08 両親

 源次郎の邸宅と聞いて、古めかしい日本家屋だろうと決めつけていた陶冶の想像はいともたやすく裏切られた。白い漆喰の壁に広く取られた南向きの窓は、カリフォルニアの別荘を思わせるモダンな西洋建築で、庭先の松と土塀の存在がアンバランスながらもここが日本の田舎町であると主張していた。


 先んじて源次郎宅に避難していた清水らと合流して、話し合いの結果バーベキューの中止が正式に決まった。代わりに昼食会と名前を変え、持ち寄った材料を消費することが決まる。会の名目の違いは屋外か屋内、あとは気分的なものでしかない。源次郎宅で親族の集まりが頻繁にあるのは真実らしく、ホットプレートが二つあった点が開催の決行に大きく寄与したと言える。


 源次郎は最初こそ若いものだけでやりなさいと奥に引っ込んでいたが、最終的には両脇に孫娘と清水が座り、一人だけ酒を飲んでいた。それでも醜態までは見せなかった辺り、流石に場慣れしている。話す内容は豪快で面白く、県の著名人や教育長などの名前が出てきて、虚実不明なエピソードが次々に披露された。


 即座に帰宅する判断が選ばれなかったのは、切断された人間の右腕という非現実な出来事を警察へ預け、どうにか日常へ戻ろうと全員が無意識のうちに願った反動だったのかもしれない。あえて非日常には触れず、主には高校生活の話題を取り上げて、昼食会は恙なく終了した。どこか皆、虚勢を張って明るさを維持するような空気があった。


   *   *   *


 陶冶が自宅のタワーマンションに帰り、無駄に広いエントランスを抜けてエレベータに乗るとドッと疲れが押し寄せてきた。やはりどこか気を張っていたようだ。それとも、大して出番のなかった三又が重かったのか。三又の持ち手をさすりながら、陶冶は青いクッキー缶に入っていた腕のことを想像した。


 腕は三又と同じく関節がなかった、すなわち肘の先で切断されていた。その長さでなければ缶に収まらない。あるいは逆だろうか。缶に収めるために、その長さに切ったのか。切った後で、ちょうど収まる入れ物を探したらクッキー缶があったのか。


「おかえり。なんで鍬なんか持ってるの?」

 陶冶がリビングの扉を開くと、ソファに母の姿があった。玄関の時点でハイヒールを見つけていたので驚きはしない。化粧を落としていないので仕事場から直接来たのだと分かった。髪を染め直したらしく、栗色の髪が鮮やかに見える。


「色々あるんだよ、事情が」陶冶は説明を放棄して答えた。三又はリビングの扉横に立てかけておく。

「大変だったわね。死体を見つけたって、あんな山にねぇ」

「警察から電話あったの?」

「いえ、あの人から。五回に一度しか出ないって決めてるんだけど、今日は何となくピーンと来てね、出てみたら陶冶が事件に巻き込まれたーって慌ててたから、私も顔を見に寄ったわけ」

「もうちょっと会ってあげなよ」

「何よぉ、心配して一宮からわざわざ来てるんじゃないの」

「いや俺じゃなくて、父さんに」

「あ、スープを冷凍庫に入れておいたから、解凍して食べなさいね」


 息子からの指摘を堂々と無視して、母は話題を変えた。その件について話す気はないという無言の意思表示に対し、陶冶としてもそれ以上追及する気は起きない。あえて口にはしなかったが、冷凍されたスープは解凍して食べるのが当たり前なので、不必要な助言から僅かに母の動揺を感じ取れる。


「それじゃ、もう帰らないといけないから」

「そう。ゆっくりしていけば良いのに」

 じゃあそうしようかしら、という展開にならないことは承知の上だ。会って一分も経っていないうちに帰り支度を始める母は、一宮の病院に勤務している産婦人科医である。陶冶は母が幼い頃から家で寛いでいるところを見た記憶がなかった。

「あ、そうだ。真司しんじもね、気にしてたわよ」

「真司が? 何を?」

 弟の名前を久しぶりに聞いたな、と陶冶は思った。弟の真司はまだ母と同居しているため、高校に入学してタワーマンションに移り住んでからは顔を見ていない。

「そりゃあ、お兄ちゃんが死体見つけたなんて言ったら、心配するでしょうが。『スタンドバイミー』みたいだ、って興奮してた」

「心配してないじゃないか」無邪気な弟の顔が浮かんで、陶冶は笑いそうになった。「死体を見つけに出掛けたわけじゃないんだけどな」


 あの映画の原題は『死体ザ・ボティ』だというトリヴィアを思い出す。中学生の頃、真司と一緒にテレビで観た。あの頃は、まだ両親も別居していなかった。しかし、線路沿いを歩いたわけでも、轢死体だったわけでもないし、二度と戻らない青春の出来事だったと振り返る程に過去の話でもない。共通点が少なすぎやしないか。陶冶は目の前にいない弟に向けて苦笑した。


「真司、彼女出来たのよ。モテるのよねー、あの子は。私に似て可愛いから」

「へぇ、そうなんだ」

 陶冶はかろうじて上擦りそうになった声を抑えた。平静を装いつつ髪を弄る。

「アンタはねぇ、あの人に似てモテないから。ま、頑張りなさいな」

「何を頑張るんだよ。いいよ別にそういうのは」

「そういうのが大事なんじゃないの。『そういうの』の果てに、今日の文明があるんだから」

「文明ときたか」

 古い価値観だ。学生の本分は勉強だ。色々な反論を喉から出そうになったが、あまりにも虚しいので黙ることにした。話し合い、分かり合うことが常に正しいとは限らない。無駄な議論というものは確かに存在する。

「じゃあね、洗濯物あんまり溜めないように。小まめに掃除すること」

「分かったから。大丈夫だって」

「大丈夫じゃないから注意してるんでしょうが」

「なら本当に大丈夫ならなんて言えば良いんだよ」

「本当に大丈夫なら、そもそも何も言わないわよ。アンタに勉強しなさいとか、銀行強盗しちゃいけません、とは言わないでしょ。言われるのは、その事について信頼を勝ち取れていないわけ」

 帰ると言ってからの小言が長い。最近は悠々自適の一人暮らしだったので、この感覚は久しぶりだった。うんざりしつつも、どこか少しだけくすぐったい気持ちになる。


 母が帰ったのは、結局それから十分後だった。やれ埃が溜まっているだのフライパンの油汚れが取れていないだの、部屋のあちこちに難癖を付け回り、生活態度の緩みを指摘して嵐のように去っていった。


 ようやく静かになった、と陶冶が安堵してソファに体重を預けているとインターフォンが鳴った。忘れ物でもしたのか。やれやれ。


「おーい、俺だ。開けろー」

 モニタには父の姿があった。焦げ茶色のダブルのスーツのよれを直している。

「父さん、鍵あるだろ」

「市役所から直接来たから持っとらん」

 そういうことか。納得して、陶冶が開のボタンを押すとモニタ内の父がオートロックを通り抜けていった。


 陶冶の部屋は20階にあるため、父が上がって来るまでしばらく余裕がある。陶冶はコップを二つ出し、インスタントの珈琲を淹れながら父を待った。時計を見て、ふと、疑いが湧く。母が長々と留まったのは時間調整のためだったのではないか。タイミングが絶妙すぎる。連絡を入れて、父が市役所から飛んで来るのを見計らってから出ていったのでは。


 半々だな、と評価して陶冶は珈琲に口を付けた。やがて玄関の方で忙しない音がして、ドスドスと足音が近付いてきた。生活音がうるさいのだ、父は。


「公用車使ってないよね?」開口一番、陶冶は気になっていたことを尋ねた。

「アホ抜かせ、このご時世にそんな危ない真似できるか」

 ネクタイを緩めながら、父であり、市長である鍬形秀臣は鼻息を荒くした。

 九州のとある町長が公用車で買い物に出掛けたニュースが批判を集めたのは先週のことだ。普段は迂闊な父も、この手の事には過敏になっている。

「死体の件は大丈夫か」

 父は唐突に尋ねた。

「別に問題ないよ。見つけたってだけだし」

「ならいい」

 短いやり取りで、父子の意思疎通は完了した。普段は学校生活のあれこれにまで根掘り葉掘り質問してくる父の泰然とした様子を見るに、事件に関する大体の話は警察から聞いているのだろう。

「能登さんのところの土地だったそうだな。死体が見つかったのは」

 父の言葉に一瞬、能登媛香の顔が浮かんだが、能登源次郎を指すのは明白だ。陶冶は即座にイメージを振り払った。

「うん。会って挨拶したよ」

「直接会えたのか。珍しい、最近はパーティの類にも顔を出されないんだが」

「結構乗り気だったよ。蛇も直接買い取るって言ってくれたし」

「蛇? 何の話だ、バーベキューじゃなかったのか?」


 アンフィスバエナ探しの詳細までは、結局警察にも話す機会がなかった。友達の畑に害獣が出るからその駆除にやってきた高校生たちが、偶然死体の一部を発見した、という事になっている。どこにも嘘はないが、一応父には正確な話をしておいた方が良い気がして、陶冶は三又の存在理由と共にその経緯を説明した。


「大垣のペットショップに売らずに源次郎さんが直接買い取る理由、父さんなら分かるだろうって言われたんだけど、どういうこと?」

「あー、それはな」父は少し考える素振りをしたが、すぐに何かを諦めて息を吐いた。「大垣のペットショップは恐らく、志賀春男の親族が経営している所だ」


 忌々しいと言いたげな表情を隠そうともせず、父は自身が選挙で下した前市長の名を挙げた。体面を気にする父が敬称を付けず誰かを呼び捨てるのは非常に珍しい。


「両頭の蛇というのは、要するに畸形なんだろう。遺伝子の異常だな」

「あ、新型原発の反対運動に利用するってこと?」

 論理を幾つか飛ばして、陶冶は浮かんだ結論を口にした。

「でも、新型原発自体、やるもやらないも決まってないのに」

「前哨戦みたいなものだ。蛇自体は珍しいから、ペットショップが買い取るのに違和感はないが、県内で目撃された畸形で、背後に志賀春男がいるなら、利用される可能性は高い。どこどこの山でこういう異常な事例がありました、とかな。世論を形作る種を蒔くわけだ」

 実感の籠った言葉だった。三年前の市長選で、最後に明暗を分けたものこそが世論の力だ。新エネルギーの積極派と反対派がぶつかり合い、ある事件を契機に票の流れは新エネルギーを模索する方向に傾いた。

「志賀春男が反対派に回るってことは、父さんは新型原発の積極派なの?」

「いや、別に決まっていない。俺は専門家ではないからな」市議会で答弁したらマスコミに叩かれそうなことを、父は平気で言った。「震災以降、監視は厳しくなったし事故のデータも増えた。新型だから安全性も従来より高いんだろう。だが自宅の隣には建っていてほしくない。その程度の認識だ」

 何かを決める立場の人間がそれで良いのか。あるいは、決定するからこそ、迷っているべきなのか。

「志賀春男も、絶対に反対ではないだろうよ。俺が反対に回れば、逆に積極派へ鞍替えするはずだ。政党の総意だとか、スポンサーの意向だとか、その辺は色々ある」

「あー、分かった」

 政治の暗闘が垣間見えて、陶冶は源次郎の心情を理解できた気がした。

「何が分かったんだ?」

「直接買い取りたがった理由だよ。孫娘を溺愛している感じだったからさ、面倒なゴタゴタに巻き込ませたくなかったんじゃないかな、って」

「ああ、媛香ちゃんな。昔から有名だよ、あの人の溺愛ぶりは。中学の授業参観で見て以来だが、確かに可愛らしい子だったな」

 懐かしそうに話す父だったが、陶冶にとっては苦々しい記憶でしかなかった。中学三年生の教室に、両親揃ってやって来たのはうちだけだ。何を張り切ったのか三脚を立ててカメラを回し始めて教師から注意されていたのは今でも思い出すと顔が赤くなる。

「高校でも同じクラスなのか?」

「いや全然。選択授業だけ同じになるけど」

「お前変な事してないだろうな、仲良くするんだぞ」

「変な事ってなんだよ」

「急に背後からサンバの格好で現れて郡上踊りに誘うとか」

 挙げられた具体例は常軌を逸していた。この種の、都合が悪くなるとジョークで誤魔化す機転の速さは、マスコミとの受け答えで鍛えられたものだろう。まともに返すのも馬鹿らしくなって、陶冶は肩をすくめた。

「仲悪くあろうと思ったことはない」

 目の敵にされているような気はするけど、とは言わないでおく。 

「そうだ。源次郎さんから父さんに言伝を預かってる」「私に?」「現場には脅迫状の類はなかったし、事前に何か要求されたりもしてないと伝えておいてほしい、と言われた。大人同士、気を遣っておるのだ、とか何とか」

「そうか」父は目を少し開き、しばらく黙った。

「なんでわざわざ伝えたのかな」

「明日、大学で新エネルギーのパネルディスカッションがあるんだ」父は胸ポケットから手帳を取り出して開いた。「私はそれに出席する。能登さんも招待されているはずだ。どこの山に電線を通しても、大体あの人の土地を借りるから」


 父は手帳を捲りながら国立大学の名を口にした。電気代の高騰と供給設備の老朽化にどう対応するのかは、県と市が抱える宿痾しゅくあのような問題だ。問題解決の旗主としてメガソーラーと新型原発がよく検討に挙がるものの、国の補助金との絡みもあって遅々として進まない。今年に入って他市の過疎地域で廃村が決まった例もあり、細い血管から壊死していくように、徐々に『共同体としての死』は現実味を増していた。


「父さんがどっちに傾いた発言をしても、心配しなくて良いってことか」

「そういうことだ。まぁ、その場で何か決まるわけではないんだが、コメントは求められる。不安の種を取り除いていただいた事になるな」

「え、ディスカッションなのに、何も決まらないの?」

「ディスカッションで何かが決まることなどない」流石にそれはどうなんだ、と陶冶は思わず言いたくなった。父は息子の呆れ顔に構わず堂々と続ける。「その前で九割、その後で残りの一割が決まる。大体、いい大人が集まって話し合わなければいけないような複雑な問題なら、なおさら事前にやるべきだろう。ああいうのは、態度の表明に近い。強いて言えば、ポーズを決めている」

「面倒臭い世界だなぁ」

「そういうのを過不足なくできるのが、大人というものだ」

「大人ね……」陶冶は自分の年齢を思い出した。今十五歳なので、あと約二年半で成人となる。しかし、ここで言及されている存在は、それとはまた異なるのだろう。

「どうやったら大人になれるのかな」

「なんだお前、思春期みたいなこと言って。ああ、思春期だったな、そういえば」 

 陶冶の呟きに、父はデリカシーのない笑いをみせた。そういう冷笑的な態度が息子を捻くれさせるんだぞ、と教えてやりたくなる。

「俺が大人になったと実感したのは、あれだ、『GOING STEADY』の青春時代をカラオケで唄えなくなった時だな」

「知らないよ」「銀杏BOYZの方じゃないぞ」「だから知らないんだって」

 歌もグループも知らない。自分が知っている事を、若者が知っている前提で話すのは止めてほしい。

「学生の頃、母さんとカラオケ行った時によく唄ったんだよ。ところで――」ゴホン、とわざとらしい咳払いをして、父は部屋を見回した。

「母さんは来なかったか?」

「来たよ。ほとんど入れ違いで出ていった」

「なぜそれを先に言わない!」絶望的な表情だった。

「今訊かれたから」

「何か言ってなかったか」

「別に何も。あ、真司に彼女が出来たって」

「ほお、やるじゃないか。あいつは俺に似てモテるからな」

 思わず笑いそうになって、陶冶は「そうかもね」とだけ返した。

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