06 右手
いざ捜索開始となっても、決まったフォーメーションがあるわけではない。各自が好きなように動く流れとなった。十字路から同心円を描くイメージが、唯一共通の理解である。とはいえ、畑も傾斜もあるので、結局は東西南北に道なりの調査をするしかなかった。三又を持っていた陶冶は必然的に山際となる。飛山たちは西側、滝沢と清水は南側を選んだので成り行きとも言える。
森林の斜面は緩やかでも、草は湿り気を帯びていた。油断すると足を滑らせる。陶冶は蛇が好みそうな窪みや枯れた倒木の洞を見つける度、三又の角で軽く叩いて反応を伺っていった。時折、小さな虫が飛び出てくるが、無論アンフィスバエナは見つからない。
坂を駆け登り上方を捜していた竹中が「おおい」と呼びかけてくる。陶冶は顔を上げて汗を拭った。
「カミキリムシおったー」
「捜すのは蛇だ」
「久しぶりにみたわ。オオクワガタならもっと良かったんだが」
竹中の誇らしげな顔を見て、思わず陶冶も何か珍しいものはないかと見回してしまう。視界に入る石も草も、陶冶には分類学的な名称が分からない。あの採集部の先輩がいたら、正確に価値があるものを蘊蓄と共に判別してくれそうだ。
山林の空気は冷たく澄んでいた。だからだろうか、陶冶は斜面を降りた先にいた能登が、短い悲鳴をあげたのがすぐに分かった。身体が硬直し、咄嗟に息を吸う音だ。反射的に視線をやると、更に北へ進んだ道路脇で尻餅をついた能登が見えた。足元に何かある。
「おい、どうした」
只事でない様子を感じて、陶冶は斜面を駆け下りた。近付きながら能登の足元に落ちている物体を観察する。四角い金属光沢のある青い板は、缶の蓋だとすぐに分かった。蓋の表面にクッキーの絵が印刷されている。ならば箱もあるはずだ。恐らく、能登の身体に隠れている。
「おいって」
「あ、あの、手が……てぇ」
振り返った能登は涙ぐみ、顔色は真っ青だった。腰が抜けているらしく尻餅をついた姿勢のまま、陶冶の方にずりずりと寄ってくる。
「手?」何とか聞き取れた単語を反復し、陶冶は能登を抱えようと前に出た。そして、それによってクッキー缶の箱とその中身が視界に入った。
手があった。
陶冶はそれが男の手だと直感した。
死体だ、切断された。
頭の奥で冷静になれと叫んでいる自分がいる。
無理やりに分析的な思考に集中して、他をシャットアウトする。
先に能登が恐怖していなければパニックになっていたかもしれない。
右手だ。陶冶は自分の右の指を握りながら、ゆっくりと心の中で呟いた。
土気色で、全ての指が曲がっている。
クッキー缶の中は汚れていない。内側の側面が綺麗なままだ。
右腕は、まるで品物のようにぴったりと収まっていた。
切断面は見えない。内側に張り付いているのか。
「何か見つけたんか」
背後から竹中の声が聞こえた。陶冶が急に駆け下りたのを見たのだろう。陶冶と同じように斜面を降りてくる。
「うわっ、人間の手か、それ」
「多分。偽物には、見えない」
竹中の反応に、能登が一言ずつ発音して答える。落ち着こうと意識しているようだ。クッキー缶を遠巻きに囲みながら、陶冶たち三人は動けずにいた。切り落とされた腕が襲いかかって来るわけもないのに、目を離すことができない。
「先輩たちを呼ばないと」
陶冶が喉から言葉を振り絞った。それによって、魔法が解けたように能登と竹中が硬直から立ち戻る。
「そうね、私行ってくる」「俺は……」「竹中君は鍬形と一緒にここにいて。あとで警察が来るでしょう? 触っていないのを証言するために、一人でいる時間を作らない方が良いと思う」
能登の指示に竹中が頷いた。先程まで怯えていた表情は嘘のように消え、能登はその場で土を払うと十字路の方へ走っていった。
「とんでもねぇことになった」竹中が冗談めかして言った。まだ声が上擦っている。「人間の死体なんて初めて見た。陶冶は?」
「俺は親戚の通夜で見たことある」
「腕だけか」
「そんな訳ないだろ」
「スーパーで売っとるのとは、やっぱり違うわなぁ」
「スーパーって」陶冶は少し考えてから意味を理解した。何か言おうとして、言葉がまとまらない。「牛や豚の肉とは、違うな。パッケージもされてない」浮かんだ言葉だけを発して会話を繋げた。
「臭い、せんな。死臭ってやつ」
「まだ新しいんだと思う。缶に入っていたのもあるだろうけど、肉が腐ってない」
「犯人が近くにおったりせんか」竹中が周囲を見回した。「いや、ありえんな。仮におったとしても、俺らが来た時点でとっくに逃げとるだろうし」
「犯人がこっそり反応を伺っている可能性はあるんじゃないか?」
「嫌な事いうなぁお前は。安心できんくなるだろうが」
「信じたいことを思い浮かべるより、信じたくないことを思い浮かべた方が良い。否定するために何らかの努力が必要になる。その行動が心の安寧に繋がるんだ」
「理屈っぽ」竹中が鼻から息を漏らした。喋っているうちに冷静さを取り戻してきたようだ。「理論武装より感情に訴えて安心させてほしいもんだわ。絶対モテんぞ、お前」
「どこからそういう話になるんだ」
死体の一部を前に不謹慎だと感じたが、誰に対して不謹慎なのかは分からない。
「何があっても、俺が君を守るぜ、とかさ、言うもんだろ」
「誰に?」「今なら能登さん」「なんで」「あ、違うんか?」「断じて違う」
短い応酬があって「分かった分かった」と言って竹中が降参のポーズを取った。全く分かっていない人間の表情だ。陶冶は苦虫を噛み潰した顔になる。どいつもこいつも。大体、何があってもという仮定は曖昧過ぎやしないか。守れない場合が含まれている。マニフェストなら失格だ。
強めに否定しておいた方が良いな、と陶冶が言葉を探していると滝沢の声がした。
「大丈夫かー!」
「無事でーす!」竹中が手を振る。滝沢を先頭に、飛山と三羅野と鈴木もこちらへ向かってきていた。前半の3名が剣道部の実力トップ3だ。どこかに犯人が息を潜めていたとしても、これで安全性は格段に向上した。少し遅れて能登と清水がついてきた。能登は耳元に端末を当てている。警察か祖父に連絡しているようだ。
「腕ってどんなのだ?」滝沢が単刀直入に訊いてくる。
「これです」陶冶が短く応えて、身体をずらした。竹中も同じように移動し、二人の身体で隠れていたクッキー缶が滝沢たちの視界に入る。
「マジか」「バラバラ殺人じゃん」
飛山と三羅野が声を挙げる。滝沢は黙ってクッキー缶に近付き、中を覗き込んだ。しばらく眺めてから「腕だな」と見たままを口にした。
「今警察に電話したから」追いついた能登が言った。清水が能登の腕にしがみつき、クッキー缶の方に近付こうとしないので距離が少し遠い。
「お爺さんには」「そっちは先にしといた。すぐ来るって」陶冶の問いに能登はすぐ応えた。これでやるべき事は終えたことになる。集まった全員が何となくクッキー缶から離れて道路の中心に集まった。
「あの中に入ってるんだよね……」清水が恐る恐る言った。「ああダメだ、私そういうの無理なの。スプラッタ映画とかね、気絶しちゃう」
「僕も無理です。絶対に見たくない」鈴木が青褪めた顔で首を振る。「先輩たちよく平気ですね」「別に平気じゃねぇよ。少なくともバーベキューは無理だな」飛山が溜め息をつく。
「能登さん、すごいの見つけたな」三羅野が言った。
「見つけたくて見つけたわけじゃないですけど」能登はクッキー缶をちらりと見る。「祖父の山ですし、ゴミ拾いも一緒にやろうと思ってたので、蛇探しと同時進行で見回っていたらあれを見つけて……。あの缶、そこの木の根元にぽんと置いてあったんです。今買ってきたみたいに綺麗で、誰かが落としたのかもと思って拾ったら、その、中の重みが想像していたのと違ったので……」
能登が指した木は道路脇にある針葉樹だった。伸びた枝葉が道路の方に飛び出している。拾い上げ、立ったまま開けて、中身を見て驚いて腰を抜かしたのだろう。その時、クッキー缶が道路側に転がったと推測される。陶冶は悲鳴を聞いて駆け寄った時の光景を思い出していく。
クッキー缶の中の腕は地面に落ちた弾みで飛び出していない。箱の中にあった。コンクリートの上に落下しても腕が収まっている点から、縦にみっちりと詰まっていると考えられる。
* * *
孫娘から連絡を受けた源次郎は、辻の運転ですぐにやって来た。家で一息ついた矢先に電話を受けたためか、服装に変化はない。後部座席から高齢の女性が降りてきた点が、先程と異なっている。陶冶はその女性に見覚えがあった。飾り花を渡したパーティで同伴していた源次郎の妻、能登静香は当時の記憶から色素を抜いたような姿で、能登を抱きしめた。
「手が入った箱というのは……」辻が尋ね、能登がクッキー缶を指す。道路脇で上向いた青い缶の中身――土気色の物体は、陶冶の位置からでも僅かに見ることができた。辻と源次郎は恐る恐るそれに近付いて中を覗き込む。辻は即座に飛びのき、数歩後ずさりした。源次郎は膝を曲げてじっと観察している。
「貴方、中は本当に?」能登の祖母、静香が声をかける。
「間違いない。マネキンか何かであったほしかったがな」
「ああ、なんてこと」
「警察に連絡してあるなら、儂らができることは何もない。ここに立っていても仕方なかろうが、事情聴取があるだろうから帰らせるわけにもいかん。気分が悪くなったりトイレに行きたくなったりした者は、辻に送らせるので儂の家を使いなさい」
源次郎が場を取り仕切ったことで、高校生たちに安堵が広がった。自分たちの日常に突如現れた異質な存在は、これから警察に引き渡すことで、日常から隔離される。ニュースでやるかもな、と三羅野が独り言のように呟いた。
その後、清水と鈴木がその場に残ることを嫌がり、源次郎の家に避難したい旨を申し出ると、飛山がこれに続いた。能登が右腕を発見した経緯を説明し、明らかに遅れてやって来た彼らには警察も訊くことがないだろうと源次郎が判断して、三人は車に乗せられた。助手席には源次郎の妻、静香が乗り込む。
「私はこの子たちを見ていますから」ウィンドゥを開け、静香が源次郎に言った。
「うん。頼む」
去り際に静香が耳元で何か囁いた。
「いや、何もない」源次郎が首を振る。陶冶には質問が聞き取れなかった。
「それでは」
静香が軽く頭を下げ、助手席に窓が閉まると、辻の運転する車はゆっくりとバックして、対向車線にはみ出して強引に方向転換をして走り去っていった。
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