だ。そこはOKかい?」

「まぁ、それは多分。前提にしてもいいと思います」

 外部の人間が屋上まで入り込み、そして誰にも目撃されずに去っていったという想定は現実的ではない。

「犯人は、月曜日の深夜から明け方のうちに、あの不審車を運転して高校の敷地に侵入した。来賓用のスペースに車を停め、青い箱に入った左足をボンネットにテープで固定し、車を放置して一旦身を隠した」

「まだ暗かったはずですよね。どこに隠れていたんでしょう」

「うちの高校の周りは何もないからなぁ」

 より正確に言えば、市内ほぼ全域において、夜に時間を潰せるような施設も店舗も見当たらない。

「ただ、仮にコンビニや漫画喫茶があっても、そこには行かなかったはずだよ。監視カメラや人目がある場所は徹底的に避けたはずだ。暗闇の中で、じっと時間を過ごしていたはず」


 陶冶は高校の周りに身を隠した犯人を想像した。何時間そうしていたのだろう。誰にも見られるわけにはいかない緊張感を維持しながら、ひたすらに夜明けを待っていたはず。やがて、出勤する教師や登校する生徒たちが現れ始め、その中にすっと紛れ込んだ。


「犯人がこの時点で粟津先生を殺すつもりだったとは思えない。基本的に学校の中で殺す理由がないからね。帰りを狙って通り魔の仕業に見せかけた方が、楽だし合理的だ」

「そもそも、どうして粟津先生が殺されたんでしょうか。ソーラー設備が関係していそうですけど、そうなると……」

「あの記事と矛盾する?」伊奈波が先回りして言った。


 殺された粟津が学校の屋上にソーラー設備を導入しようと画策していたのなら、積極派に分類すべきだろう。しかし、不二夫妻が殺した元反社会的勢力の男は反対派とされている。


「逮捕された不二夫妻は確かに新エネルギーの積極派だったみたいだけど、犯人が同じ思想を持っているとは限らないよ。積極派同士の内輪揉めかもしれない」

「ですが、犯人が積極派の人間を殺したなら、やはり反対派だと考えるべきじゃないでしょうか。切断した――」

「お待たせしましたー」

 店員がどら焼きセットを持ってきて話が中断した。写真の通り、角皿に三つのどら焼きが並んでいる。

「選んでいいよ」

「じゃあ、織部風の抹茶味で……あ、ダメでした?」手を伸ばした瞬間、伊奈波の目尻が上がったのを陶冶は見逃さなかった。

「ん、いや別に、ボクのことは気にしなくていい」

「そうですか。では、淡墨桜餡にします……あの、伊奈波先輩」

「いやいやいや、ボクは何も言ってないじゃないか。お詫びなんだから、鍬形君の好きなやつで良いんだってば」

 目付きがそうは言っていない。淡墨と発音した瞬間、明らかに何らかの感情を押し殺すようにぎゅっと目を瞑ったではないか。

「普通のこし餡にしようかな」

「そうかそうか。鍬形君は変わり種が苦手なのかな? 残りの二つはボクがいただこう」満面の笑みだった。お詫びの気持ちはどこへ行ったのだろう。

「少し千切って、交換しません?」

「んー、まぁそれぐらいなら」

 交渉により、こし餡半分と、桜餡と抹茶餡を4分の1ずつ得ることに成功した。受け皿の上で合体させて円形にしてみる。セットのほうじ茶は伊奈波が確保し、既に一口飲んだため交渉の余地がなかった。

「話を戻しますけど、犯人はバラバラにした、その、各部位を」店員の存在を意識して慎重に言葉を選ぶ。「有力者や機関が発見するように置いていますよね。それは犯人が、新エネルギーの方針を左右する人物たちを委縮させようとしているのでは」

 メガソーラーであれ、新型原発であれ、新エネルギー関連で社会的影響力の強い場所に死体をばら撒けば、生み出されるのはテロ的な恐怖であり、結果としては反対派による威嚇行為に等しい。犯人が不二夫妻の意志を継いでいるなら、行動が矛盾している。

「鍬形君の言う通りに犯人が反対派だったとしてもさ、それがイコール粟津先生を殺す理由にはならないんじゃないかな。メガソーラーと高校の屋上じゃ、規模が違い過ぎる。山じゃなくて屋上なら、自然も破壊されない。高校のソーラー設備に目くじらを立てて殺人を犯すような狂人じゃない……と思う」

「では、他に理由があった?」

「ボクはそう考えるね。第一、屋上にソーラー設備を設置する計画自体、ボクだって偶然知ったんだ。犯人がどの立場の人間か分からないけど、教員でも知らない人は多いはず。生徒ならなおさら少ない」

「そうなると、犯人はどうして粟津先生を……」

「そこが逆なのかもしれない」伊奈波が言った。

「逆?」

「粟津先生が、犯人に接触した可能性だ」

「でも、どうやって」

「あの日、職員室で話題になったものがあるだろう」

「えっと、不審車ですね」

「そう。早朝からずっと停まっている車をどうすべきか、先生たちは話し合って、答えが出なかった。あの不審車は粟津先生も見たはずだ。そして何かに気付いた。例えば、知り合いの車だったとか」

「あの車は恐らく被害者の車で、不二モーターズで車検を受けていたから、被害者は不二夫妻と顔見知りだったわけですよね。そうか、積極派の粟津先生は、同じく積極派の不二夫妻と知り合いでもおかしくない」

「でも、当の夫妻は逮捕されている。車の持ち主に電話しても応答がない。そうなれば、粟津先生が事情を聞くのは夫妻の周りにいる人物だ。その人物が校内にいて、そして」

「不審車と左足を放置していった犯人だった」

 推測ばかりだが矛盾はない。少なくとも、屋上の鍵を自ら借りている点からして、粟津は自主的に動いている。作業を頼まれたわけではなく、人目を気にせず話し合える場所として、屋上を選んだのではないか。屋上のソーラー設備プロジェクトを推している自分なら不自然ではないと考えたはず。

「後ろめたい関係や利権絡みの繋がりだったなら、屋上に鍵を掛けていた理由は納得できます」相手に気を遣ったか、粟津にとっても知られたくない関係だったのかもしれない。

「屋上で話がこじれたんだろうね」伊奈波は言った。「犯人が粟津先生を刺した。ナイフは切断用に持っていたものか、呼び出された時点で警戒して護身用に準備したのかな。なんにせよ、そこで殺してしまったことが犯人にとってイレギュラーだったのは確かだ」

 殺害後、犯人は逃走している。しかし、屋上の鍵は掛かっており、あの白髪交じりの警官が半ば認めたところでは、鍵は被害者である粟津の側に落ちていた。昨日伊奈波と議論した屋上の鍵問題は残ったままだ。


「どうやって逃げたのかな」伊奈波は抹茶餡のどら焼きを頬張った。

 犯人は被害者のポケットから鍵を取り出し、唯一の扉から出て行けば済んだはず。逃げようとしたら、陶冶たちが扉をノックし始めたとしても、非常階段の屋根に飛び乗って逃げられた。


 しかし、伊奈波の推理が正しければ、警察はその痕跡を発見しておらず、屋上からの脱出方法は未解決になっている。どこかの方角から、指の力だけでロッククライミングのように降りたり、雨どいを伝ってかなり危険な方法で非常階段に飛び込むことは可能だが、どのみち逃げるのなら何故そんな方法を選択したのか。不可解な動機を説明する必要に迫られる。


 空間的には開け広げられた屋上だが、心理的には不可解に閉じている。


「ヘリコプターでも呼んだなら簡単なんだけどな」

 伊奈波が言った。当日そんな派手な音すれば、幾ら何でもすぐにバレる。

「飛ぶのはなしですよ。人間なんですから」

「飛ぶべきか、飛ばざるべきか。それが問題だ」

 多分シェイクスピアだろう。To be or not to beをローマ字で翻訳した例を初めて見た。

「ああ、そうだ。これはお伝えしてなかったんですけど、どんな方法にせよ、北側は滝沢先輩がいたので逃げたのは非常階段のある西側か、グラウンドの南側だと思いますよ」

「え、滝沢君が? なんで?」

 我らが部長が儚く散った話を広めることに若干の抵抗を覚えたが、事件解決のため陶冶は竹中とのやりとりで知った話を教えた。

「清水さんも五文字は酷いな。手心ってもんがある」

 陶冶と同じ感想を伊奈波も呟いた。それでも、当事者の問題には違いない。いっそ一撃で切り捨てることが情けと受け入れるべきなのだろうか。

「なら北側はないか。ボクが思うに南側もさ、いくらグラウンドが使えなくて運動部がいなくても、部室棟があるし広いから抵抗はあるよね」

「なら西側ですか」

「屋上から飛び降りてでも逃げなきゃいけない状況なら、ボクだったら絶対に西側を選ぶ。誰にも見られず逃げられる確率が一番高い。まぁ、ボクなら非常階段の屋根に飛び移るから意味のない仮定だけど……」

 屋根に靴跡が付くのを嫌がったのだろうか。しかし、気になるなら消すなり靴を脱ぐなりすればいい。事前に靴を脱ぎ、フェンスをよじ登って越えてから飛び移る前にそっと落とすだけだ。しかし、陶冶が思いつく程度の解決策は、犯人も思いつくだろう。

「食べないの?」

 伊奈波に言われて、何のことか一瞬分からなかった。しかし、伊奈波の視線が陶冶にではなくテーブルの上に向いていたので、すぐにどら焼きのことを言っているのだと気付いた。伊奈波のどら焼きは、いつの間にか半分以上減っている。

「ああ、いえ。食べますよ。考えるのに夢中で……何ですかその目は。自分のがあるでしょう」

「なんだい、その言い方だとまるでボクが食い意地張っているみたいじゃないか。こし餡が美味しかったから、もし君が食べないなら残すのももったいないと思っていただけだよ」

 伊奈波が憤慨した様子で、残りのどら焼きを胃袋に運んだ。

「元々伊奈波先輩に頂いたわけですし、どうしてもと仰るなら構いませんが……」

「いや結構。催促しているわけじゃないんだ。どっちでもいいんだよ別に」

「どっちでもいいと思ってます? 本当に」

「思ってるさ――」

 そこで、伊奈波の言葉が止まった。

 陶冶を睨んでいた目が見開かれて、焦点が陶冶からずっと遠くへ移る。

「伊奈波先輩?」

 問いかけに反応がない。

 一人だけ時間が停まったように微動だにしなかった。

「そうか」

 やがてぽつりと伊奈波が呟いた。

「どっちでもいいんだ。だから……」

「何か分かったんですか」

「屋上の謎だよ。犯人も分かった。一人しかいない」

「え、一体誰が」

「もっと早く気付くべきだった。遅すぎたぐらいだ」うわ言のように伊奈波は声を出す。「ああ、しまった。連絡先を聞いておくべきだった。鍬形君、電話番号知ってる?」

「誰のです?」

「能登媛香」

 伊奈波は即答した。

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