15 記事

「伊奈波先輩の推理がもし正しければ」

 陶冶はペダルに力を込めるのを止めた。慣性に任せてゆっくりと自転車が進み、同じくスピードを落とした伊奈波の隣に並ぶ。

「俺たちはこれからバラバラ死体を作った犯人がいるかもしれない場所を訪れるわけですよね」

「そうなるね。だから鍬形君に来てほしかったんだよ。ボディガードとして」

 しれっと伊奈波は言った。荷が重すぎる。

「そう緊張しないで。もし鍬形君が死んだら、君の遺骨をアクリルケースに入れてボクの部屋に飾るからさ」

「何の気休めにもなってないですよ」

「喉仏の骨が良いなぁ」

「部位を指定しないでください」

「ま、ここまでは冗談半分だとしても」半分は本気なのか。「危険に変わりはない。怖ければ少し離れたところから見ていてくれて構わないよ。ここまで付き合ってくれただけでも十分感謝している。一人なら、途中で怖くなって帰っていたかもしれない」

「ここまで付き合ったんですから、最後までお供しますよ」

「頼もしいね」伊奈波は目を細めた。「さぁ、看板が見えてきたぞ」


 真っすぐに続く道の左側に、トタン屋根の建物があった。更に遠くには廃屋のような建物がモールス信号のように点在しているので、孤立とまでは言えないが、不二モーターズの周囲は田んぼか荒地で他に建物がない。

 不二モーターズは遠くから見ても錆の浸食が酷く、元は灰色だったと思われる壁の大部分が赤茶に変色していた。建物の上部に看板が見えたものの、全体的に色褪せている。


 伊奈波と陶冶は肉眼で看板の字が読み取れる距離まで近付き、足を止めた。

 周囲には咄嗟に逃げ込めるような構築物がない。不二モーターズの反対側は空き地で、資材とタイヤが雑に積まれていた。資材置き場だろう。あるいはゴミ置き場。道路のアスファルトは脆く、剥げ落ちて半分になった白線の辺りから砂質の土になっており、強く踏んでみるとボロボロと崩れていく。


「塗装跡が全然見つからなくて、無関係の会社のようなら調査は終了だ。逆にもし見つけられたら……」

「危ないと思ったらすぐに逃げますからね。命あっての物種ですから」

 無意味と知りつつ、電信柱の影に身体を隠すようにして鍬形は言った。

「もちろん、そのつもりさ。世界中の鉱石に囲まれるまで死ねない」

 冗談なのか本気なのか判断に困る。

「地球にいるわけですし、ある意味、常に囲まれているのでは」

「君ね、宇宙飛行士目指してる人に『ここも宇宙ですよ』って教えても何にもならないだろ。そこに満足はない」

「では、本当に世界中の鉱石を集めたら、先輩は満足して死んじゃうんですか」

「満足して昇天する」伊奈波は真顔で言った。「放射性鉱物が含まれるから、それが原因かも」


 大型トラックが前方から走ってくるのが見えた。会話が中断し、二人とも無言で自転車を道路から遠ざける。トラックが目の前を駆け抜けると排気ガスが砂埃に混じって巻き上がり、陶冶は手の甲で口を覆った。


「ところで、まだ共有していない情報がある」伊奈波が言った。

「何ですか」ここまで来て、と付け加えそうになる。

「不二モーターズをネットで検索してごらん。記事が出てくるから」

「記事?」

 言われるがまま陶冶は端末を取り出し、その場で検索をかけた。画面が切り替わり、トップページに地方紙の記事が現れる。


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 過熱する市長選。新エネ積極派支援者、傷害致死で逮捕

 24日、――市の無職、郷田龍敬さん(52)に暴行を加え死なせたとして――市の工場経営、不二和弘容疑者(41)とその妻不二佐奈容疑者(38)が傷害致死の疑いで逮捕されました。調べに対し、容疑をおおむね認めているということです。

 警察によりますと郷田さんは――市で来週行われる予定の市長選において争点となっている自然保護のデモに参列している最中、不二容疑者夫妻と口論になり地面に転倒させられるなどして頭を強く打ち、不二容疑者からの通報により意識を失った状態で病院に運ばれましたが、翌日に急性硬膜下血腫で亡くなりました。

 郷田さんは○○組系暴力団の△△会を4年前に破門されており、その後は地方政治の応援活動に従事していた事から夫妻との間に何らかのトラブルがあったものとみられ、警察は――

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 不二モーターズの名前は記事内になかったが、コメント欄に会社名と住所が直接書かれていた。地元の誰かが書いたのだろう。検索機能がこの関連性を評価したようだ。


 陶冶はこの事件を知っている。

 それでも、容疑者の名前や職業までは記憶していなかった。

 ここが、不二モーターズがそうなのか。


 当時、新エネルギーの積極派であった陶冶の父・鍬形秀臣と、自然豊かな風土と観光業を重視する否定派の前市長・志賀春男の戦いは、舌戦を超えて市街地でデモ隊がぶつかり合う事態にまで発展していた。どちらの主張にもそれなりの筋があり、だからこそ混迷を極めた。田舎だからこその、新しい利権と既得権益のぶつかり合いだった。


 積極派の市議が新エネルギーを抗がん剤に例え、市の生命を維持しながら解決を模索する手段だと発言すると、反対派は抗がん剤の副作用は耐え難く市民の生活を脅かすのを承知で毒を飲ませるのかと反論し、そのやりとりに癌治療学会が遺憾の声明を出したかと思えば、その責任を押し付け合い、更なる罵倒が飛び交った。


 この傷害致死事件は、そんな熱狂の果てに市長選が残した汚点の最たるものだ。そして同時に両者の争いに冷や水を浴びせた転換点でもある。


 一地方の諍いは事件を契機として全国紙に取り上げられ、その醜さと丸出しの権力闘争にネット上でのエンタメ性が認められ、大衆に消費されるようになった。


 あれだけ息巻いていた積極派も否定派も、舞台にあげられて個別にマイクを向けられると一様に語気を弱めた。狭いコミュニティであれだけ鼻息を荒くしていた勢いはどこへやら、壇上に登ろうとする人間は目に見えて減っていった。


 発端となった傷害致死事件自体も、選挙に影響を与えた。発生当初こそ積極派が反対派を暴行の末に殺害してしまったことから反対派に同情票が集まるかに思われたが、被害者が元反社会的勢力であること、デモの様子を撮影した動画から被害者が挑発的な言動を繰り返していたことが明るみになるにつれ、どちらにも味方したくないという過激なスタンスへの嫌悪感が支配的になっていく。


 その結果、どうなったか。


 田舎の闘争に規模とレベルの異なる想定以上の反論と注目が集まり、両端が折られたことで「検討派」と呼ばれる中庸を標榜するグループが影響力を拡大したのである。物は言いようで、現実的に即座に工事が始まるわけでもなく、国の制度もまだ固まっていないのを利用して、どちらにも賭けず、八方美人の浮動票が多数派となった。それでも、検討派は新エネルギーの利用に肯定的な含みを持つ。この微弱な未来志向が、やらない善よりやる偽善と高らかに叫んだ鍬形秀臣に対して有利に働いた。


 高齢化も、老朽化も、人口減少も、日々確実に進んでいる。

 何もしないわけにはいかない。見ないふりにも限度がある。

 ならば暗闇で迷いながら歩を進める方が、暗闇でうずくまるよりマシだろう。

 それが失敗か成功か、分かる頃にはどうせ死んでいるにしても。

 選ばないより選ぶべきだ。

 何を? 何かを。

 そんな風に世論は、ほんの僅かに前向きだった。


「不二夫妻は逮捕されているはずですよね」

「昨日調べた。執行猶予は付かなくて、まだ刑務所の中だよ」伊奈波が答えた。


 傷害致死で逮捕された経営者夫妻は、今不二モーターズには確実にいない。彼らがバラバラ殺人の犯人でないなら、犯人候補は従業員か親族か、関係者の誰かということになる。動機は不明なまま。しかしそれでも、陶冶の中で少しずつ事件の輪郭が露わになってきた感覚があった。


「行こうか」伊奈波が言った。「このフォーダイトもどきが採取できる場所があれば、それで確定だ」

「はい。……木刀とか持ってこれば良かったかな」

「カチコミに行くわけじゃないよ」伊奈波が吹き出す。「誰もいない可能性が一番高いから、そこまで警戒しなくてもいい」


 伊奈波と陶冶は不二モーターズの敷地の前に自転車を停めた。

 シャッターは下りている。二階は事務所だろうか。窓の電気は付いていない。どこにも人の気配はなかった。


「営業してないっぽいな。当たり前か、経営者いないんだもんね」

「逮捕されて倒産したのでは」

「建物の錆びが酷いから、長期間放置されているのは確か」

 伊奈波が敷地内に足を踏み入れる。その動作があまりにも自然体で、陶冶は一歩出遅れた。

「伊奈波先輩、もうちょっと慎重に」

「平気だってば。むしろ挙動不審なのは君だ」

 伊奈波が看板を見上げる。陶冶も、それにつられて看板を見た。赤字で描かれていたはずの不二モーターズの字は色落ちし、大部分がオレンジから黄色のグラデーションになっていた。白地の基礎部分も乳白色に変色している。固定した金具の周辺は錆び、今にも落ちてきそうだ。


 不二モーターズは無音だった。

 陶冶は胸を撫でおろした。刃物を持った男が工場の内部で待ち構えているような展開はなさそうだ。冷静になってみると、自分たちは推理と仮定を積み重ねてこの場に辿り着いただけで、向こうから襲われる道理はない。あくまで自分たちは拾った石の特定に来た変わり者の女子高生と、そのお供なのだ。


「アスファルト自体、なくないですか」

「……ないね」

 伊奈波は首を傾げた。ブロックで仕切られた土地の境界線から、工場全体がコンクリートで舗装されている。縞模様の石の半分を構成する、黒いアスファルトがどこにもない。

「工場の内部にあるのでは」

「いや、中はあり得ない。吹付をしていたのは外のはず」


 工場の床がアスファルトというのは、確かに考えにくい。しかし、目に見える範囲には、明らかにアスファルトがない。事務所の入り口前だけは他の舗装部分と色が違ったが、キメが荒くなっただけで結局は砂利混じりのコンクリだった。錆が雨で流れた赤茶色の筋こそあるが、塗料の痕跡は見えない。


「裏に回ってみますか?」

「見込みは薄いな。ボクの見当違いだったかも」

 唇に指で触れながら伊奈波はその場に立った。

「でも、これだけ繋がりが見えてきたのに」

「ボクの推理なんて穴だらけだよ。キッシーが言っていたろう? 世界はボクたちが釈然とするためにあるわけじゃないんだ。全部が偶然だとしても、文句を言う資格も権利もない。それに例えば、整備工場と屋外の塗装場がすぐ近くって前提でボクはここまで来たけれど、別に作業場があるならそれだけで完全にお手上げだ」

「塗装した自動車やバイクの部品を、わざわざ離れた場所から運ぶのは手間ですし、近いのは合理的な前提だと思います。俺が経営者なら、工場の隣の土地を買いますし」

「でも隣は土と雑草だ。向かいは……」


 伊奈波の言葉が止まり、目が不二モーターズの反対側に向く。向かいにあるのは資材置き場だ。


 陶冶も同じように資材置き場を見た。金属部品とタイヤが積まれ、砂が薄く降り積もっている。ビニルシートを被ったパレット。錆びたホイール。


 あの資材は、誰のものだ?

 ゴミ捨て場に見えたのは、長期間放置されていたからでは。

 資材置き場の地面はアスファルトで舗装されている。


「あっちか」

 伊奈波が駆けだした。

 事件現場が不二モーターズなら、状況的に被害者は車で来たはずだ。車を停める場所は不二モーターズの敷地か、向かいの資材置き場になる。


 車を停めた場所で殺人が起きた。

 争う中で砕けた石が車内に入った。

 積み重なった塗料がそこにあれば、この推理が現実に裏付けられる。


「あったよ、鍬形君」

 伊奈波は膝を付き、俯いたまま言った。資材置き場の隅で、アスファルトの色味が不自然に変わっている。所々凹み、一部には穴が開いて土が見えていた。

 そこに立ってみれば、積まれたタイヤも、分離したスポイラーも、その空間を避けるように配置されていると分かった。


「こいつの出番だ」

 伊奈波はナップサックに手を突っ込んで、取り出したものを掲げて見せた。

「トンカチですか?」

「違う、ロックピックハンマー」

 訂正されても違いが分からない。持ち手は黄色いゴムで、柄の途中から金属がT字を形作っていた。

「えっ? 伊奈波先ぱ、ちょっ!」

 伊奈波は右手を振り上げ、躊躇なくそれを振り下ろした。鈍い衝撃音がして、穴を縁取っていたアスファルトが砕ける。

「しまったな、タガネを持ってくるべきだった」

 唖然とする陶冶を無視して、伊奈波は再度振り下ろした。

 火花こそ散らないが、破壊によって砕けた箇所から粉塵がのぼった。ほのかに溶剤のような、毒々しい甘さを含んだ臭いがする。

「不味いですよ、ここ私有地でしょ!」

「調査だから仕方ない。やむをえないんだ」


 悪びれもせず伊奈波は三度振り下ろした。

 乾いた音がして、足の親指サイズのアスファルトが分離する。

 伊奈波はそれを拾い、目線と水平になるように掲げた。


「ビンゴだ。アスファルトも、塗料の層も一致する」

「じゃあ、ここで」人が死んだ。陶冶はそれを口にしようとしたが、その生々しさに言い切ることが恐ろしくなった。酷く喉が渇いている。

「さて、どうしようか鍬形君」伊奈波が言った。

「どうするって、もちろん警察に……」

「フジモタイト、というのはどうだろう」

「名前はどうでもいいです」

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