07 警察

 ほんの三十分前は雑に掻き分けていた草木が、言い知れぬ不気味さを伴って陶冶たちを取り囲んでいた。風にざわめく森林の自然音すら、呻き声が混じっている気がしてしまう。腕の持ち主が山中にいたとしても、既に生きていないことは想像がつくのに、恐怖の対象にしてしまうのは奇妙な感覚だった。この場合、危険なのは犯人の方であり、腕を切られた側は被害者だ。にも拘らず、陶冶たちが恐れているのは落ち捨てられた他の部位であり、怨念の籠った死体だった。犯人への具体的なイメージを掴めていないために、行き場のないストレスを形のあるものへ転嫁しているのかもしれない。


 場に残ったのは陶冶、竹中、能登、滝沢、三羅野、源次郎の六名だった。源次郎がそれとなく能登に一旦家に帰った方が良いのでは、と促したが、能登は「第一発見者」という立場に鼻息を荒くして聞く耳を持っていなかった。どちらかといえば陶冶も車組に入りたかったのだが、悲鳴を上げた能登の一番傍にいた手前、離れるわけにもいかない。


「あの腕、死んでから切られてるよね。切り口が綺麗だもの」

 能登が唐突に言った。

「こりゃ媛香、お前は、そんな事まで考えんでええ」

「考えていないと落ち着かないんだもん、しょうがないでしょ」

 祖父の苦言を意に介さず、能登は続けた。

「缶の底には血が溜まっていたけど内側の側面は汚れていなかったから、死体を切って腕を詰めた後で、乱暴に持ち歩いたりはしていないと思うの。だから、単独犯だとしたら、近所の誰かか、ここまで車で運んだか、どちらかよ」

「能登さん、ミステリとか好きやっけ?」

「ま、人並みにはね。メジャーな最近のよりはマイナーな古典が多いけど」

 竹中の言葉に対し、能登が照れたように答える。陶冶からすれば、メジャーとマイナー、最近と古典を分類できる知識がある時点でもう人並みとは言い難い。

「自転車の籠に入れて運んだら、まぁ確かに、内側をあそこまで綺麗に維持するのは無理だろうな」

 滝沢が言った。意外な人物が乗ってきたので陶冶は驚いた。隣にいた三羅野も驚いた表情をしている。

「滝沢もそういうの読んでたか?」

「俺は漫画しか読まん。だが、喋って気が紛れるならその方が良いだろ。ここ数日の間に、不審な車両を見かけたりしませんでしたか」

「いや、全く」源次郎が首を振った。「この道は家から離れておるし、あまり使われていないにしても一応は公道だ。日中に車が走っておったとしても気には止めんよ。缶を置くだけなら、十秒もかからんだろうしな」

「そうよねぇ。Nシステムでもあれば」能登が上を向き、枝葉に覆われた空を見て溜め息をついた。

「おい、Nシステムって何だ?」竹中が陶冶を肘で突く。

「車のナンバーを自動で記録する装置だ。スピード違反とか車検切れとか、そういうのが分かるやつ。全国に千か所以上設置されてる」

「どんなナンバーの車が通ったか、それで分かるんか。すげぇな」

「ああ、だが無人駅から山道へ入るような道路には当然ない」

 ここが高速道路や大きめの国道なら、犯人の自動車ナンバーを捉えられたかもしれない。ただし、この場合は容疑者の数が爆発的に増大する。

「あ、だったらよ、能登さんが仕掛けてたカメラがあるで。それに映っとるんでねぇの?」

「無理」竹中の提案を能登が即座に否定した。

「あれ、水曜日に外しているの。だから映ってない」

「でもギリギリ映っとるかも」

「竹、よく考えろ。水曜に缶を置いたら中身は腐ってる」

 三羅野が能登の代わりに答えた。

「ああ、そうか。腐臭は発しとらんかったですね」

「密閉されていてもガスは漏れるし、山の麓で三日も経っていたら缶の周りに虫がたかっていたでしょう。でも、缶は綺麗だった。置かれてからあまり時間が経っていないはず」

「木曜の昼頃に小雨が降っとるから、缶の表面を調べれば雨より前か後かは分かる。ま、今の話を総合すると後だろうがな」

 源次郎が苦々しい顔で言った。腕も缶もまだ新しい。観察から導かれた結論は、切断された腕を置き去りにした事件自体がまだ発生から間もないことを意味していた。


 サイレンの音が聞こえて、徐々に近付いてくるのが分かった。パトカーの姿が見えたものの、二台しかいない。少ないのではないかと陶冶は意外に感じたが、後からぞろぞろと警察官が徒歩でやって来た。手前の十字路の路肩に駐車したのだろう。何台も山道に入ったらUターンが難しいのを理解している地元の警察の登場は心強い。


 助手席から出てきた警官は高校生たちの一群をざっと見回してから、源次郎に向けて一礼した。警官は白髪交じりだったが、年齢を感じさせない体格の良さが制服の張りから伝わってきた。愛想の良さそうな笑みが顔に張り付いている。それでも、目だけは笑っていない。そして、その表情が明らかに作られたものであることを隠そうともしていなかった。


 彼が代表の立場なのだろう。運転席と後部座席から降りてきた二名は指示を待つように後ろに並ぶ。もう一台のパトカーからも警察官が降りてきたが、誰も喋らず、白髪交じりの警官が口を開くのを待っていた。


「通報を受けて参りました。人の手を発見したというのは」

「あ、私です」能登が手を挙げる。

「孫娘の媛香だ。丁寧に頼むよ」源次郎が間髪入れずに言った。抑揚のない声だったが、白髪交じりの警官は二人を見比べると「なるほど」と小さく呟いた。それだけのやり取りではあったが、効果は絶大で、後ろにいた警官たちが動揺したのが陶冶にもはっきりと分かった。

「ご心配でしたら聴取に同席頂いても構いませんよ。ええと、媛香さんの友達かな、君たちも一緒に見つけたのか? 今日はどういう集まりで?」

「俺たちは、あーっと」滝沢が答えようとして言い淀んだ。説明しにくい。

「野生動物の駆除の手伝いで来たんです」三羅野が助け舟を出す。

「そうそう、畑の被害が酷いらしくて」竹中もこれに続いた。陶冶も一緒に頷いてみせる。アンフィスバエナ探しを隠す理由はなかったが、どのみち後で説明するにしても優先度は低い。

「そうか。感心だな」全く感心していない表情で、白髪交じりの警官は言った。


   *   *   *


 事情聴取はシンプルだった。複雑になりようがなかった、という表現が正確かもしれない。悲鳴を聞いて、何事だろうと思って能登さんがいた方へ走ったら、能登さんが尻餅をついていて、足元に青い箱が転がっていました。駆け寄って中身を見たら人間の手が入っていました。それだけの説明を繰り返すだけで良かった。


 竹中はその直後、滝沢たちは更にその後で能登に呼ばれてやって来たので、証言を増やしても情報が増えるわけではない。陶冶の想像よりもあっさりと、警察は陶冶たちを解放した。


「また後で質問するかもしれないけど、まぁ一旦これで終わりにしよう。最後に、何か気付いたことはある? 今あっちを、まぁ鑑識の人たちが邪魔かもしれないけど、見てみたら無くなっているものがあるとか」

「いいえ、何も」

 若い警官に、陶冶は簡潔に答えた。能登も同じ質問をされて首を振った。

 

 存在していたのは青いクッキー缶と、切断された腕だけだ。しかし、陶冶たちにとってそこまでの認識であっても、警察官たちはそうもいかない。現場の周囲に、他に何か落ちていないかを必死に捜索していた。増員するか、という相談を若い警官がしているのが陶冶にも聞こえた。


「さて、聴取も終わったし、君たちも儂の家に来なさい」

「そうね。なんにせよ、一度合流しなきゃ。もうバーベキューの気分ではないけど、せめてうちでお昼だけでも食べていきませんか?」

 能登が滝沢と三羅野に向けて提案し、上級生二人は顔を見合わせた。バラバラ死体を見た後で、中々肝が据わっている。

「いつまでも項垂うなだれているわけにもいかんしなぁ」

 滝沢がぼんやりとした口調で応じた。結局、夜になれば夕飯は食べるのだ。この場でどうするかは、あくまで気分的な問題でしかない。

「大勢でお邪魔して、ご迷惑でなければ」

「構わんよ。新年会なんかで人が集まることは多いのでな」


 源次郎が近くにいた警官を呼び、自宅に戻る旨を伝えるとすんなりと受け入れられた。驚いたのは、パトカー二台を送迎車代わりに使わせよ、という要望にも許可が出たことだ。源次郎の家に避難した清水たちにも話を聞く必要があるので、そのついでという建前はあったが、徒歩でも問題なく行ける距離なので源次郎の影響力による対応なのは明らかだった。


「パトカーって初めて乗るよ」三羅野がウキウキした顔で言った。

「俺ありますよ。盗まれた自転車が見つかった時に」竹中が自慢にならない自慢をして、誇らしげな顔を見せる。

「犯人も見つかったのか?」

「死刑を望みましたけど、そいやぁ、あれはどうなったんだっけかな」

 二人が喋りながらパトカーへ乗り込み、滝沢がそれに続いた。陶冶も助手席に乗ろうとしたが、急にぐいと肩を引っ張られる。


「アンタはこっち。お爺ちゃんと私の組よ」

 振り返ると能登が陶冶を睨んでいた。

「どうしてだよ。四人乗れるだろ」

「あたしだって別にアンタと一緒に乗りたいわけじゃないわよ。ただ、三人ずつの方が、ほら、バランスが良いでしょ」


 理由になっていない。そう返そうとしたが、何か言いたげな雰囲気を察して陶冶は大人しく従うことにした。またローキックを喰らいたくはない。滝沢は片手を軽く挙げて、笑顔で後部座席の扉を閉めた。何かまた面倒な誤解が生じた気がしたが、この際それは考えないことにしようと陶冶は決意する。


「すまないね。友達の方と一緒にできなくて」

 陶冶がパトカーの後部座席に乗り込むと、既に助手席に座っていた源次郎がそう言った。バックミラー越しに目が合う。能登は無言で陶冶の隣に座っていた。どうやら源次郎の意向のようだ。

「いいえ、何かお話になりたいことがあるのですね?」

「犯人がどういう意図であそこに手を、いや、あの長さなら腕と呼ぶべきか。まぁとにかく、どういう意図で人間の腕を捨てたのかは知らんが、どうあれ儂の土地で起きた事件に、息子さんを巻き込んでしまったのは事実だ。君のお父上にも、一応伝えておこうかと思ってね」

「はぁ。しかし、それなら」

「気持ちは分かるが、他の子の親御さんにとっては、知らなくても問題がない。むしろ何も知らない方が余計な心配をせずに済む。ただ、君のお父上は立場と言うものがある。だから渡すべき情報は渡さねばならん。大人同士、気を遣っておるのだと考えてくれれば良い」


 運転手の警官がパトカーを発進させた。陶冶の身体が緩やかにシートに押し付けられる。


「媛香、現場には何もなかったのよな?」

「ええ」能登が頷き、運転手の警官をちらりと見た。「警察の人にも話したけど」

「そういう事だ。現場には脅迫状や犯行声明はなかった。妻もそれを心配しとったのだが……、直前に犯行予告やら脅迫状やら、その手のものも受け取っていない。つまり犯人は、単純に死体の捨て場所を探して、偶然この場所を選んだのかもしれん。そうでない可能性も残るが、いずれにせよ、儂にとって喫緊に対処すべきことは何もない」

「ああ、そういう事ですか」


 陶冶は源次郎の妻が助手席から何かを源次郎に囁いていた光景を思い出した。あれは、そういう意図の質問だったのか。だから「何もなかった」と答えたのだ。メガソーラーの候補地である山で発見された死体に何かしらのメッセージが含まれている可能性を疑うのは、土地の所有者である源次郎であれば当然の発想だったに違いない。自宅の周囲に捨てられたバラバラ死体は、首を縦横どちらに振るか、その方向を強制するのに十分な材料になる。


「分かりました。父には、そのまま伝えておきます」

「うむ。宜しく頼む」源次郎が鷹揚に頷くのがバックミラー越しに分かった。

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