05 縞模様

 陶冶たちはだらだらとアンフィスバエナが撮影された十字路を目指して歩いた。芽吹いてはいるが何の作物か分からない畑を通り過ぎ、道沿いの窪みに蛇はいないかと目を凝らす。雑草に動くものがあって、二回飛んでいくバッタの背を見送った。

 どうにも無為な気がするが、この疑問を深堀りしても有意義なものは出てこない。陶冶もその程度の自問は中学生の頃に済ませている。

 良い天気だった。この場合は青天を指す。

 そういう下らない注釈が必要な都会的事情が、陶冶たちの周囲には何もなかった。駅を出てから未だ誰にも会っていない。畑、水路、畑、民家、畑。


 側溝の上にコンクリートの塊が放置されていて、陶冶はそれを跨いだ。老朽化して割れた瓦礫をどけたものだろう。よく見れば、側溝はあちこち歯抜けになっていた。ガードレールすらない田舎道なので、大雨が降って道ごと沈むと落とし穴が出来上がる。田んぼの様子を見に行って死人が出る原因になりそうだ。こういうのは市が直すのか、町が直すのか。ぼんやりと考えてしまう。


 その時、視界の端に赤黒い何かが見えた。 

 思わず駆け寄った。蛇の頭に見えたのだ。

 陶冶が動いたのを見て、反対側にいた竹中と能登が振り返る。


 それは欠けた側溝の割れ目に挟まっていた。道路と土の狭間から伸びる雑草に隠れて見えにくいが、近寄れば異物だと分かる。動かない。生き物ではなさそうだ。陶冶は更に一歩踏み込んでしゃがみ、手を伸ばした。

「おい、危ねぇって」背後から竹中の声がした。

「大丈夫」

 陶冶は拾ったものを掌に載せ、二人の前に突き出す。

「なぁんだ、緊張して損した。何それ」

「アスファルトでねぇの。それにしちゃカラフルだけど」

「本当、なんか派手なシマシマね」

 能登と竹中が覗き込んでくる。

 それはマッチ箱ほどの大きさで、歪んだ平行四辺形をしていた。底のあたりは竹中が指摘した通りアスファルトに思えるが、上部は判然としない。陶冶が掌の上で転がしてみると、重心がズレている感覚があった。縞模様の部分が軽い。


 指で小突いてみた感触は、乾燥した貝柱を思い起こさせる。側面は割れて千切れたようにひしゃげており、断面部の中心を貫くように太い赤い横線が走っていた。最初に陶冶が目にしたのはこの赤だ。しかし、よくよく観察すると赤線の上下も黒白青緑の線があり、全体として幾重にも層が連なっている。

「チャートの欠片……にしては土が付いてないな。堆積層かも」

 陶冶は顔に近付けて観察した。

「ああいうのは、ぶ厚い層だで違わんか?」

「うん、層が薄すぎる。第一、原色の赤や青が堆積する時代なんてないでしょ」

「ザリガニと紫陽花が大量死して積み重なったかもしれないだろ」

 竹中と能登の反論を受けて、苦し紛れに適当な言葉を返す。とはいえ、陶冶も本気でそう思っているわけではない。

「おーい! 何か見つけたの?」

 声が聞こえて顔を上げると、前方の清水が立ち止まって手を振っていた。滝沢も隣で陶冶たちを見ている。

「勘違いでしたー」

 竹中が両腕で大きくバツを作ってみせた。

「蛇の頭に見えたんだけどな」

 陶冶は呟きと共に放り捨てようとして、ふと伊奈波の顔が浮かんだ。月曜になったら三又を返しに理学準備室へ行かなければならない。珍しい石の一つでも拾ってきてと言われているのだ。形だけでも約束を果たしておけば、名前の分からない石の解説で上機嫌になってくれるかもしれない。

 一々打算的に行動してしまうのは政治家である父親の影響だろうか。陶冶は大きく息を吐き、縞模様の石をポケットにしまった。


   *   *   *


 目的の十字路が視界に入る頃になると、陶冶はすっかり捜すのを諦めていた。見つけようとして見つかるものではない。禅問答のような真実を悟るのに、十五分もかかってしまった。向こう側の道を歩く三羅野たちは最初から分かっていたのだろう。楽しそうに騒いでいる。


 童話における幸福の青い鳥は結局自宅にいたが、現実における両頭の蛇はどこにいるのか。自宅にはいてほしくないな、と無意味なことを考えてしまう。


 熱心に草木を掻き分けているのは滝沢だけだ。根が真面目なのか、部長としての責任感か。いざ清水と二人きりになってみたら間が持たず、やり場のない憤りをお題目であるアンフィスバエナにぶつけようとしているのでは、というのが竹中の見解である。陶冶もこれに同意した。お相手の清水は何も気にした素振りはなく、能登と並んでおしゃべりに興じている。言い出しっぺの二人であるが、もう午後からのバーベキューに意識が向かっているようだ。


「あ、お爺ちゃん!」

 能登が手を振った。十字路の北側からやって来た高級そうなドイツ車が停まり、二人の男性が降りてくる。運転手をしていたスーツの紳士がこちらに一礼し、後部座席から出てきた白髪の人物が、駆け寄ってくる能登に向けて大きく手を振り返した。

「あのお爺さんが揖斐川の大地主か。そうは見えんな」

 竹中が言った。老人はヤシの木が大きく描かれたアロハシャツを着て、短パンを履いている。

「余裕があるから着飾らないんだ。以前もああいう格好だった覚えがある」

「陶冶、会ったことあるんか」

「小さい頃に一度だけ。確か、親父に連れられてパーティで会っている」


 父がまだ市長ではなく国会議員の秘書をしていた頃、陶冶はよく政治関連のパーティに連れ出された。決起集会だとか祝う会だとか、名前は色々あったが、やることといえば酒と食事を囲んで、偉い人か、あるいは偉そうな人がマイクを持って長々と喋るのを、張り付いた笑顔で聞く会合でしかない。陶冶はいつも、受付で来場者に花飾りを手渡す係をさせられた。政治という権謀渦巻く金とコネクションの世界において、純真無垢な幼児は何かと都合が良かったのだろう。


「流石お坊ちゃん。何のパーティ?」

「さぁ。まるで記憶にない」

「裏取引ってやつかな。政治の闇だ、闇」

「闇って言いたいだけだろ」

「来年の補助金がどうとか、どこの団体にぜひうちの役員をとか、利権の確認をするわけだわ。財界やら地方の顔役とぼんやり繋がっときゃあ、何かあっても手心を加えてもらえるだろうし。うわぁ、汚いわぁ大人ってのは」

 竹中が身震いしたジェスチャをしてみせ、肩から提げたクーラーボックスが揺れた。政治団体でなくとも、それはそういうものだろう、とは言わないでおく。政治への不信感をあけすけにする竹中のスタンスは、陶冶にとって心地良かった。


 距離が丁度良いところで、スーツの男性が一歩前に出た。

「皆さま。遠いところ御足労ありがとうございます。飲み物などは用意してありますので、後ろのトランクからご自由にお取りください」

「わぁい! 辻さん、ありがとう!」

 能登が掌を合わせて大袈裟に喜んで見せると、辻と呼ばれたスーツの男性がにっこりと微笑んだ。

「おいおい、辻に買いに行かせたのは儂だぞ! な、辻! そうよな!」

「はい。お嬢様のご学友のために、と」

「分かってるわよぉ、お爺ちゃんたら」

 部下に手柄を取られそうになって焦る老人は、孫が腕にしがみつくと途端にだらしない顔になった。能登源次郎氏と言えば、戦後から一貫して地域の発展に尽力し藍綬らんじゅ褒章を授与された地元の名士のはずなのだが。

「お嬢様だって、お嬢様。やーい、お嬢様」

 清水が滝沢の後ろに隠れながら囃し立てると、能登は顔を赤くして否定してみせた。

「辻さん、お嬢様は止めてっていつも言ってるのに」

「申し訳ありません。昔からの癖でつい」

「まぁ実際お嬢様ではあるもんな、能登さんは」

 滝沢が神妙な顔で頷く。恐らく今背後から肩に乗せられている清水の両手の感触を、どう処理してよいのか分からないのだろう。壊れたロボットのように、しきりに頷いている。


 飛山たちが合流するのを待ってから滝沢が代表して能登源次郎氏への挨拶を行った。稽古のように横一列に並ぶ余裕がなかったので、その場で声を合わせて一礼する。特に打ち合わせもなく、スムーズに実行された。体育会系だから身に沁みつく所作というわけでもないはずだが、身体が勝手に動いてしまうのは何故だろうか。


「ああ、そうだ。君たち、良かったらなんだが」源次郎が言った。「もし件の蛇が見つかったら、儂に譲ってもらえんだろうか。どこかのペットショップが懸賞金をかけているそうだね。それに色を付けて支払おう」

「それは、えっと」能登が全員の顔を見回した。明確な扱いは決めていないが、山も畑も一帯は源次郎の所有地であり、捜索の主催は孫なのだ。報酬に違いがないなら、頼まれて断る理由はない。

「構わないわよ。お爺ちゃんたちの周りで変な騒ぎが起きないようにやるんだし。SNSにも投稿しない。もうね、ちょっと懲りたから」

「俺たちも全然気にしません」

「右に同じ」滝沢と飛山が続けて応えた。

「代わりに売ってくださるのですか?」

 清水が尋ねると、辻が源次郎を見た。聞いていない話のようだ。

「いや、処分する。色々とな、面倒が多いのだよ。ああ――」

 源次郎氏が陶冶を見た。その目は先程まで孫を溺愛していた老人のそれとは異なり、老獪な妖怪のような力を秘めていた。

「君のお父上なら、その理由も分かりそうなものだ」

 陶冶は悪戯を叱られたような気持ちになった。黙っていたつもりはない。全体としての挨拶が済んでしまったので、言い出す機会がなかっただけだ。

「すみません。まさか、僕のことを覚えていらっしゃるとは。以前に一度だけ、お会いしました」

「そうだ、うん、ホテルの会場だったかな。あれは確か、どこぞの派閥の長が党を作りたがっとったんだ。そこで花をくれたろう」源次郎がニッと歯を見せる。

「記憶力が良いのですね」

「なに、孫以外の子と接する機会なんぞ滅多にないのだよ」

「父が」陶冶は少し迷ってから続けた。「いつもお世話になっております」

 実際にお世話になっているかどうかは知らない。しかし社交辞令とはそういうものだ。

「うん。彼はな、ようやっとる。儂より若いのにな」

「大体の人は若いのでは」

「未熟と若いのは違う。ま、儂が褒めておったと教えてやりゃええわい」

「ありがとうございます。父には、そのまま伝えておきます」


 源次郎との話はそこで終わった。どうして源次郎がアンフィスバエナを買い取るのか。その理由をなぜ陶冶の父が把握できるのか。説明はない。知りたければ父親に聞け、ということか。


 辻がトランクからクーラーボックスを出して「さぁどうぞ」と蓋を開いたので、各自が好きなペットボトルを引き抜いていった。陶冶と滝沢はお茶、竹中と清水はコーラ。能登と三羅野たちはスポーツ飲料を選んだ。それでも半分近く余ったのは、辻が何人参加するのか知らされていなかったからだろう。使用人の気苦労が伺える。


 源次郎はアンフィスバエナの捜索に参加する気はないらしく、孫娘にゴミ袋を渡したら後部座席に引っ込んでしまった。近所で両頭の蛇が見つかり、愛する孫が捕まえようと友人を引き連れ、その買取を宣言しても、今日生け捕りできると考えている様子はない。この切り分けが実にリアリストである。


「それでは失礼いたします。あ、そうそう……」辻が運転席に戻ろうとして、思い出したように振り返る。

「どうしたの?」

「お嬢様、私の出身はご存知でしたよね」

「東白川でしょう」

「はい」辻が微笑む。「あそこは、村おこしの一環でツチノコの捕獲に懸賞金をかけているんです。もし見つけたらと思いまして、一応お伝えしておきます」

「一応ね」能登が繰り返したのが妙におかしくて陶冶が吹き出すと、お嬢様からローキックが飛んできた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る