03 樽見鉄道

 蛇の大半は昼行性ちゅうこうせいで気温の低い朝か夕方に活動する。一方、毒蛇で有名マムシなど夜行性の蛇も存在する。件のアンフィスバエナがどちらかは不明だが、SNSで動画を見た専門家のコメントによると、ジムグリという種類に似ているらしい。ジムグリは昼行性である。よって、翌日は駅前に六時集合だった。


 樽見方面へ向かう電車は六時台に二本しかなく、それを逃すと一時間待たなければならない。遅れてどやされるよりは、欠伸しながらベンチで本でも読んでいた方がマシだろうと思い、陶冶は朝靄のなか五時半に駅前へ到着した。


 駐輪場に自転車を停め、駅舎へ歩く。平日ならともかく、土曜の始発に人の姿などあるまい。まず一番乗りだろうと思いながら駅舎を覗くと、知った顔が仁王立ちしていた。能登から蛇探しを請け負い、剣道部を勝手に巻き込んだ『アンフィスバエナを捕まえる会および春のバーベキュー大会』発起人、剣道部部長の滝沢真一郎たきざわしんいちろうである。


「おお感心だな。やる気がみなぎっているじゃないか」

「部長ほどじゃありませんよ」


 訂正するのも面倒で陶冶は軽く受け流した。

 滝沢はジーンズに水色のTシャツ姿で、胸筋と太い腕に圧迫感があった。悪い人物ではないのだが、剣筋と同じく真っ直ぐな気風を早朝から浴びるのは御免願いたい。陶冶は目を擦り、ベンチの端に荷物を下ろした。勿論、そこには採集部から借りた三又がある。持ち手は竹刀袋に入れ、かぎ爪の部分は新聞紙で覆ってある。


「借りられたか。蛇探しに素手というのは危ないからな、人数分用意できて良かった」

「倉庫の整理させられるとは思いませんでしたけど」

「悪かったよ。実は俺、伊奈波さんがちょっと苦手なんだ。あの独特の見透かされる感じが、どうもなぁ」


 陶冶はじっと滝沢を見る。滝沢に悪びれる様子はなく、豪快に笑った。


「そう不貞腐れるな、俺は他の奴らの分も準備しないといけなかったんだ。それに、お前だって可愛い幼馴染が困っているのを助けるって大義名分があるだろ」

「能登は小中高が同じってだけですよ」

「それを可愛い幼馴染と言うんじゃないか」

「可愛いかどうかは主観的なものです」

「お前の主観はどうなんだ」


 滝沢は揶揄からかうように言った。勘弁してくれと否定すれば藪蛇になるので、あえて返事はしない。陶冶は矛先を滝沢へ向けることで回避を図った。


「そういえば、今日って清水先輩も来るんでしたっけ」

「む、うむ、来るぞ。昨日も電話したし」


 その名前を出した途端、滝沢が明らかに動揺したのを陶冶は見逃さなかった。清水涼子は二年の女子生徒で、能登が所属する情報処理部の隣にある服飾部の部長である。ある意味、今回の蛇探しの元凶とも言える人物だ。


「……だからワックス付けてるんですか?」

 陶冶は滝沢の両分けにした髪を見ながら言った。

「んん? いや、何の話だ。別にそんな、あれだぞ、いつもの身嗜みだ」

「大会でも遊びでも、部長がワックス付けてるの見た事ないですよ」

「うーん、まぁな。変か?」

「変ではないです。ただ、お洒落してるなぁ、と」


 お互いに探られたくない腹をまさぐる無意味さに辟易して沈黙が訪れる。とはいえ、別段の気まずさはなかった。滝沢は細かいことを気にするような人柄ではなく、その点が慕われているのだろうなと陶冶も後輩として感じていた。しばらくすると、滝沢は時刻表の上の時計をちらりと見て、鞄からアルミホイルに包まれた握り飯を取り出しむしゃむしゃと食べ始めた。


 十分ほどして、能登媛香と竹中進たけなかすすむがやって来た。竹中は剣道部の一年で、クラスも隣なので陶冶とは親しい。両肩から提げていた大型のクーラーボックスを降ろし、竹中は汗を拭った。


「能登さんを交差点で見てよぉ、クーラーボックスが歩いとるのかと思ったわ」

「ありがとね竹中君。持たせちゃって」

「重いよなぁこれ、何が入っとるん?」

「飲み物とか、お肉とか色々。せめてこれぐらいはと思ったんだけど、どんどん増えちゃって」


 能登は虫取り網を壁にかけ、丸眼鏡の位置を直しながら遠慮がちに笑った。後ろで髪をまとめたオレンジのリボンがそれに合わせて揺れる。白いブラウスに黒いハーフパンツなのは、動きやすさを意識した結果だろう。裾が広いのでスカートに見えなくもない。薄目で見れば地主の令嬢、近くで見れば虫取り少年といったところか。ぼんやりとそんな事を考えていると、能登の目が陶冶に向いた。


「なんだ、アンタも来てたの」

「なんだとはなんだ。手伝いに来たんだぞ」

「私は滝沢さんにお願いしたの。アンタに頭を下げたつもりはないわ。ああ、アンタの顔見たら思い出してきた、見てなさいよ、期末考査は絶対に私が勝つんだから」


 数学のケアレスミスさえなければ、とブツブツ呟く能登からは、先程の令嬢然とした雰囲気が掻き消えていた。ケアレスミスがなくても俺の方が総合点は上だ、と言わない程度には陶冶も扱いに慣れている。中学時代は負けじと挑発し返していたのだが、どうもその辺りが当たりの強くなった原因なのではないかと、陶冶は分析している。勉強は己のために成すもので、他人との比較に意味はない。学年二位なのだから誇ればいいのに。そこまで喉から出かかったが、言わなくても良い事は言わないのが慎みというものだと思い直して話題を変えた。


「あっちの駅前にコンビニとかないのか」

「アンタね、そんな都会的な施設があると思ってるわけ? 無人駅よ?」


 能登はこめかみに触れながら陶冶を睨んだ。陶冶が何とも言えない表情を浮かべていると、竹中が端末を触りながら割って入ってきた。


「ネットで見とったけど、それっぽい店あるよ」

 竹中が店名を読み上げる。

「あるんじゃねぇか」

「うーん。どっちかって言うと個人商店なんだよねぇ、そこ」


 能登が腕を組み渋い顔をする。こればかりは現地を見たことのある能登が正しいのだろう。アンフィスバエナが目撃された能登の祖父母の畑は、駅から二十分ほど歩いた場所にある。早朝に開いていないなら、その店は存在しないに等しい。


「あと誰が来るんでしたっけ」

 竹中が滝沢に尋ねた。男子剣道部集合といっても、全員ではない。昨日採集部の先輩から言われた通り、恋人との青春を謳歌する、もしくは謳歌したいと願っている部員たちはそんな徒労に近いイベントに参加してたまるかと参加を拒否している。集まったのは付き合いの良い滝沢の友人か、暇人か、逃げ遅れた後輩たちである。

「あとは飛山と三羅野と鈴木、あと清水さんだな。風見の阿呆は欠席するそうだ。あいつ、後から来てバーベキューにだけ参加するつもりじゃないだろうな。もしそうなら肉抜きだ」

 滝沢が端末を見ながら顔をしかめた。今まさに欠席の連絡を受けたのだろう。

 苛立たしげに端末を尻のポケットに突っ込んだ滝沢だったが、ロータリーの方向に何か見つけてにわかに背筋を伸ばした。陶冶が振り返ると、星形のサングラスをかけた女性がこちらに歩いて近付いてくる。


「やっほー諸君、早いねぇ」

「あっ、涼子先輩!」


 能登が駆け寄って清水の腕に掴まった。さっきまで陶冶に放っていた殺気は微塵もない。清水は能登に飛びつかれた勢いのままその場でグルグルと回り、しばらく能登と戯れていた。


「おはよう清水。その服は、やっぱり自作なのか」

「そだよー、膝のダメージとか自分で入れたの。石でガンガン叩いてね」


 滝沢が自然さを装って話しかける。清水は色褪せたパンタロンを履き、花柄のカッターシャツを脇腹のところで結んでいた。腹から腰骨にかけて引き締まったウエストが露出しているが、モデル然としたスタイルのために彫刻のような美しさがあった。これがファッションというものか、と陶冶は自分の服装と見比べた。


「ありがとねー滝沢君、手伝ってくれる上にバーベキューまで誘ってもらっちゃって。後輩君たちも今日はよろしくー」

「よろしくお願いします」「お噂はかねがね聞いとります、部長から」

「えーなんの噂?」

「ん、気にするなよ。こいつらは嘘ばっかりつくんだ」

 滝沢が竹中の肩を押し、竹中が態勢を崩す。ほとんど掌底に近かった。

「こんなでも人手は多い方がいいだろ。丁度いいし」


 滝沢はガハハと笑った。犠牲になった後輩の陶冶としては、何が丁度いいのかと突っ込みたくなる。

 元々アンフィスバエナを捕まえようという話は、能登と清水の間で持ち上がったらしい。自分一人で始末を付けようとしていた能登に、清水が協力するつもりだったようだ。それを偶然か偶然を装ったのか不明だが、廊下を通りかかった滝沢が聞きつけ、今週の土曜は偶然その近くのキャンプ場で、偶然剣道部がバーベキューをやる予定だから、軽い運動がてら蛇探しを手伝ってやるよという話に発展した。その日の部活終わりに急遽ミーティングが開催され、不可思議なイベントが付け加わった剣道部春のバーベキュー大会が開催される運びとなった。


「変に硬派を気取るもんで、俺らが犠牲になるんだわな」

「まぁいいさ。おかげでタダでバーベキューにありつけるんだ」

 

 竹中と陶冶は囁き合った。能登も事情は把握しているらしく、拙い語彙でファッションを褒める滝沢を横目で見て苦笑している。

 時計が六時を回ると、早朝の駅にも人の姿が見えてきた。しかし、彼らは皆大垣行きのホームに立っており、樽見行きの側には陶冶たちしかいない。桜の季節であれば始発でも淡墨うすずみ公園の根尾谷淡墨桜ねおだにうすずみざくらを見物に行く観光客がいるものだが、皐月も過ぎた頃になるとそれもない。


 残りのメンバーはそれからすぐ後に到着した。上級生の滝沢、三羅野、飛山が固まって喋り、一年の陶冶と竹中に鈴木が合流する。


 反対側のホームからは、自分たちがどんな集団に見えるのだろうか。

 ラフな格好でキャンプのような装いだが、全員が長い得物を持っている。しかも剣道や弓道と異なり、得物の先が新聞紙で包まれていたり虫取り網や竹箒であったりする。もし向こう側の誰かが、あの採集部の伊奈波並みの推理力を持っていれば、一目で見抜いてしまうのだろうと陶冶は想像した。

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