04 メガソーラー

 樽見鉄道は根尾川の清流をなぞるように山脈を北上する。陶冶たちにとっては見慣れたというより見飽きた自然豊かな景色であったが、それでも車窓を過ぎ去っていく爽やかな青葉と太陽を反射して煌めく川面に、時折目を細めた。


「何度見ても、どっちの頭も生きてるよね」

「腹のとこが絡まってるわけでもない」

「もうちょっと解像度高い映像なかったの?」

「夜にも撮影したかったので。赤外線カメラの限界なんですよ」


 能登が膝の上に置いたタブレットを囲みながら、陶冶たちは口々に感想を言い合った。車内には陶冶たち以外乗客はおらず、気兼ねする必要がない。

 カメラは畑と山を隔てる道路を画面に収めるように仕掛けられていた。弧を描く細い道路に三台設置した、と能登が解説する。畑を荒らした獣が侵入したルートに一台、そのカメラの反対方向を映す一台、少し離れて、道路が細くなる手前の十字路に北向きの一台。アンフィスバエナが映ったのは、三台目のカメラだった。


 十字路の中心から山へ入る細道を映す画面には、白と黒と薄暗い緑しか色がない。風にざわめく木々の擦れる音が時折入り、そこへ画面の右、東側から紐のようなものがにゅっと現れる。紐のようなものはゆらゆらと動きながら画面の中心へ移動し、僅かにカメラへ近付く角度で進む。


 陶冶は初めて動画を見た時、ここでようやくそれが蛇だと分かった。そして蛇の全貌が画面内に露わになろうかというタイミングで、新たな蛇の頭が現れる。二匹目の蛇は画面端でピタッと止まり後ろをじっと見ているのだが、何かが割れるような音がして、二匹とも驚いたように左方向へ這い動く。この時、二匹の蛇と思われていたものが、実は繋がっていると分かるのだ。


「どっから来たんだろうな」滝沢が言った。「山から来たなら、奥から段々カメラに向かってくる。でも、こう……横切っているわけだろ」

「マップ上で見ると、道路を東に真っすぐ進むと駅っすね」

 竹中が端末を見ながら答えた。

「意味あるか? その道路だってすぐ北は結局山じゃねぇか。それに駅つっても無人駅だし、ある程度自然があれば蛇ならどこでだって生きられるぞ」


 二年の飛山が言った。それもそうだと陶冶も思う。生息域は事実上、町全体と考えるべきだろう。


「まぁ私たちも誘っておいてこう言うのもなんだけどさ、気が済むまで調べて満足したらそれでいいんだよ。ね、ヒメちゃん」

 清水が能登に微笑みかけた。吊革に掴まり立ちしているだけで様になっている。

「ええ、見つからなければそれはそれで良いんです」能登が頷く。「新情報を発信しなければネットでも忘れられていくでしょうし。変に騒ぎにしてしまったので、自分を納得させるためにやるだけですから」

「けどさ、もし捕まえてアップしたら更にバズるんじゃない? ヒメちゃん有名人になっちゃうかもよ。現役女子高生の蛇捕獲系アイドル、みたいな」

「ありえません。アカウントでは顔出しすらしてないので」

「えー惜しいなぁ。ヒメちゃんならいけるよねぇ」

 清水が陶冶たちの方を見て言った。ねぇと言われても困る。陶冶は竹中と顔を見合わせ、愛想笑いを浮かべるしかなかった。

「捕まえてペットショップに持ち込む動画撮るなら、涼子先輩にその役をお譲りしますよ。私はカメラマンで十分です」

「ぶー」清水は唇を尖らせた。「私は向いてないんだよー、そういうの」

 そんなことないぞ、と滝沢が小声で呟いたのを、陶冶は聞き逃さなかった。


   *   *   *


 キィと甲高いブレーキ音が響いて扉が開く。

 目的の駅は聞いていた通り完全な無人駅だった。出迎えてくれたのは木の柵を超えてホームの一部を浸食した紫陽花の蕾と、野良猫が一匹。その野良猫も高校生の集団が降りてくるのを見て、面倒臭そうにその場から去っていく。ホームは雨風に晒されて荒れたコンクリートが線路を挟んで二つ並んでいるだけで、何も知らずにこの駅を発見した人は遺跡と勘違いするかもしれない。かろうじて、駅名が書かれた色褪せた看板の存在が、どうやらここは駅らしいぞと現実を思い出させてくれる。


「もうそこの影に隠れている可能性だってあるんだからな。全員目を凝らせよ」

「了解です隊長!」滝沢に向けて、清水が敬礼する。

「いざ現地に着いてみると、探してやろうって気分になるよな」

「第一発見者は配分多くしようぜ」

 飛山と三羅野が肩を回した。やる気なさげにしていたわりに、案外乗り気のようだ。それから滝沢が音頭を取り、陶冶たちは得物を紐解いた。虫取り網やタモはともかく、町中で鍬を持って闊歩するのは抵抗があったが、能登が「何か言われたら私の名前を出していいから。この辺りの人は大体お爺ちゃんの知り合いなの」と言い切ったので陶冶も腹をくくった。


「一応、アンフィスバエナが撮影された十字路を捜索の中心地とするが、その辺の水路やら田んぼの脇にだっているかもしれんからな、なるべくバラけて捜そう」

 滝沢が言いながら歩き出す。「そっすね」と竹中が短く応じて後を追った。それに陶冶が続き、能登と清水がついてくる。

「滝沢ー! 俺らこっちの道から行くから、十字路で合流な!」

 飛山が遠くから大声で言い、滝沢が手を挙げて応えた。真っすぐ向かう道を外れて、南から大きく迂回するルートを選ぶようだ。鈴木と三羅野が後に続く。


 自然な流れである。事前の打ち合わせ通りだ。陶冶は前日のミーティングを思い出しながら水路蓋を覗いた。道着が干された汗臭い部室で、滝沢は神か仏に祈るように参加メンバー全員を拝んでいた。


「どうにかして二人きりになりたい。協力しろ」


 要約すれば滝沢の懇願した内容はこんなところである。後輩である陶冶、竹中、鈴木に断る理由はなく、同級生の飛山と三羅野は半笑いで「二人きりになったら自動的に上手くいくわけじゃないんだぞ」と突っ込んでいた。


「でも、あれだ、二人で喋る時間なんて中々ないだろ。学校だと周りに誰かしらいるし。だからほら、距離が縮まらないっつーか、関係をはぐくめないから……」

「育めない!」

 普段鬼の形相で竹刀を振るう部長の言葉に、飛山と三羅野は涙を浮かべて笑い転げた。陶冶たち一年生は流石に笑うのを我慢したが、隣の竹中は歯を食いしばって俯き震えていた。飛山と三羅野は壁と床を叩いて一通り笑い終えた後、恥を忍んでよくぞ言った、チャンスは作り出すものだ、当たって砕けろ残念会はお前の奢りだ、と励ましかどうか怪しい言葉を投げかけ、剣道部参加者たちは一丸となって協力する運びと相成ったのである。


「なるほど、そういうわけね」

 背後から能登の声がして、陶冶の背筋が伸びた。咄嗟に周囲を伺うと、前方の左車線に滝沢と竹中、反対車線上に清水が、道路脇に目線を彷徨わせながら歩いていた。

「何が『なるほど』なんだよ」

「タイミングを見て、竹中君がこっちに来るんでしょ? そうすれば二人きり」

 鋭い。能登の目は冷たかった。陶冶は大きく息を吐く。

「俺を責めるな。依頼者は部長だ」

「別にいいけどね。決めるのは涼子先輩だし」

「その、清水先輩はどうなのかな」

「どうって?」

「気付いているのか、気付いていたとしたら、どうするつもりか」

「うーん、涼子先輩モテるし、気付いていると思うけど……。でも、バーベキューに誘われて喜んでいるだけって線も否定できない」

「元はお前と二人でここに来る予定だったんだろ」

「そうよ」能登は頷いた。「部室で録画した分を早送りで観てたら声をかけられたの。先輩、たまにデザインのためにパソコン使うんだけど、なんか私、先輩が挨拶してくれたの気付かないぐらい集中してて、酷い顔してたみたいで心配されちゃった」

「よっぽど酷い顔だったんだろうな」

「うっさい」能登から飛んできた緩い蹴りを、陶冶は半歩ずれて避けた。

「どうしてそんなに拘るんだよ」

「何が」

「放っておけば鎮火するって自分で言ってたろ。気が済むように捜すと言っていたが、別に見つける必要はない」

 滝沢を経由して話を聞かされた時、陶冶が最初に思ったのがそれだった。人の噂も七十五日。では、蛇の噂はどれ程だろうか。

 能登は遠くの山を見ながら黙って歩いた。陶冶も同じペースで横に並ぶ。前方から軽トラックが一台走ってきて、全員が道の脇にずれて軽トラを見送る。

「お爺ちゃんたちのとこにね」ややあって能登が喋り始めた。

「スーツを着た人たちが来たらしいの。メガソーラーの勧誘だって」

「受けたのか?」

「まだそんな段階じゃないみたい。候補地の選定をしてて、もしご興味がありましたらお願いしますって挨拶をしに来ただけ」


 陶冶は北に目をやった。青々と繁る山々が手前から彼方にずっと広がっている。地主である能登の祖父母が、陶冶の視界にある山の幾つかを所有しているのだろう。運営は子どもに譲っても、登記上の所有者は変わっていないはずだ。


「お爺ちゃんはメガソーラーなんかやる気はないって言ってたの。禿山にしたら崖崩れが心配だし、水が汚れるからって」

「なら気にする必要ないじゃないか」

「今は良くたって明日は分からないでしょ。強引に頼み込まれたり、脅されたりするかもしれない。ほら、だってあったわけだし」

 能登が口籠る。その理由を察した陶冶は、なるべくあっさりとした態度で笑ってみせた。

「俺の親父が何考えているかなんて、俺は知らないぞ。俺が知っているのは、せいぜい一宮の実家に帰った母さんがどうしているか気を揉んでるってことぐらいだ。会う度に、どうしてるかなぁって俺に聞くんだぜ。知らねぇよ」

「うん。そうだよね、ごめん」

「謝られるようなことはない。メガソーラーだの新型原発だの冬季オリンピックだの、俺たちが悩んだって仕方ないだろ」

「それはそうだけど」能登が溜め息をつく。「心配なのよ。お爺ちゃんたちだっていつまで元気か分からないんだから。せめて手伝える範囲の事はしてあげたいの。それで畑を荒らす動物ぐらいならと思って任せてもらったら、余計な騒動を起こしちゃってさ。バカみたい」


 能登は自嘲気味に嗤った。何か言うべきか、陶冶は思考を巡らせたが何も出てこなかった。地主の娘が悩んだところで、地位も権利も金もない。その気持ちが市長の息子である陶冶には少しだけ理解できる気がした。できることはせいぜい、アンフィスバエナを捕まえて、奇妙な幻想を現実に引きずり落とす手伝いだけだ。


「お二人さん。仲良うしとるとこ悪いけど、俺も混ぜたってちょーよ」

 陶冶が顔を上げると竹中がいた。後ろ歩きをしながら身体を陶冶たちに向けている。前方に滝沢と清水が喋っているのが見えた。歩くペースを落とせと暗に訴えているようだ。

「別に仲良くはしてません」「別に仲良くはしていない」

 反射的に返した言葉が被る。

「俺、どっちの組とも距離取った方がいいんかな」

 竹中が口元を斜めにした。

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