14 工場

 どう断ろうか一瞬迷ったのが良くなかった。伊奈波は自転車にまたがり、返事も訊かず脱兎のごとく走り去っていった。あっけに取られているうちに、明日の予定が埋まった。


 縞模様の石。

 渡した時は断言しかねるという態度だった。産地によって呼び方が変わる、とも。それから校内化石鉱物ツアーが始まって、職員室へ行き、屋上を目指し、左足の入った箱と不審車を見に駐車場へ向かって、応接室で粟津教諭の死を知らされた。そして別れ際になって伊奈波が石の正体を解明すると宣言した。

 ということは、石の特定に至る手掛かりが、放課後の流れのどこかにあったことを意味する。しかし、陶冶にはそれが全く分からなかった。


 自分は平均よりも頭が良い方だ、と陶冶は認識している。

 偏差値やスコアが出る形式では、特に優秀だという自負がある。

 予備校主催の全国模試なら毎回名前が載るし、苦手な科目もない。

 だからこそ、伊奈波の専門的な知識と洞察に全く届いていない自分が、酷く不格好に思えてならなかった。肝心なところで答えを得られないなら、頭が良いなどという自覚は自惚れでしかない。


 で、あれば。

 伊奈波の誘いに乗ってでも、己の不足を埋める機会にすればいい。

 そうだ。これは自己研鑽であり、成長のチャンスだ。

 決して伊奈波に振り回されているわけではない。


 言い訳を頭の中で並べ立ててから、陶冶はポケットから端末を取り出した。受け取った電話番号を登録する。ついでに「鍬形陶冶です」と件名に入れ、空のメッセージも送っておく。


 すると、送信とほぼ同時にメッセージの受信を知らせる小窓が表示された。

 返信にしては早すぎる。開いてみると、送り主は竹中だった。


――粟津が殺されたってよ。世界史の。屋上で


 慌てて打ったのか語順が混乱している。そういえば、剣道部に顔を出すつもりが丸々サボってしまった。時間的に部活はもう終わっているはず。


――知ってる。駐車場で左足が見つかった方は知っているか?

――何だそれ? マジで?


 情報が制限されているようだ。警察は何が起きたか説明しないし、教師なら余計にそうだろう。陶冶は起きた事を箇条書きにして竹中に送った。歩きながら返信を待つ。しばらくするとシンプルな感想が返ってきた。


――ヤベーな

 言っている顔が想像できる。確かに、校内でバラバラ死体の一部と教師の死体が連続で発見されたのだ。ヤバいとしか言いようがない。

――明日休校になるかもしれない。岸本先生が言っていた

――流石にな。多分なるわ

――ところで、部長が告白するらしいと風の噂で聞いたんだが

――お前は情報屋か? 何でも知ってるな

――たまたま朝、清水先輩に会った

――瞬殺だったらしいぞ

――ダメだったか

――巌流島のようにな、清水先輩は少し遅れてやってきた。待ちに待って気合の入った我らが部長の秘剣、ツバメ返しは空を切り、あえなく「ごめん、無理」の五文字で散った。らしい

――五文字は酷い

――全くだ。今回はご期待に沿えませんでしたが、今後ますますのご多幸と男子としてのご発展を祈願いたします、とでも

――それはもっと酷い

――三羅野先輩が祝勝会or残念会を焼肉屋でやろうと企画していたんだが、そんな雰囲気じゃないわ。部長は抜け殻よ。この話も、聞き出した単語を繋ぎ合わせて解読したんだ。虚な目をしとった

――意外に上手くいきそうだと思ってたんだけどな

――どうしたらいいのかな。合コンとかセッティングする?

――誰がするんだ?

――それを言われると困る

――そっとしておいてやろう

――うん。まぁそうかも


 竹中とのやりとりが終わる頃には家に着いていた。

 そこでふと気付く。

 滝沢が告白のために校舎裏、すなわち北門の西寄りに陣取っていたなら、粟津を殺した犯人は、少なくとも屋上の北側から飛び降りてはいない。


   *   *   *


 翌朝。10時10分前に「エントランス広いね」とメッセージが届いた。その後で思い出したように「おはよう」と届く。

――おはようございます。今降りるので、お待ちを

――ソファふかふか! ここに住めそう!

 送られた内容で、伊奈波がエントランスのどのあたりにいるか想像できた。いまいち誰が使うのか不明なスペースにある、オープンな応接セットだ。


 家を出て廊下まで歩く。中途半端な時間のためかエレベータが昇ってくるのを待つ間、誰の姿も見なかった。1階のボタンを押し、下降するエレベータの加速を感じて目を瞑る。


 毎日繰り返す長く無意味な上昇と下降の間、陶冶は何も考えないことに決めていた。精神をリセットするだとかの高尚な理由ではない。エレベータ内が自宅と絶妙な距離にあり、Wi-fiの切り替えが発生してネットの接続が一時的に遅くなるので、諦めて何もしないことが習慣化しただけだ。


「やぁ鍬形君。今日はセミナーの講師でもするの?」

 伊奈波は陶冶を見つけるとすぐに言った。目が笑っている。陶冶は灰色のスラックスとブラウンのシャツだ。実用性と汎用性が高い格好が好みなのである。変に失敗したくない。

「私服はこういう感じなんですよ。いいんです、どこにでも行けるから」

「ごめんごめん、似合ってるよ」

「それはどうも」喜んでいいのだろうか。

「ボクは?」

 伊奈波が訊いた。薄い水色のブラウスと黒いハイウエストのショートパンツで、ケミカルなオレンジ色のスニーカーが印象的だ。遭難しても見つけてもらえそうな黄緑色のナップサックを背負っている。

「あー、大変お似合いです」

「それだけ?」

「綺麗です。とても可愛らしいと思います。眩しくて直視できません」

「よろしい。次からはもっとスムーズに褒めるように」

 おざなりな誉め言葉でもそれなりに満足したのか、伊奈波はさっと身体を翻してエントランスを出ていった。


 それにしても、一体どこへ連れていかれるのだろう。伊奈波の格好は足元こそ動きやすそうだが、山林を掻き分けて採集活動に勤しむようには見えない。一応、昨晩メッセージをやりとりして、移動は自転車、歩きやすければ他は自由、とは聞いている。


 駐輪場から自転車を押して門の前へ移動すると、昨日見た籠付きのマウンテンバイクにまたがった伊奈波が待っていた。端末を見つめている。道順を確認しているようだ。

「ん、それじゃ行こうか。三十分ぐらい走るから、ついてきてね」

 言うやいなや伊奈波は走り始めた。陶冶は慌てて後を追う。


 再開発地域の滑らかな舗装路はすぐに終わり、古びた商店街の劣化したアスファルトに変わった。そこを抜けると歩道と道路の区別がなくなって、幾分か走りやすくなる。その代わり、後ろから走り抜けていく自動車の巻き起こす風をダイレクトに感じた。


 脚に力を込め、風を切って走る。

 必死に漕いでいるのに、伊奈波の後姿がどんどん小さくなっていく。

 速い。マウンテンバイクの性能なのか。距離が全く縮まらない。

 あの小柄な体躯の、どこにそんな力が。

 ひたすらに走る。考えがまとまらない。


 更に走ると前方の伊奈波が信号で停まり、ようやく隣に追いついた。

 すでに陶冶のテリトリーを超えており、周囲の景色に見覚えはない。


「そろそろ教えてください。一体どこに向かっているんですか?」

 肩で息をしながら陶冶は尋ねた。市街地は遠ざかり、視界の大半を緑と灰色が占めている。時折現れる建造物はみな老朽化が著しい。たまに現れる綺麗な建物は、大半が老人介護施設だ。

「工場だよ。有限会社不二モーターズってとこ」伊奈波が答える。

「自動車の工場ですか?」

 知らない会社だった。不二という苗字か地名にも聞き覚えがない。

「ホームページの更新は止まっていたけど、見る限り自動車とバイクの整備工場だね。あとは改造と洗車とパーツ販売」

「どうしてそこに」

「鍬形君が拾ってきた石、縞模様の部分が分からないって言ったの覚えてる?」

「はい。産地が分からなければダメだと」

 赤信号が青に変わり、二人同時に再びペダルを漕ぎ始める。伊奈波が隣に並んだので、意図的にスピードを落としているのが分かった。走りながら、伊奈波はポケットから縞模様の石を取り出してみせる。

「フォードを知っているかな」

「アメリカの世界的な自動車メーカ、ですよね」

 その通り、と伊奈波は前を見たまま言った。

「フォードはデトロイトの工場で何十年もの間、車を製造していた。今もしているのかな。詳しくは知らないけれど」


 伊奈波の言葉を聞きながら、陶冶は中学の地理の授業を思い出していた。アメリカ中西部から北東部の炭鉱・鉄鋼・自動車工業は20世紀初頭から半ばにかけて発展したが、国際競争によって他地域やメキシコに工場が移転し、産業構造が変化したことで急激に衰退していく。時代に取り残されて古びていく製造業の地域は、教科書に『錆び付いた工業地帯ラストベルト』と太文字で掲載されていた。


「昔の自動車の塗装はスプレーによる手作業でね、何十、何百万もの車にエナメルやラッカーの塗料が吹き付けられた。塗料は少しずつ空気中に霧散して、作業場の床や通路、機械に付着し、硬化させるための熱処理と乾燥で固まっていった」


 陶冶は地平線まで続く荒野に伸びる一本の道をひた走るフォード車の群れを想像した。車に詳しくないので細部はぼやけている。想像上のフォード車はどれもマスタードやケチャップのように原色の派手なカラーリングで、排気ガスを出しながら、エンジン音を響かせる。


「そんなことを何十年も繰り返していたら、塗料の塊は作業の邪魔になるぐらい分厚くなってしまい、工場の作業員が除去を命じられた。そして、それらを取り除いてみると、邪魔な塊の内部で塗料が層を形成していたんだ。目ざとい者たちがそこに目を付け、カットし、研磨することで、瑪瑙めのうのような美しい縞模様の『製品』を作り上げた。この人工鉱石はね、フォードの石、フォーダイトと呼ばれている。フォード以外の工場でも取れたから、デトロイト瑪瑙と呼ぶ場合もある」


 伊奈波は一息に言った。


「なら、俺が拾ったあの石の縞模様は……」

「塗料が層を成したものだ。一応、昨晩家で削って確かめたけど、間違いない」

「ああ、そうか。だから産地で名前が変わると」


 アスファルトに塗料の層が付着した石を拾った場所はデトロイトではないし、周辺にフォード社はない。フォーダイトに似た石でありながら、明らかにフォードの石ではない。伊奈波に渡した時点でそこまで鑑定が済んでいたことに、陶冶は今更ながら驚いた。


「この石はどこから来たのか。それが分かれば名前が決まる。でも、田舎道の側溝に挟まっていたんじゃ、手掛かりなんて何もない。普通なら、その場所ではないどこかから来て、転がり落ちたと考えるしかないんだけど――その日、拾った場所のすぐ近くで、君たちは普通じゃないものを発見した」

「右腕」陶冶は頭に浮かんだものをそのまま声に出した。

「そう。その土地にあるはずのないものが偶然同じ日に発見されたなら、その繋がりを疑うべきだ」

「待ってください。なら伊奈波先輩は、その縞模様の石を」

 言いかけた途中で陶冶の自転車が跳ね、会話が中断した。

 伊奈波の方を見過ぎて、段差に気付かなかった。

 ブレーキをかけてその場で停まると、伊奈波も少し前で停止して陶冶の方を向いた。そして、陶冶の言葉を引き継ぐ。


「ボクはこの縞模様の石を、バラバラ殺人の犯人が落としたと疑っている」

「でもそれは」

 飛躍、ではないか。その理屈が成立するなら、あの日アンフィスバエナ探しの中で見かけた珍しいものは、全てバラバラ殺人に繋げられてしまう。

「ボクも本気で疑ってたわけじゃない。その可能性がある、ぐらいの感覚だったよ。もし証拠品なら警察に渡さなきゃいけないから嫌だなぁ、と思うのは当然だろう?」


 蒐集癖故に、その来歴がクリーンなものであってほしいと願い、かえってそれが怪しさを増幅したのか。陶冶にとって事件とは無関係としか思えなかった綺麗な石ころが、伊奈波には繋げられてしまった。その差は無知によるものであり、陶冶は己の無思慮を顧みざるをえなかった。


「疑念が確信に変わったのは、駐車場で左足が見つかった後、多少強引に車内に入った時だ。運転席側の扉の内側に血が付着していた。あれは多分、被害者の血だ。車内で何かしらの諍いがあった証拠だね」

 あの時、車内に入ったのは意識的だったのか。岸本に足を引っ張られながら、そんなところまで観察していたとは。

「待ってください。仮に運転席の扉の内側の血が本当に被害者の血だとして、車内で争ったと仮定したなら、伊奈波先輩は争いの最中に、車外にあった石が割れたか剥がれたかして、車内に入ったと考えているんですよね」

「うん。そして、犯人はあの車を使って右腕を捨てる途中の道で、何かしらの理由により運転席の扉を開け、その時に石が転がり落ちたとみている。側溝にタイヤを取られたか、周囲に人がいないかを確認するため一度降りたか。あるいは、住んでいる人間に見つからないよう手前で路上駐車して、現場までは歩いて右腕の入った箱を置きに行ったか」

「その推理は分かりました。石と右腕が同じ場所から来たとするなら、そう考えられなくもない。でも、どうしてその推理から聞いた事もない会社に行くことになるんですか」

 最初の質問に立ち返る。


 縞模様の成分が自動車の塗料なら、自動車整備工場が事件現場として怪しいのは陶冶にも分かる。そして、縞模様の石が自動車整備工場から来たと疑うなら、そこは車検専門の工場ではなく、車体や部品の塗装も行っている総合サービス店だと導ける。

 更に、その規模は小規模であり、大企業の線は薄い。最新の技術と設備を有する現代の工場は無駄な塗料を空気中に排出しないからだ。アスファルトの上で改造パーツに吹き付けを行うのは、小規模な事業者だろう。屋外で長い間繰り返し塗料を吹く粗雑さから、周囲が住宅街だとも考えられない。


 だから、市街地から離れている有限会社不二モーターズは怪しいと言える。

 だが、言えるだけだ。


 小規模な自動車整備工場は無数に存在する。

 どうして、有限会社不二モーターズなのか。

 その答えにはなっていない。

 まだ何かあるのだ。陶冶の知らない何かが。


「不二モーターズはね、あの車の車検を担当した会社だよ」

 陶冶の思考を見透かしたように、伊奈波は言った。

「キッシーに引きずり出される直前に、ダッシュボードを開けたろう? あそこに車検証と、それと一緒に領収書か担当者の名刺でもあればと期待していたんだけど、一番欲しかった情報はクリアファイルに書いてあった。あとは中に入っていたチラシのセール実施日と、フロントガラスに貼られた車検シールの有効期限から逆算した車検実施日が三年前で大体一致する」


 陶冶たちのすぐ傍を大型トラックが通り過ぎ、伊奈波の髪がばさばさとはためいた。自分が通う高校の敷地内でバラバラ死体が見つかって、その混乱の中で被害者が懇意にしていた自動車整備工場を調べようという発想が瞬時に出てくるものだろうか。陶冶は目の前にいる一つだけ歳の離れた女子生徒が、とても遠く隔てた場所に立っているような感覚に陥った。まばたきをし、大きく息を吸いこんでみると、伊奈波は見たままその場に立って陶冶を見ている。


「警察は、同じようにあの車を調べていますよね」

「もちろん。彼らはボクのような不確かな推測になんて頼らない。もう車の所有者を割り出して、血液を採取し、被害者のDNAと照合して、人間関係を洗っているはずだ。でも、君がボクにくれた石のことは知らないから、時間がかかる」

 被害者の車をどこの会社が車検したのか。

 それは今の警察にとって些末な情報でしかない。

 しかし、もし不二モーターズで同じような縞模様の石が見つかれば、左足の置かれた不審車を媒介にして、それらが繋がってしまう。

「バラバラ殺人と不二モーターズの繋がりを疑っているのは、世界でボクだけだ。そして今、ボクと君だけになった」

 伊奈波は悪戯っぽく微笑んだ。

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