09 名誉部員
左腕と右足が発見されたのを陶冶が知ったのは翌日、日曜日のニュースだった。弟の真司が初めてできた彼女(マスミちゃん)とのツーショット写真を送りつけてきたので、兄として男子の心構えを説いてやらねばなるまいとソファで文面を思案していた時、BGM代わりにしていたテレビから『バラバラ殺人』と聞こえてきた。
陶冶が身体を起こすと、画面の右上に『県内三か所で』と派手なテロップが踊っていた。猟奇的を連呼する司会者の大衆に媚びた仕草を我慢しながらしばらく眺めていると、その内一つが陶冶たちの見つけた青いクッキー缶の右腕だと分かった。
左腕は県庁所在地にある地方銀行頭取の自宅ガレージで見つかった。百貨店の紙袋に入れられたものを、頭取の妻が発見したらしい。
右足は自衛隊広報センターの隊員用駐車場に置かれた段ボールの中で、スーパーのビニル袋に包まれていた。出勤時、知らない荷物が駐車場に置かれているのを発見した上司の指示を受け、対応にあたった広報の男性がインタビューに応じていた。
曰く、不法投棄か忘れ物かは判別が難しく、勝手に捨てるわけにもいかない。どこかに持ち主の情報はないか探っていたら段ボールの上面が半開きになっており、マジックペンで『右足が入っています』と殴り書きがあった。驚いて上司を呼び、立ち合いの上で開けてみると、何かが入ったビニル袋から血が漏れ出ていたらしい。聞き手のアナウンサーが臨場感を盛り上げようとオーバリアクションで質問するのに対して「そうですね」「ええ、まぁ」と淡々と応じる自衛隊広報の落ち着きが、やけに対比的だった。
スタジオの話題は必然的に残る一つ、左足の所在に集約されたが、現在はまだ見つかっていない。当然、手足を切り取られた死体も同様である。大変恐ろしいですね、続報を待ちましょう、と雑な締め方をされたところで、陶冶はテレビを消した。
――今、バラバラのニュースやってた
端末を見ると、真司からメッセージが届いていた。
――俺も偶然観ていた。同じやつかな?
――兄貴たちの話は全然出なかったね
――インタビューの申込み自体来てない。学生だから規制があるんじゃないか
――じゃあ俺がやるよ。犯人はどうしてこんな事をしたのだと思いますか?
端末を通して、マイクを構えた弟の顔が浮かんでくる。イメージの真司は半笑いだ。陶冶はしばらく考えて、端末をタップした。
――死体の切断は、大半の場合、死体の処理に困った犯人によって実行されると聞いた事があります。ですが今回は明らかに逆です。なるべく多くの人に見つけさせるよう仕向けている。しかも、地主と頭取の自宅、広報部門とはいえ自衛隊の敷地という社会的な影響力の大きな場所で、です。
――犯人は目立ちたいということですか?
――それは分かりません。ですが、カテゴリで言えば財界・金融・軍事ですから、意識された区分けです。
――おー、すげえそれっぽい。よく即興で出てくるね。やっぱ兄貴頭良いな
――そうでもない
――まぁ俺は彼女いるけどね
こいつ。端末を掴む親指に思わず力が入った。が、陶冶は兄としてそれを悟らせはしない。何としても。
――では、四つ目はどのカテゴリで発見されると思いますか?
――有力なのは政治でしょうか。市役所とか
――それって父さん危ないんじゃない?
――危なくはないと思う。見つけたら、嫌な気分にはなるかもしれないが
――医療もあるよね。あと芸能
――病院はありそうだな。芸能は大きな事務所がないから、あるとしたらアイドルのステージとか、イベントだろう
――アイドルと言えば、俺の彼女アイドル並みに可愛いと思わん?
しばらくはどの角度からでも自慢に繋げてきそうだ。返信に躊躇していると軽快な電子音が鳴り、真司と彼女のマスミちゃんが頬を合わせて自撮りしている写真が送られてきた。背景を見るに、一宮にある大型ショッピングモールだ。そこから連想して、新しいアイデアが浮かんだ。
――商業と工場もあるな。残っているカテゴリ
――どっちかなら、工場だと思う
――なぜそう思う?
――士農工商が揃うから。自衛隊の広報センターが士かは微妙だけど、地主の人が畑やってるから農で、銀行は商
言われてから、なるほど、と感心した。工場なら県内に幾らでも候補がある。
――士農工商を揃える理由は?
――そんなの知らないよ。揃ってたら気分が良いんじゃない?
急に投げやりな回答が帰ってきて、真司がインタビューごっこに飽きたらしいのが分かった。いつもこうなのだ。自分から始めるくせに、気付いたら他に興味が向いている。小学生の頃、真司がコアラを見たいと騒ぎだしたので家族で動物園へ出かけたら、当人はずっと隣接した植物園に夢中だったのを思い出す。
――左足と残りの使い道は、犯人に教えてもらうしかなさそうだな
――大変恐ろしいですね。続報を待ちましょう
真司のインタビューはその言葉で打ち切られた。やはり、観ていた番組は同じだったようだ。
四つ目の部位、左足が捨てられるのはどこか。
この疑問は月曜日に解消された。
陶冶と真司の話に出てきたカテゴリは政治、医療、芸能、商業、工業である。しかし、発見された場所はそれらのいずれでもなかった。
陶冶は、そのカテゴリの可能性を無意識のうちに除外していた。俯瞰しているつもりが、その実、自分の周囲に線を引いて安全圏から観察していると勘違いしていたにすぎない。現実は全て有機的に繋がっていて、全く無関係な場所などどこにもない。
カテゴリは教育だった。
左足は陶冶の通う高校の敷地内で発見された。
* * *
「おはよう!」と肩を叩かれて振り返ると清水が立っていた。同じ制服姿でも、どこか垢抜けて眩しく見える。陶冶は三又を倒しそうになって慌てて掴み直した。
「おはようございます。清水先輩、あの後大丈夫でしたか」
「思い出すとまだ無理」清水は力なく笑った。「媛香ちゃん凄いよね、直接見たのに全然平気そうだったもん」
「あれはガサツなんですよ」
「もーそういうこと言う」
非難の目が向けられたが、例え先輩であっても陶冶は意見を変える気はない。バラバラ死体を見て、推理を始める方が異常で、気落ちする方がまともだ。
「あのさー鍬形君、ちょっと教えてほしいんだけど」
「なんですか?」
清水から何か聞かれる心当たりはなかった。周囲を見回している。誰かに見られていないか気にしている風だ。
「いやね、滝沢君、何か私に怒ってなかった?」
「滝沢部長がですか。いえ、全くそんな事は」
「そっか」清水が不安そうな表情で唇に指を置く。
「何でそんな事を?」
「なんかさ、放課後、校舎裏で待っていますってメールが来てさ。ほら、滝沢君って体育会系でしょ? 気に入らない奴は呼び出してボコボコにするみたいな、そういう文化があるのかもと思って」
「ああーそれは」
多分違います、と言うべきなのか。まさか、この状況で何が起きるか気付いていないのか。この人、そこまで天然だったのか。様々な思惑が陶冶の頭を駆け巡る。
「ご心配なさっているような事は起きないと思います」
「そう? それなら良いんだけど……」
奔放な清水が委縮しているあたり、この時点で勝率は低そうだ。滝沢は土曜日の事件を吊り橋効果と勘違いしたのだろうか、陶冶の中にそんな疑念が芽生えたが、それを滝沢に伝えたところで止まりはしないだろう。すでに賽は投げられている。
清水は「それじゃ」と言ってふらふらと2年生の下駄箱へと消えていった。もしよろしければ、うちの部長をお願いします、と陶冶は心の中で念じた。気休めである。しかし、気休めでもなければやっていられない事が、世の中には沢山あるのだ。
すでに慰めの言葉を考え始めている自分を発見してしまう。
未来の出来事を憂うように、曇天の空気が校舎を覆っていた。
* * *
四階から見える景色は曇り空で淀んでいた。老朽化した家屋に白く靄が重なり、道路はしっとりと濡れている。先日は聞こえてきた吹奏楽部の演奏はなく、廊下を歩く陶冶の足音がコツコツと響いた。
陶冶の右手には竹刀袋に入った三又が握られていた。金属部は新聞紙に包んである。少し湿っているのは午前中に小雨が降ったせいだ。
授業を終えた後、教室前の廊下で竹中と喋っていた。話題はもちろん、滝沢の告白の成否である。賭けるか、と竹中が持ち掛けたが、二人とも同じ方に賭けたため成立はしなかった。三又を返す用事を思い出したのはその後である。
階段を昇り、理学準備室までは誰ともすれ違わなかった。これは金曜日と同じだ。四階の端にあるとはいえ、物理部だとか化学部だとか、特殊教室を根城にする生徒がいそうなものだが、こと四階に限れば人の気配はどこにもない。ぬかるんだグラウンドが使えない運動部が屋根のある体育館付近に集まっているのもあって、校舎全体が静寂に覆われているような感覚があった。
陶冶は理学準備室の手前で足を止めた。薄暗い廊下の壁に、一人の女子生徒が張り付いている。黒いハイソックスを履いているので、薄目で見れば足のない妖怪に見えなくもない。周囲に他の生徒がいないのは、この生徒の奇行を畏れて近寄らないのではないかと一瞬考えた。廊下は真っすぐなので階段を曲がった時点で存在には気付いていたのだが、遠くから呼びかける勇気はなかった。
「あの、伊奈波先輩。何をなさっているんですか」
陶冶は尋ねた。先日知り合った先輩が、ヤモリのように壁に密着して柱を凝視している。伊奈波は首だけを陶冶の方に向けた。
「鍬形君か。いやね、私としたことが今日の今日まで気付かなかったんだよ。ほらここ、見てごらん」
見ろと言われても陶冶は何も発見できなかった。乳白色の大理石のタイルが張られた壁の柱は全階同じデザインで、変わった点は見当たらない。
「ストロマトライトだよ。こんなにクッキリと。近場にあるのに今まで気付かなかったなんてね、悔しいなぁ」不覚だ、と伊奈波は目を瞑った。何に対する心構えが不足していたのだろう。
「ストロマ……何ですかそれ?」
「平たく言えば藻類の化石」伊奈波は柱を撫でながら答えた。「ボクら人類があるのは、この子のおかげなんだ。地球に初めて誕生したバクテリアたちは、鉄だとか硫黄だとか、そういうものを好んでいたわけ。酸素はむしろ毒だった。やがて酸素を生み出すバクテリアが現れて、酸素を利用する生物が主流になっていったんだ。その最初の酸素を出す生物の一つが、ストロマトライト」
「へぇ、じゃあ感謝しないといけませんね」
言いながら、大理石の模様のどの部分がそのストロマトライトなのか、陶冶にはまだ理解できていなかった。縞なのか、変色部分なのか。柱の汚れでは、と言ってはいけない事だけは分かる。
「あ、そうだ。先日お借りした三又を返しに伺ったんですが、伊奈波先輩にお土産がありますよ」
特殊な趣向の奇人を相手にしても仕方ない。陶冶はさっさと用を済ませるべく話を変えた。
「お土産? 人骨の欠片でも掠め取ってくれたの?」伊奈波はさらりと言った。
「死体遺棄ですから、それは」
事件のことは知っているようだ。陶冶のクラスでも、朝登校した時は静かなものだったが、昼休みの頃になると公然の秘密としてクラスメイトにクッキー缶に入った右腕の事を訊かれている。どんな状態だったか。色は形は、怖かったかヤバかったか云々。二年生の間でも話題になったのは想像に難くない。
「まぁ、うん、そうか。失言だったごめんごめん」
「なんでちょっと残念そうなんですか」
「仕方ないだろう。骨だってアパタイトが主成分のリン酸カルシウムなんだから。大きく括れば生体鉱物。鉱物ならば骨だろうが腎結石だろうが尿管結石だろうがボクの守備範囲だよ。鍬形君もね、もし若くして尿管結石を患ったらボクに連絡してくれたまえ。喜んで貰いに行くから」
「その機会がないことを祈りますよ」
思わず腹をさすってしまう。あれは痛いらしい、という知識だけ持っている。
「それで、何を見せてくれるのかな?」
「珍しい石、みたいなものを拾ったので、それです」
「石みたいなもの?」
伊奈波は陶冶が抱えていた三又を受け取り、理学準備室の扉を開けて中へ立てかけた。背中越しに会話しながらでも、伊奈波の声色が僅かに上がり、興味を持ったのが分かる。陶冶はポケットからルーズリーフに包んだ縞模様の石を取り出して、左手の上で広げて見せた。
「これは……ふむ。へぇ、これはこれは。どこで拾ったの?」
「アンフィスバエナが映った現場に向かう途中で、側溝に挟まっていました」
駅名を告げると、伊奈波は少し小首を傾げた。
「同じものは沢山落ちてた? 周囲に何か施設だとかは?」
「えっと、見つけたのはそれ一つです。周りは畑ばかりでしたけど……」
陶冶が答えると、伊奈波は陶冶の掌にある縞模様の石をじっと見つめ、ぶつぶつと独り言を呟きながら角度を変えて観察を始めた。初めて与えられた餌を訝し気に見つめる山猫のようで、噛みつかれやしないかと出している左手が心配になる。
「触ってみてもいい?」
「どうぞ。というか、よろしければ三又のお礼にプレゼントしますよ。そのために拾ったんです」
「え、ホント!? 君は良いやつだなぁ!」
お気に召したらしく伊奈波は満面の笑みを浮かべた。
どこにでもある石ころだと一笑に付されなくて良かった。受け取った石を目の上で掲げ、難しい顔をしながら唸る伊奈波を見て、陶冶は心の中でホッとしていた。
「素敵な拾い物をくれた功績を、ああ鉱石とかけた駄洒落じゃないぞ、これは。うん、功績を讃えてだね、鍬形君を採集部名誉部員に任命しよう」
遠慮しておきたい。とはいえ強く否定するのも気が引ける。陶冶が戸惑っていると、伊奈波の意識は既に入手した石の分析に移っていた。
「これは、縞状鉄鋼層……ではないね。やはりフォ……いや違うか、この場合は適切じゃない。何と言うべきなのかな。個人ではないよなぁ、量的に。第一、現代の工程としてありえないはず……。局所的な作業か。そうなると、君はどこから来たんでちゅかぁ~?」
伊奈波が掌の上の石に話しかけ始めた。どうして赤ちゃん言葉になったのかは分からない。くすぐるように指でつつき、あやす様に転がしている。
「なんて名前の石なんですか、それ」
「母岩にあたるのはアスファルト」伊奈波は即答した。竹中たちとの素人鑑定は半分当たっていたようだ。「問題は縞の部分だ。呼び名は、うーん、産地が判明すれば自動的に決まる感じかなぁ」
伊奈波はこめかみを指でトントンと叩いた。陶冶には、その説明がいまいち飲み込めない。例えば水晶が見つかったとして、北海道であれば北海道産の水晶、沖縄であれば沖縄産の水晶と呼ぶはずで、結局は水晶だ。石の名称が産地で変わるなんて、ありえるのだろうか。
「いやー、それにしても半ば冗談でも言ってみるもんだね。まさか本当に石を拾ってくるとは思わなかったよ。ストロマトライトの説明も聞いてくれるし、この石の同定にも熱心だし、もしかして鍬形君は鉱物に興味があるのかな?」
「えっと、それは、どうですかね」
「ああ、つまり君は石ころなんて有難がって喜ぶのは原始人ぐらいだと、お前のようなリアルMinecraft女は足を滑らせて溶岩にでも落ちてろと、そう思っているのか。あー、寂しいなぁー、沼地のワニみたいに校庭の石でも食べようかな……」
「そこまで言ってないじゃないですか! 急に卑屈にならないでください!」
伊奈波は口を尖らせ、半目のまま陶冶を見つめてくる。
「俺は子供の頃から鉱物の類は好きですよ。博物館で、ほら、色んな種類の石が入ったセットあるじゃないですか、あれが欲しくて駄々こねたことだってありますし」
しどろもどろになりながら陶冶は弁解した。本当のことを言えば泣いてその場から動かないと宣言したのは弟の真司だ。しかし、その後で真司がすぐに鉱石セットに飽きたので陶冶がしばらく持っていた。ギリギリで嘘はついていない。主語を省略した叙述トリックである。
「そうかそうか、すまないボクの勘違いだったようだね! 鍬形君がそんなにも鉱物に秘めた情熱を持っていたとは、ボクとしたことが気付かなかった! それじゃあ採集部名誉部員たる君に、校内の建材に埋まった化石鉱物ツアーをしてあげよう! アンモナイトから海ユリ、サンゴに厚歯二枚貝とよりどりみどりだぞう! 新入部員が入ったらオリエンテーションでやろうと思ってたんだ!」
騙された、と気付いた時にはもう遅い。さっきまでの落ち込みが嘘のように、そして実際に嘘であったらしく、伊奈波は爽やかな笑顔で陶冶の腕を引っ張った。
「いやその、俺は……!」
「どうだい! ワクワクしてきただろう!」
強引に腕を組むせいで、伊奈波の柔らかな感触が右腕から伝わってくる。
「まぁ、そうですね。はい」
何がとは言わない。
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