16 通報

 警察に通報するにしても、その経緯は複雑だ。

 陶冶はポケットから取り出した端末を見つめた。


 いくら疑わしくとも、外形的に確かなのは、陶冶がバラバラ死体の発見された場所の付近で石を拾い、その石がどこから来たのか特定した、という部分だけである。下手すれば悪戯の通報だと思われかねない。


 縞模様の石は、高校の敷地内に放置された不審車が車検を受けたと思われる整備工場からやって来た。そして、陶冶が拾った道路の付近と、不審車のいずれからも、バラバラ死体が発見されている。この点は、いかにも事件の繋がりを思わせる。しかし、公的な捜査に必要なのは明白な事実の積み重ねだ。飛躍した論理ではない。不二モーターズの経営者夫妻が過去に起こした事件も、邪推だと言われればそれまでのこと。


 いざ110の番号が表示された画面を見ると、陶冶は急に自信がなくなってきた。

「止めておく?」伊奈波は優しい声で言った。

「いえ、かけます。頭の中で整理していました」

 陶冶は首を振った。強がりではない。情報提供は市民の義務だ。

「ただ、場所は変えましょう。説明が長引きそうですし、どこか落ち着ける場所に行きませんか?」

「鍬形君、なんか言い方がいやらしい」

「何でですか」そういう意味は微塵もない。「喫茶店とか、そういうのです」

「分かってるよ」伊奈波は笑った。「けど、この辺りって何もないんだよなぁ」伊奈波が周囲を見回し、陶冶もそれに倣って首を動かした。強いて言うなら、草と木と土はある。

「うどん屋が途中にありませんでした? 店の前にベンチがあった記憶が」

「あそこまで戻るのか。でもまぁ、そうだね。入れるお店はあれぐらいだ。それ以上戻るとほぼ帰宅だし」

 伊奈波が溜め息をつく。都会なら歩けばどこにでも店があり自由に選べるのだろう。田舎は選択の余地が少ない。うどん屋か、諦めるか。


 その時、後方でガシャンと音がした。

 振り返ると、陶冶の自転車が倒れている。

 伊奈波のマウンテンバイクは無事だ。

 風は吹いていない。何かが青いものが自転車の側で跳ねている。

「ボール?」

 伊奈波が呟いた。

 スタンドが甘かったか。自転車を立て直さなければ。そんな意識が言語化されるよりも前に、陶冶の身体は動いていた。ほとんど無意識の行動だと言える。陶冶は道路を渡る途中で、青いビニルのボールを拾った。


「鍬形君! 危ない!」

 声と音はほとんど同時だった。陶冶が伊奈波の声に反応した瞬間、空気を震わせる轟音が鳴り響いた。


 黒い塊がこちらに向かってくる。

 速い。光が視界を覆った。

 避けなければ。

 反射的に飛ぶ。

 黒い塊が傾いた。

 バイクだ。すれ違う。

 衝撃。アスファルトの臭いがした。

 音が遠ざかっていく。


「鍬形君、無事か!?」

「大丈夫です。今のは……」陶冶は道路に横たわったまま答えた。

「事務所側の扉がいきなり開いて、バイクが飛び出してきた」

 くそっ、と伊奈波が地面を蹴った。

「フルフェイスのヘルメットだった。きっと、あいつが犯人だ。中にいたなんて」

「バイクが俺を避けました。逃げ道に俺がいて驚いたんでしょうね」

「お人よしだな。殺されるところだったんだぞ」

「轢くつもりはなかったと思いますよ。ほら、これ」

 陶冶は掴んでいたものを伊奈波に差し出した。

 青いビニルボール。恐らくこれを投げて、自転車にぶつけたはず。

「これがどうしたの? あ……『関わるな』?」

 マジックで殴り書きされていた。このメッセージに気を取られていたせいで、一瞬逃げ遅れたのだ。

「まだ油性マジック特有の臭いがする。今しがた書いたものだな」

 伊奈波が青いビニルボールに鼻を近付けて言った。

「関わるなと脅す相手を、殺しはしないでしょう」

「でも、怪我をさせる場合はあるだろう」

「だったら警告なしでやるはずです。伊奈波先輩、大丈夫ですから、その」

 伊奈波の頬を涙が伝っていた。陶冶は手を伸ばしかけたが、どうして良いのか分からず空中で彷徨う。伊奈波がすぐに涙をぬぐったので、手はその間に引っ込めた。

「ごめん鍬形君。ボクが甘かったんだ。大した事はないって高を括って、君を危険に巻き込んだ。ボクの責任だ」

「ついてきたのは俺の意志です。平気ですよこれぐらい。面がずれて突きが鎖骨にぶち当たった時の方がよっぽど痛かった」陶冶は笑ってみせる。

「うん、ありがとう。痛そうだね、それ」

「骨にひびが入ったかと思いましたよ。病院行ったら全然大丈夫でしたけど」

 陶冶は立ち上がって砂を払った。左腕の肘に擦り傷ができていた。血が少し滲んでいる。

「でも、関わるなってどういう事でしょう。なんか、中途半端ですよね」

 犯人が陶冶たちの姿を見て焦ったのは間違いない。殺害現場と思われる場所に、いきなりやって来た男女がしゃがんで何か喋っているのだ。警察ですらまだ辿り着いていない真実に、迫られていると考えたはず。陶冶は伊奈波からボールを受け取り、改めて殴り書きのメッセージを読んだ。

「こんなボールじゃ、通報を止められない。むしろ、疑いが確信に変わってしまうし、証拠も残る」

「確かに、通報されたくないなら脅迫であるべきだ」伊奈波が頷いた。「更に言うなら、この辺りには人がいないんだから、隙を突いてボクたちを殺した方が安全だった」

「二人同時は難しいと考えたのでは」

「どうかな。相手はバラバラ殺人犯だ。選択肢にはあったと思う」

「でも、犯人はそれを選ばなかった」陶冶は言った。

「ボクたちを傷つけずに排除したい……? だとすると、犯人はやはり」

 伊奈波はそこまで言って俯いた。ブツブツと何か呟いて、眉間に皺が寄っている。

「やはり、何ですか」

「ボクたちを知っている、いや、ボクたちが知っている人物かもしれない」伊奈波は顔を上げ、陶冶を見た。「だから遠ざけようとしたんじゃないかな」

「知っている人物って、そんな」

 陶冶の脳内にここ数日で出会った人間の顔が次々と浮かんでは消えていく。身内なら、友人なら、後輩なら、庇護すべき人間なら、危険なことに関わらせたくないと考える。突き放したくなる。この状況の説明がついてしまう。

「誰なんですか、一体」

「まだ分からない。それはこれから考える」

 伊奈波はナップサックをマウンテンバイクの籠に放り投げ、飛び乗るようにしてサドルに跨った。

「鍬形君。今ボクは『ボクたちが知っている人物』と言ったけど、恐らく犯人と接触の度合いが強いのは君だ。君がここ数日の間に出会った人、起きた事、感じた事、全て話してくれないか」

「伊奈波先輩、どこへ行くんです?」今にも走り出しそうな伊奈波に、陶冶は尋ねた。

「さっき相談して決めたじゃないか。うどん屋だよ。まずは腹ごしらえだ」


   *   *   *


 陶冶は話した。自転車で並走しながらだと、ひらすらに口が渇く。伊奈波に初めて出会った日から今日までの事を、陶冶は順番に追っていく。


 金曜日の昼休み、剣道部で緊急のミーティングがあると呼び出された。滝沢に拝み倒され、アンフィスバエナと呼ばれる蛇探しの手伝いをさせられることが決まった。陶冶はそこで、幼馴染が祖父母の土地に仕掛けたカメラに映った、畸形の蛇の存在を知った。その流れから三又を取りに行かされて、伊奈波に出会い、無事に借りる。土産に石でも拾って来いと言われて、それをぼんやり覚えていた。


 隣を走る伊奈波は頷きも質問もせず、黙って陶冶の話を聞いていた。何を感じ、どう思ったか。陶冶は独白するかのように、丁寧に記憶を辿る。


 土曜日の早朝、剣道部の参加者に能登と清水を加えて樽見鉄道に乗り、無人駅を目指して出発した。駅から周囲を見回しながら目的地へ歩き、途中で縞模様の石を拾う。アンフィスバエナが撮影された十字路に到着すると、能登の祖父である源次郎と運転手の辻が現れ、簡単な挨拶を交わした後、本格的な捜索が開始された。その後、山側の道にいた能登が、青いクッキー缶に入った死体の右腕を発見する。


 二人はうどん屋に到着して店内に入った。個人経営のようだが、店内は小綺麗で明るかった。レジ横に置かれたソーラー電池で揺れ続ける招き猫と目が合う。入口に近いテーブルで中年の女性たちが笑い合っており、カウンターにサラリーマン風の男性が座っていた。そういえば、今日は平日なのだ、と陶冶は思い出した。


「きつねうどん下さい」「俺はエビ天を」

 一番奥のテーブルに座って注文する。バイトなのか娘なのか不明な女性店員が笑顔でそれを受け、厨房に立つ店主に声を張る。この距離なら必要ないのでは、とは思わなくもない。


 席に座り対面の伊奈波を見ると、まだじっと考えている風だった。必要最低限の部分だけ残して、他全ての機能を思考に費やしているようだ。中断した話を仕切り直して、陶冶は話を続けた。


 右腕の発見により警察が呼ばれ、陶冶はそこで地主の能登源次郎から、脅迫や犯行声明はなかったと教えられる。翌日のニュースで左腕と右足首も発見されたと報道があったが、犯人が深夜に各部位を捨てて回ったと仮定すると、早朝に発見した陶冶たちの右腕が通報としては一番早かったのではないか。ただし、他の二つも地方銀行頭取の自宅と、自衛隊広報センターの駐車場で発見されているため、発見の順番に意図はないと思われる。


 起きた事を他人に説明するのは案外難しい。何が起きて、何故そう思ったか。その順序を成立させるために情報を補足し、その時点での自分の思考と、現時点での推論が混ざると、絡まり合ったコードのように複雑になっていく。その絡まりを解こうとする行為がまた、より説明を複雑にしてしまう。陶冶はずっと、自分の説明の拙さを自覚しつつ、しかし他に方法もないのでひたすらに言葉を垂れ流していった。


 月曜日の授業後、三又を返すために理学準備室を訪れた陶冶は、伊奈波から無理やり校内化石鉱物ツアーに連れ出された。なお、この説明に差し掛かった時、ここまで黙って陶冶の話を聞いていた伊奈波が短く「無理やりじゃない」とだけコメントした。その後また意識がどこかへ飛ぶ。テーブルに備え付けの唐辛子で真っ赤になったうどんを食べ始めたので陶冶は構わず説明を続けた。と言っても、ここから先は伊奈波と一緒に行動しているため大幅に簡略化できた。


 屋上の鍵を借りに行き、能登と合流。屋上に戻り、岸本教諭から不審車の話を聞き、来賓スペースで左足の発見。警察が呼ばれ、応接室で待ち、事情聴取の最中、屋上で粟津教諭が死んでいたことを知らされた。そして、屋上には鍵が掛かっていたという。


「大体、こんなところです」

 陶冶が話し終えると、伊奈波はどんぶりを両手で持ち上げて、うどんの汁を飲んだ。まだ油揚げが残っている。最後に食べる派らしい。

「ありがとう。これで一通り理解できた」

「何か分かったんですか」

「そうは言っていない。情報とディティールを共有できた、という意味だ。それにしても、まさか鍬形君がパイロクスマンガンを探すフリをしながら、そんなにもボクのスカートからのぞく足にご執心だったとはね。脚フェチなのかい?」

「そんな説明しなかったでしょう」

 そこは言葉にしていない。

「いやなに、鍬形君が何を感じて、何を考えていたのか教えてくれたから、ボクもお礼に教えておこうと思ってね。君さ、結構じっと見る癖があるんだよ。ああいう視線、女子は全員気付くからね。注意したまえ」

「はぁ。あの、いえ、すみません」

 見られていることに必ず気付くとしても、気付いていない時は気付かないのだから集合論的に当然の帰結ではないか。反論が幾つか脳裏をよぎったが、この場合の論理的な正しさは意味を持たない。

「見たいなら見たいと言えばいいんだ。チラチラと見るのが良くない」

「見たいと言ったら、見ても良いんですか」

「見せるわけないだろう。破廉恥なやつだな君は」

「すみません」理不尽である。

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