あの日、あの場所で
黒木メイ
あの日、あの場所で
その連絡が来た時、真っ先に浮かんだのは『彼女』のことだった。ただ、それも一瞬。
同窓会に参加する旨を伝え、通話を終了した。スマホをテーブルに置き、壁に貼ってあるカレンダーを見る。
「そうか……もう、あれから十年か」
苦い青春の思い出が頭をよぎった。
たびたび忘れた頃に思い出
とは言っても、別に今も彼女に未練があるわけではない。
あの頃の自分の若さがトラウマになっているだけだ。
「やっぱ、コレだよな」
嫌な事があった時はコレ。冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを取り出して、キッチンでそのまま喉へと流し込む。
苦いは苦いでも、こちらの苦い方は嫌なことも忘れさせてくれる魔法の飲み物だ。二本目に入った時にはすっかり、苦い思い出のことなんて忘れていた。
――――――――――
人間というのは、どうしてどうでもいいことを何年経っても覚えているのだろう。
最初にその話題を出したのは誰だったか。
周りにいる皆がしばらくその話題で盛り上がっていた。もう誰がどんな発言をしたのかも覚えていない。
「あん時は傑作だったよな! コイツ
「うっせぇよ」
酔いが回っているのか、大声で話ながら肩を回してくる男。
――――俺よりガタイのいい男に近寄られても何も嬉しくない。むしろ暑苦しい。
何よりこの場でそのネタを口にするのが気に食わない。
あからさまに態度に出してみたが、気づかない。酔っ払いに嫌気がさした透は立ち上がった。
「ちょっと、トイ「みんな、久しぶり」レ…」
座敷入口の襖が開けられ、来ないはずの『彼女』が現れた。
入口付近にいた人達が驚きの声を上げ、一斉に声をかける。透は立ち上がったまま呆然と彼女を見ていた。
十年ぶりに見る彼女はすっかり東京に染まったのかあの頃の雰囲気は無く、大人の洗練された女性になっていた。
目を奪われたのは一瞬だけ。記憶の中の彼女とあまりにも違い過ぎて、すぐに我に返った。
隣のヤツに今度こそトイレに行くと告げ、逆側の襖から会場を抜け出す。
言った通りトイレを済ませ会場に戻ろうとしたが、どうにも気は進まない。
十数年前のあの日から、透は楠を避け続けていた。それは、楠も同じ。
――――あの時の俺は滑稽だった。勝手に両思いだと勘違いして、調子にのって告白して、振られて。
その後、楠にどんな顔をして話せばいいのかわからなかった。結局ギクシャクしたまま、話すことも無く高校を卒業。
透は地元の大学に、楠は東京の大学に。最初の数年はもしかしたら同窓会で会うかも……とか想像してその時期はビクビクしながら参加していた。
でも、彼女が同窓会に参加することは一度もなかった。
ただ、彼女の噂は同窓会でたびたび話題になった。
『東京で就職が決まった』『職場の上司と結婚した』
そのたび、聞いていないフリをしながらも彼女の事を思い出していた。
あの彼女が結婚してもいいと思った男性はどんな人なのだろう。
気にしていないフリをしながら、頭の中では複雑な感情が渦巻いていた。
自分だって結婚はしていないものの、来るものは拒まずで付き合っていた癖に。
ただ……女というのは思いのほか鋭くて、透の心に別の女の影がほんの少し見えただけで牙を剥いた。
結局いつも、あっちから告られ、あっちから振られるの繰り返しだった。
会場の襖を開けるのを迷っていると、自動ドアのように勝手に開いた。
ちょうどお開きのタイミングだったのだろう。先に出てきた女性側の幹事の後ろで皆も荷物を持って立ち上がっている。
透は横にサッと避けた。次々に人が出てくる。
その中から男性側の幹事を見つけて声をかけた。
「わりぃ。今日は二次会パス」
「珍しいな。了解」
同級生の大半がカラオケに行く気らしく、行かない組数人で彼らを見送った。カラオケ組が上機嫌で夜の街に消えていったのを見送ると、さっさと帰ろうと踵を返した。
「わっ!」
「え、ごめっ」
後ろに人がいたのに気がつかずぶつかってしまった。慌てて離れて謝る。
「くすの、き」
薄暗い街灯の中で、一瞬わからなかったが。確かに彼女だ。
「坂田君」
姿は変わってしまったのに、声はそのままで一瞬あの頃の記憶がフラッシュバックする。
「ごめん、振り向くと思わなくて」
「いや、俺こそ」
「気にしないで。それよりも、坂田君も
「あ、ああ」
何気ない言葉の中にあった違和感に気づいてしまった。何故、東京にいた楠が知っているのだろう。————誰かに聞いた? 俺のこと気にしてた? それともたまたまそんな言い方になっただけ?
「っあー」
「え? どうしたのいきなり」
頭を横に振って唸り始めた透に戸惑いを隠せない楠。
透は女々しい自分に嫌気がさした。
「なんでもねぇよ」
「具合い悪いんじゃない? 送ってこうか?」
「別にいいよ。それより、楠はいいの? いつの間にか他のメンバー帰ったみたいだけど」
「え、あ……本当だ」
周りをみればいつの間にか皆いなくなっていた。
まさか変な気を回してないだろうな。とは思いつつも、ここはこう言うしかないだろうと、できるだけさりげないトーンで言った。
「送るよ。女一人で帰すのは危ないし」
「ありがとう」
「いや。どこに送っていけばいい? 実家?」
スマホでタクシーの番号を検索しながら聞く。
「ううん。今は一人暮らし」
「一人暮らしね。家はどこらへ……ん」
一人暮らしという話を理解出来ず思わず顔を上げて見つめた。
「離婚したの、去年の暮れぐらいだったかな」
「なんで……って、聞くのはさすがに失礼か」
「ううん、そんなことないけど。私の家、ここから歩きだと三十分くらいかかるんだけど……いい?」
「ああ……ちょうど軽く運動したいと思っていたところだから」
取ってつけたような言い回しに楠が目を瞬かせて笑った。
楠の家まで着く間にお互いに当たり障りのない話ばかりしていた。深くまで踏み込んではいけない。なんとなくそんな雰囲気があった。
「家、ココ」
最近出来たばかりの田舎にしては珍しい高級マンション。ここに住むのは老後の生活を楽しむ高齢者ばかりだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
驚きでマンションを見上げていると、楠が何かを言った。
「今、なんて?」
「その……あの日言ってたあの場所って……ごめん、何でもない。今日はありがとう。気をつけて帰ってね」
「あ、ああ。えっと、それじゃあ」
「うん」
どうやら俺が帰るまで見送るつもりのようなので、背中を向けて歩き出す。
路地の角を曲がれば、もうマンションからは見えない。
ここから自分の家まではそこそこ距離がある。それこそ、タクシーを呼べば良かったのではと後になって思った。
家までの道をぼんやりしながら、ひたすら歩き続けた。
そして、気がついたら家にたどり着いていた。
自分が酒臭いのが気になってすぐに服を脱ぎ始める。そのまま、洗濯機に投げ込み。
浴室でシャワーを頭から浴びた。
まだ冷たいままのシャワーを浴びると、頭の中のモヤが晴れていく。
同時に思い出した。
『あの日』『あの場所』、心当たりは一つしかない。
今更だ。楠もそれが分かっていて言うのをやめたのだろう。気にする必要は無い。
そう分かっているのに気になって仕方がない。
『あの日のあの思い出の場所で待っています』
手紙にそう書いたのは自分。
初めて二人きりで遊んだ日。彼女を意識した日でもあり、おそらく彼女も意識していたのではと認識した日。その思い出の場所。
――――でも、楠のあの言い方気になる。もしかして俺は何かとんでもない勘違いをしていたんじゃ……。
いくら考えても出てこない答えに諦めて、浴室を出た。
タオルで頭を拭きながら、押し入れのダンボールを取り出す。中から一冊の文集を取り出す。
十年振りにコレを開く。
楠のことが載っているページを探して、目を通す。
好きな歌『さくら』
そこに書いてあった曲名が引き金で、脳裏に何かが過ぎった。
クローゼットから、ブルゾンを取り出して上から羽織る。考えが定まらないまま、最低限の荷物だけ持って家を飛び出した。
向かうのは楠の家……ではなく、高校へ向かう途中にある桜並木の道。
なんで忘れていたのだろう。
『いったー。す、すみません。前を見てなくて』
『いや、大丈夫。それより、コレ』
『ありがとうございます!』
『どういたしまして……もしかして、この先にある高校受験したりする?』
『はい、そうですが……あ、もしかして?』
『俺も。じゃあ、一緒に行くか?』
『は、はい』
『もし、どっちかが落ちても恨みっこなしな』
『二人とも受かっていた場合は?』
『その時は俺がお祝いしてやるよ。その時はまたここで会おうぜ。待ってるから』
『約束ね』
『ああ』
そうだ、あれが初めての出会いだった。
辿りついた桜並木の道。その真ん中で桜を見上げる人影が浮かび上がっていた。
いや、まさか。
さっき別れたばかりの彼女がここにいるわけが……。
「なんで……」
ビクリと身体が揺れる。楠がゆっくりと振り向いた。
「坂田君こそ……なんで、
ああ、そうだったんだ。彼女は来ていたのか。
あの日、この場所に。
約束をしたこの場所で俺を待ってくれていたんだ。
ポロリ、と片方の目から涙が零れた。
変にカッコつけないで思い切って聞けばよかった。
「ごめん」
「え、ちょっと坂田君?! どうしたの」
楠が慌てて距離を詰めてくる。心配げにこちらに手を伸ばした楠をかき抱くようにして腕の中に閉じ込めた。突然の事に狼狽えた様子の楠だったが、恐る恐る背中に手を回してくれた。
「約束、忘れててごめん」
腕の中の楠が息を呑んだのが伝わってきた。しばらくして、小さな震え声が聞こえた。
「私、嬉しかったのに……覚えてくれてたんだって……なのに」
「ごめん、ほんと、ごめん」
「ばかっ……でも、私もごめん。避けてごめん」
「俺こそ、避けてた……ごめん」
「……私達さっきから謝ってばっかり」
「確かに、こんな真夜中に、こんなところでこうして……」
「ほんと……まるで、何かの恋愛映画ごっこしてるみたいじゃない?」
「それを許される年齢はとっくに俺らすぎてるけど」
「いいんじゃない? 誰も見てないし」
くすくす笑いあいながらそっと互いに離れた。
今度は互いの目をしっかりと見て向き合う。今あるのは昔捨てたはずの懐かしい感情だけ。
今は互いに恋情がないことはわかっている。
今後また生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。
ただ、今はもっと楠と話をしたい。
きっと、それは楠も一緒だろう。
「「あの」さ」
思い出の桜の前で二人の声が重なった。
あの日、あの場所で 黒木メイ @kurokimei
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