12 第二の事件
陶冶たちは職員室の横にある応接室で待機を命じられた。岸本が途中まで同行し、陶冶たちを部屋へ押し込むと職員室の方へ駆け足で消えていった。
時刻は五時を回っている。小雨が降ってグラウンドが使えないのは不幸中の幸いだったと教頭が零していた。あれは、野次馬になる生徒の絶対数が少ないという意味だったのだろう。それでも、サイレンを鳴らさずにやって来た物々しい数のパトカーを見て何かを察した生徒たちが、校舎の窓やグラウンドの部室から遠巻きに来賓スペースの不審車を見ているのが想像できる。各々が端末を掲げ、写真を撮り、グループ内で拡散していく流れは止めようがない。
「なんか、私ついてないのかな。連続でバラバラ死体を見つけるなんて」
能登が革張りのソファに腰を下ろし溜め息をついた。
「最初はともかく今回は自主的に見に来たわけだし、関係ないんじゃないか」
「そうそう、山を歩いているとね、よく見かけるよ。内臓がなかったり、干乾びていたり」伊奈波が言った。
「それは自然の中で、動物じゃないですか」
「人間は不自然で、動物じゃない?」
「うーん。そう言われると……」能登は苦笑した。「でも、やっぱり人間の死体は、他の動物の死骸とは違います。同じ人間だから、怖いと思う。皆そうだから警察も動くわけでしょう」
「そうだね」あっさりと伊奈波は首肯した。
青い箱と、それが乗った不審車は、今頃警察が取り囲んで写真を撮っているはずだ。あの箱の中に人間の左足が入っていると意識するだけで、陶冶の本能的な危機意識がアラームを鳴らす。
自分と同じ種族の死体は、なぜ恐怖を呼び起こすのか。青い箱に入った死は、陶冶のものではない。被害者のことは何も知らない。共通点は同じ人間であるという事実だけだ。それでも、共有するものは何もない無関係な存在にも拘らず、その死を恐ろしいと感じる。
将来的に必ず訪れる自分の死を、連想してしまうのが恐ろしいのだろうか。それとも、その死体を作りだした脅威が周囲に存在するという可能性が、野生動物だった頃の記憶を呼び覚ますからか。逃れられない自分の死という恐怖と、自分の死を逃れるための恐怖が、混ざり合っているように思える。
「犯人は、どうして死体をばら撒くんでしょう?」
ソファに座ると同時に、陶冶は疑問を声に出した。独り言に近い。
「さぁねぇ。理由なんて何でもありえるから。儀式とか、神様の命令とか、そうしたかったからとか」伊奈波が答える。
応接室が珍しいようで、壁にかかった絵の額縁や棚の灰皿をしげしげと眺めている。忙しなく動き回り座る気配がない。
「確かなのは、他の場所でバラバラ死体が新たに見つかる可能性が減ったことだ」
「えっ、どうしてそんなこと分かるんです? だってまだ……」
首と身体が残っている。能登が言い淀んだ言葉の続きを、陶冶は頭の中で補足した。更に言うなら、腕や足も切り取られたのは末端の側で、後腕や大腿部も残している。
「車を捨てていったろう? まだ移動するつもりなら捨てない」
「そうか。車を変える理由はないですね」陶冶が言った。
「死体をあちこち運ぶのは手間だからね。腐敗も厳しい」
「その事なんですけど」能登が小さく手を挙げる。「土曜日に私が見つけた右腕は、まだ、その、新しく見えました。それからもう三日経ってますけど、さっき見た左足も、同じぐらい綺麗でした。多分、冷凍保存しているんだと思います」
「中、見たのか」
「角度的に見えそうだったから。ああ、でも、変な使命感発揮するんじゃなかった。まだ目に焼き付いてる」
反論を飛ばす元気はないらしく、能登はソファに沈んでいる。
「けど、車を捨てていくなんて大胆ですよね。証拠や手掛かりの塊じゃないですか」陶冶は考えていたことを話した。「まず車の所有者が、ナンバープレートから分かる。多分、犯人のじゃなくて被害者の車なんでしょうけど、そこから交友関係とか、トラブルになっている間柄とか、警察が追っていくわけでしょう。捕まるのは時間の問題というか……」
「盗難車なんじゃない?」能登が指摘する。
「それならそれで余計な面倒が増えるだろう。車を盗んだ場所と時間だって手掛かりになりえる。車を現場に捨てていくのはリスクでしかない」
「まぁ、それもそうか」
「犯人像もある程度絞られる。運転免許を持っている、とか」
「それは、どうなの? 運転ぐらい無免許でもできるでしょう?」
「俺は当然無免許だが、車の運転なんかできないぞ。ほぼイコールだろ。お前は運転したことあるのかよ」
「あるわよ。別荘の庭でね、遊びみたいなものだったけど」
「無免許運転じゃねぇか」
「私有地だから大丈夫よ。知らないの?」
軽く返されて絶句した。誰もが車を運転できる広さの土地を所有している前提で話さないでもらいたい。恐るべきは地主の娘である。
「犯人は運転技術を持っている、に修正すべきだね」しばらく黙って聞いていた伊奈波がジャッジを下した。「ただ、鍬形君の意見も分からないでもない。車を残すのは、犯人にとってあまりにも危険だ。もしかしたら、本気で逃げる気はないのかもしれない」
「どういうことです?」
陶冶と能登の視線が伊奈波に集まる。伊奈波は棚の上に並んでいた分厚い地方史を捲り、陶冶たちに背を向けたまま話す。
「リスク
「やることをやったから、捕まるかどうかはどちらで良いと?」
「そう。なるべく捕まりたくはないけど、捕まるなら仕方ない、ぐらいじゃない? 一応、監視カメラのありそうな場所は避けているみたいだけど」
伊奈波の言葉で、陶冶は各死体の部位が捨てられた場所を思い出した。
右腕は地主の土地。
左腕は地方銀行頭取の自宅。
右足は自衛隊の広報センター駐車場。
そして左足は高校の来賓用スペース。
確かに、確実に監視カメラが存在する場所、銀行の営業店、各務原の航空基地は選んでいない。高校も、岸本の話によれば朝の時点で車があったそうなので、深夜から明け方にかけて人目につかない来賓用スペースにひっそりと車を置いている。
「なんだか、私が何かできそうなポイントは過ぎているみたい」
能登が不満そうな顔をした。先程まで青い顔をしていたくせに、喉元を過ぎるのが早い。
「こういう事件って、いざ実際に起きてみると、何もできないものですね」
「俺たちはただの高校生だぞ。何かできてたまるか」
「そうだけど、少しぐらいこう、頑張りたいじゃないの」
何を頑張るんだ、と言いかけたが、能登の表情を見て陶冶は言葉に詰まった。世の中を良くしようという感情に冷笑を浴びせても、得るものはないと陶冶は知っている。それは政治家である父の周辺で常に観察される事象だ。だからこそ、自分がそちら側に回ることに忌避感があった。
「あー失礼するよ」
コンコンとノックされ、陶冶たちの視線が扉に集まった。遠慮がちに扉が開き、スーツの男性が中に入って来る。陶冶はその顔に見覚えがあった。
「あ、土曜日の」能登が口元に手を当てた。
現れたのは陶冶たちが右腕を発見した現場を指揮していた白髪交じりの刑事だった。
「どうも。君たちも災難だな。あー、すまないが、そちら側に並んで座ってもらえるか。先生はそちらに」
刑事の後ろには岸本が立っていた。顔色が悪く、明らかに憔悴している。先程まで率先して事務連絡を行っていた人物とは思えない姿に、陶冶は違和感を覚えた。
陶冶たちは指示された通り長いソファに腰掛けた。上座側から能登、陶冶、伊奈波の順に座り、対面に二つある一人掛けソファには白髪交じりの刑事と岸本が座った。白髪交じりの刑事の背後には、見知らぬ若い刑事が直立していた。
「幾つか話を聞かせてもらいたくてね、良いかな」
「はい。大丈夫です」能登が率先して答えた。
「君たちは同じ部活?」
「そうです。ボクたちは採集部で」「違います、俺は剣道部、能登は情報処理部、こちらの伊奈波先輩だけが採集部です」
しれっと嘘をつく伊奈波に被せるようにして陶冶は訂正した。
「ええと、まぁ仲が良いのかな」白髪交じりの刑事が笑顔を作る。やはり、目だけは笑っていない。ただじっと陶冶たちを観察している。
「先生にお話を伺ったんだけど、君たちは屋上に行こうとしていたみたいだね。どうしてかな?」
「それは、ええと」能登が横目で伊奈波を見た。それを受け取って伊奈波が浅く腰掛け直す。岸本が不安そうに伊奈波を見ていた。
「アンモナイトを見るためです」
「アンモナイト?」
「私は鉱物や化石に強い興味があり、こちらの鍬形君と縁あって知り合いましたので、部活に勧誘していました。その一環で、校内のタイルなどに埋まっている化石などの案内をしていたんです。ほら、例えばそこの灰皿にフズリナがいますね」
伊奈波が棚の上の灰皿を指さすと、その場にいた全員が首を動かした。黒っぽい石材の灰皿の側面に、楕円上の白い縞模様が入っている。
「フズリナ?」
「紡錘虫のことです」伊奈波が微笑む。「そのツアーの最中に、校内で一番大きなアンモナイトの話になりました。以前、機会があって屋上でそれを見たことがあるのですが、こちらの鍬形君がどうしてもそれを見てみたいと言い出しまして、ボクも可愛い後輩の言う事ですから、何とか見せてあげたいと思い、屋上の鍵を借りようと職員室に向かいました。能登さんはその途中で知り合って、私が一緒に見ないかと誘いました」
伊奈波が淀みなく話す。一部誇張表現があったものの、概ねその通りだったので陶冶はそのままにしておいた。
「私は、数学の塚田先生に質問をしに来ていました。職員室を出たところで、伊奈波先輩と出会って、あとは先輩が話された通りです」能登が補足する。
「その時に、屋上の鍵を持っていった?」
白髪交じり刑事が訊く。質問した内容を知りたいのではなく、事実関係を確認するための質問だと何となく分かった。
「いいえ。職員室のボードには屋上の鍵はありませんでした。ノートを見たら、粟津先生の名前があって、先生が持ち出したと分かったので、三人で屋上に向かいました」
「ふむ。なるほど」白髪交じりの刑事が頷く。話を聞いている間、全く表情が動かない。「その後の事を教えてくれるかな」
「そのまま屋上に向かいましたが」
「途中にどこかに寄り道したりは?」
「していません」
「誰か友達に会ったりした?」
「いいえ。誰とも。一階の廊下では何人かとすれ違いましたが、顔見知りではありませんでした」
やりとりを聞きながら、陶冶は違和感を大きくしていた。左足の発見から、質問が離れすぎている。刑事が何を知りたいのか、いまいち判然としない。
「それで、屋上に到着した、と。屋上には入れたのかな」
知った上で訊いている。陶冶はそれを感じながら、質問に答える。
「僕が扉を開けようとしました。中に粟津先生がいると思っていたので、お願いして入れてもらおうと考えたからです。ですが、鍵がかかっていて、屋上には入れませんでした」
白髪交じりの刑事の目線が陶冶に向く。
「ドアノブは回した?」
「はい。何度も」
「何か物音がしたり、扉の向こう側に人がいた気配があったりは?」
「いいえ。伊奈波先輩が強めにノックして呼びかけましたが、扉の向こうに反応はありませんでした。中に粟津先生がいれば、気付いて開けてくれたと思います。その後は、しばらく待って、どうしようかという雰囲気になって踊り場にいたら岸本先生に声をかけられました」
「うん。よく分かりました。ありがとう」
白髪交じりの刑事がそう言って、僅かに上下に揺れた。背後に立っていた刑事はメモを取っている。
「あの」陶冶はたまらず尋ねた。「どうして、屋上のことを訊かれるんでしょうか。左足を見つけたのは、その後のことで、それまで僕たちが何をしていたかは大して関係がないのでは?」
「うん、実はね、あー先生、話しても大丈夫ですかね」刑事が岸本を見る。
「いずれ知ることですから、記憶が新しいうちに知って証言しておらった方が良いかと考えております」
「先生、何かあったんですか?」能登が訊く。刑事と岸本は一瞬顔を見合わせ、喋ろうとした刑事を岸本が片手を挙げて制止した。
「お前たちをこの部屋に入れた後、私は職員室に走って他の先生たちにバラバラ死体が見つかった旨を知らせた。それから手分けして、他の場所にいる先生たちに知らせようという話になったんだが……」
岸本は記憶を辿るように言った。
「その場に粟津先生がいないことに気付いた。お前たちの話では屋上の鍵を持っているらしいから、用事を済ませて屋上に戻られたのかもしれないと思って、校長先生に申請して予備鍵の束を持って屋上へ向かったんだ。四階に残っている生徒を帰らせる役目もあったから、化学の皆川先生も一緒だった」
岸本の顔に恐怖の色がはっきりと見えた。
両隣の二人も陶冶も、黙って続きを待つ。
陶冶は唾を飲み込んだ。
「屋上の鍵を開けたら、そこで」
呼吸音だけが、室内に響く。
「粟津先生が死んでいたんだ」
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